第35話 赤ん坊、報告を聞く
「あ、そだ、でんか」
「ん、何かね」
「このじじょ、なでぃね、これからずっと、しつむしつにこさせる」
「そうか、分かった。ナディネ? ナディーネか、よろしく頼む」
「は、はい、殿下」
――うん、これで王太子殿下の言質はとった。
ナディーネ本人は、ますますの緊張で今にも倒れそうだけど。
これからしょっちゅうこの二人とは執務室で顔を合わせるのだから、慣れてもらうしかない。
後宮で王女や妃らと接しているのだろうから少しは免疫があるかと思ったが、やはり男性王族となると話が違うのかもしれない。
残った子どもたち。
第二班の四人は、木槌と釘で箱型の道具を組み立てている。
第三班の二人は、庭隅に置いた木箱を台にして、板を彫る作業に集中している。
僕の目には順調だが、知らない者にはあまりたいしたことをやっているようには思えないだろう。
その奥では小屋の建築が始まり、もう土台固めの作業がかなり進んでいるようだ。
天気も申し分なく、予定通り明日には完成と思っていいのだろう。
一通り眺め回して、王太子とゲーオルクは戻っていった。
僕はナディーネを促して、もう一回り子どもたちの作業を見て歩く。
まあこの行動は気休め程度のもので、王太子たちと一緒に行かなかったのは、ナディーネの精神状態を考慮しただけの理由だ。
しばらくするとヴァルターが出てきたので、執務室に戻ることにする。
部屋に落ち着くと、早速今後ナディーネにしてもらう作業を用意する。
低品質の筆記板とインクを用意して、ヴァルター作の基礎文字表の書き写しだ。
しばらくは書いては削り消しをくり返し、文字の綺麗さでヴァルターから合格が出たら、実際の本の書き写しに移る予定だ。
日頃ナディーネは石盤で文字練習をしているわけだが、ペンとインクの使い心地にも慣れてもらわなければならない。
数日中にはナディーネ用の机を用意することにしているが、今日のところは応接テーブルを使わせる。
その一方で、ヴァルターからさっきの会長と親方との会談の報告を聞く。
荷車については、軸受け部分の精密さを見るとすぐに持ち工房で量産を始めるのはなかなか難しいが、早期に間に合わせるように準備を進めることにした。
商会も、生産が始まり次第広く販売開始できるように、前もって準備を始める。
どちらも、一工房一商会で早期稼働が無理なら他にも依頼を広げる可能性を示唆すると、必死に「任せてください」と訴えていた。こんな大儲け確実な話、他にとられるわけにはいかないのだ。
僕としても、孤児たちとの関わりでこれらの工房と商会に当座は任せるつもりだが、おそらく早いうちに他に広げる必要が出るものと予想している。むしろそれくらいでないと、他国への輸出は賄えないはずだ。
なお孤児たちの扱いだが、ホルストとイルジーについてはしばらくこちらで預かるが、荷車の工房製作に合わせて少しずつ見習い修行に戻す。他の六人についてはこちらの試みが上手くいけばずっと働かせる、上手くいかなければ見習いに戻す、というかなり手前勝手な申し出を、工房でも了承してくれた。もちろん、荷車の件がかなり効いているのだろう。
これらについては、荷車の試作品完成の状況を見て、契約を交わしていくことになる。
「あと、ルートルフ様が依頼したいと仰っていたインクの件も、アイスラー商会で何とかなりそうだと引き受けてくれました。取り引きのあるインク工房を抱えているようです」
「そ」
今後ナディーネに担当してもらう写本を始め、インクを使用する場面が多くなる予定なのだ。
現在流通している正式インクはかなり高価で、低品質インクは本当に品質が悪い、という実情のため、『記憶』から引っ張り出したインクの製法を何種類か持っていってもらった。
インク工房で低価格で生産できるものがあれば、すぐにも取りかかってもらうつもりだ。
さらには、ある程度用途に分けた品質のものも生産できるようにしたい。
「それから、新製品開発の中で相談を請いたいことがあれば随時受ける、という確約を、工房商会双方からとりました。荷車製作上での技術的疑問点などは、もちろんですし。これもとりあえず、ルートルフ様の求めている木材の種類ですか、条件に近いものをとり揃えてくれるということです」
「ん」
やはり、工房と商会を味方につけるということは、利点が多いようだ。
足元をすくわれないように気をつけてはいかなければならないだろうが、利用できるところは利用していきたい。
木材の相談先ができたので、森の視察は当面不要、と王太子とゲーオルクに伝えることにする。
この初日には終業時の確認に、作業場へ出向くことにしている。
しかし翌日以降は、作業の開始も終了もホルストをリーダーとした子どもたちの集団に任せることにした。
ただ完全な放任にするわけにはいかないので、離れての監視、安全確認を裏門門番の業務に加えてもらっている。
緊急にこちらへの連絡が必要な場合も、門番に言えば通るようにしている。
当面はこれで、運営していけるだろう。
この日、午後十刻の終業時に、全員を集めて作業進捗を報告させた上、解散を告げた。
作業途中の物品は、明日からは新しい小屋に鍵をかけて保管できる予定だが、今日のところは建築途中の現場にまとめて置かせる。
今の時点では荷車以外ほとんど価値のあるものはないので、門番に気をつけておいてもらえば盗難の心配もないはずだ。
なお、日当については本当に毎日、全員分を配る。
ヴァルターが終業時に出向けない場合には、これも門番に預けることにする。
今日はホルストとイルジーに昨日の礼金分も加えて支払ったので、子どもにしては大金になって、みんな大喜びだ。帰って、一人一人院長先生に手渡すのだという。
昨日までよりはかなり気分がいいというものの、やはり疲れ切って後宮への廊下を押されていく。
車の持ち手はナディーネだが、一応ヴァルターもつき合ってきた。
こちらからの申請が認められた旨、王宮庁から返事が得られたので、明日から正式にナディーネも執務室に通うことになった。
「ナディーネ嬢は、慣れない仕事で疲れたのではないですか?」
「いえ、私は大丈夫です。それより、ルートルフ様が。毎日お部屋へ帰って眠そうなご様子の理由が、ようやく理解できました」
「そうなんですよねえ。せめてもう少し、お昼寝の時間などとって差し上げたいのですが。今日は特に用件が詰まって、無理でしたから」
そんな会話を聞きながら、車の中でもうこっくりが始まっている。
自室に入ってからも、不本意ながらいつもと同様の会話なし、機械的な世話を受ける、という夜になった。
侍女との関係が少し変わった初日なのだから、何かしらやりとりをする必要があるはずなのだが、とにかく僕の意識が半分夢の中なのだ。
いつどうやって腹に収めたか自分でも分からない食事を終え、早々とベッドに潜り込んでいた。
翌日の朝は、いつも通り赤ん坊車をヴァルターに交代。
僕らは先に執務室に行き、ナディーネは部屋の掃除片づけを終えてから移動してくる。
執務室に来てからも、一通り部屋の掃除をしてもらうことになっている。
前日掃除の様子を見て、「やっぱり私がやるより綺麗ですね」と、ヴァルターが喜んでいたものだ。
今日は、午後から裏の作業場を見に行く予定にしている。うまくすれば、小屋も完成しているかもしれない。
それ以上に今日の大きな予定は、昼から二回目の父との面会だ。
そんなことを心中確認していると、ノックの音がした。
扉を開いて入ってきたのは、ナディーネだ。
それ自体不思議もないのだが、様子がおかしい。
顔色が悪いというか、どこか放心した様子に見える。
「どうしたんですか、ナディーネ嬢」
ヴァルターが訊ねても、その目は僕の方を向いて動かないのだった。
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