第27話 赤ん坊、墜落する
さしあたって命の危険などはなさそうなので、僕は腕組みで考えた。
おそらく数百マータ先かと思われる後方に王宮が見えているので、今来た方向は疑いようがない。
そちらを背にして見たところ、石畳の道路はこの地点で、真っ直ぐの径路と左側に折れる道とに分かれているようだ。
どんな理由か僕は馬車からこの桶の上に転移したらしいが、僕を置き忘れた車はどちらに向かったか。もう影も形も見えず、分からない。
まあ置き忘れに気がついたら探しに戻ってくるとは思うが、それまでどうしているべきか。
こんな高い場所、落ち着かないし、戻ってきた馬車に見つけられる当てもない。
しかし、下りたくても。
少なくとも、僕が自力でここから下りるには、やや危うさがありそうだ。
両手で縁に掴まって、足ぶらん、の格好から、飛び下りる。できなくはなさそうだけど、その高さの落下の経験はないので、自分に無事の保障を言い切れない。
一方、今のところ僕に気がつく人はいないようだけど、縁から身を乗り出したり、声を上げたりしたら、誰か気がついて下ろしてくれそうだという期待は持てる。
しかしそれで絶対無事、の保障もない。
問題は、今の僕の服装だ。
誰が何処から見ても、貴族の子ども。
ある一定層の人間からは、金が服を着て歩いている、としか見えない可能性がある。
つまりぶっちゃけ、そのまま誘拐されてしまう可能性、ないと笑い飛ばすことはできないだろう。
とすれば、とるべき行動は、その層の人が『出来心』を起こさないように、まず周囲の大勢の人目を引くこと、だろうか。
――どんな行動が、いいかな。
さほど真剣ということもなく、考えを巡らせる。
ただ泣き声を上げる、でもいいか。
赤ん坊らしく手足ばたばた、でもいいか。
あるいは――。
などと思いながら、腰を浮かせかけたとき、だった。
「わ、わ、わあああーー!」
「ごめん、どいてどいてーー!」
ガコーーーン!
予想もしていなかった音声と、振動。
起き上がり中途の足腰が、均衡を取り損ね。
――わああーー!
ただでさえ、重心が頭方向に寄っているらしい、体型なのだ。
たちまち僕はよろけ、踏み
「ひやあ!」
制止も支えも、何もすべはない。
さっき考察していた、両手で掴まり足ぶらん、の形をとることさえできず。僕からは、そのままの高さからの落下、以外の道が奪われていた。
もんどり打って、落ちる。
下は、石畳。背中を打って、無事に済むものか。
などと、もちろんのんびり考えるほどの時間があるわけでもなかった。
たちまちのうちに、ぼん、と背中に衝撃。
わずかの間に、仰向けから俯せ、再び仰向け。
背中は何かに埋もれ、両足は何かに乗ってわずかに高く。
――え、え?
何だ、これは?
少なくとも、石畳の感触じゃない。
と思ううち、背中の土台が動き出した。
横へ。横へ。
ぐいぐいと、ひっきりなしに細かく向きを変えながら。
「こら、こら、止まれ!」
「止まらないんだってーー!」
「止まれーー!」
ほとんど絶叫の若い声が、重なり飛び交い。
背中下が、止まりかけ、動き、また止まり。
がくがく揺すられて、再び僕は一回転。
仰向けに戻った顔を横向けて、ようやく事態のとっかかりを、目に捉えた。
僕は今、そこそこ大きな木の箱のようなものに乗っている。
そこから突き出た持ち手のようなものを、少年二人が引いている。
どうも、乗っている箱には車輪が付いているようだ。
つまり、木造の荷車のようなものの荷台に、僕は落下したらしい。
そもそも落下の原因も、この車と防火水桶の衝突だろう。
道脇に寄り、二人踏ん張って、ようやく荷車の停止に成功したようだ。
荷台には、木材や何かの道具やぼろ切れなどが載っている。
現状の僕は、そのぼろ切れに背中が埋もれ、荷台の縁に両足が乗ってしまっている。
背中の座りが不安定、足が高くなった姿勢、情けない僕の腹筋の力では、すぐに起き直りが果たせそうにない。
わたわたと、両手両足を蠢かすばかり。
「あああーー、焦ったあーー」
「畜生、これじゃまだ使えないぞ、これ」
「しっかり作ったのになあ」
「前輪制御の問題だと思うんだよなあ、たぶん」
「前輪は軽くなったはずだろう、これで」
「そうなんだけどさあ。もう少し、向きを変えれるようになればなあ」
「あのお……」
「車軸にもっと、遊びを作れれば、と思うんだけどさ」
「いや、遊びはダメだ。安定しなくなるだろ」
「あのお……おにいさんたち……」
「だよなあ。安定して回転を滑らかにするのが、第一目標なんだから」
「向きを変えるって、何か方法が……」
「おーーい」
「何だよさっきから、うるさいな!」
「え、何? 赤ん坊?」
何度目かの呼びかけで、ようやく二人は振り向いてくれた。
当然こんな無断乗車がいるとは知らなかったらしく、驚愕の顔で。
「わるい、おこしてくれない?」
「何だ、この赤ん坊、喋ってる!」
「何だこいつ?」
「とにかくまず、おこして……」
さらに何度かの懇願の末。
何とか少年の一人が寄ってきて、僕をぼろ切れの上に座り直させてくれた。
「ありがと」
「何だお前、どっから来た?」
「さっきこれがぶつかった、おけのうえ」
「ああ、衝突の衝撃で?」
「いやしかし、何だってそんなとこに?」
「それに何でお前、喋る?」
「はなせば、ながい」
「いや、しかし――」
「それより、これ」
僕の喋りで、説明などしきれない。何より、面倒くさい。
とりあえずそういうときは、話題をずらすに限る。
「このくるま、きみたち、つくった?」
「ああ」
「分かるか? すごい発明なんだぞ、これ」
「はつめい、どこ?」
「車の回転が、無茶苦茶滑らかなんだ」
「へええ」
乗り出して見ると、荷台の両側に二つずつ、計四つの大きな車輪が付いている。
その車輪に手をかけて、少年二人はどこか仏頂面だ。
見直すと、二人とも兄と同じくらい、十一~二歳といったところか。
継ぎの当たった、かなり古びた服装。上も下も短く、手首足首が剥き出しになっている。
年頃は同じくらいのようだが、灰色の髪の少年より赤黒い髪の少年の方が大柄だ。
「すごいはつめい、だけど、まだふび、ある?」
「ああ」
「まだ試作品だからな、しかたねえだろ」
「もしかして、さゆうせいぎょ?」
「え、分かるのか?」
――わからいでか。
さっきからさんざん、衝突したり左右ぐだぐだしたりしてたじゃないか。
指摘するまでもなく自覚しているようで、二人ふてくされたような顔になっている。
「しゃりん、よっつ、いらない」
「え?」
「ふたつでいい。そのほうが、せいぎょしやすい」
「いやそれじゃ、安定しない――」
「いや――」
赤黒髪の言いかけを、灰色髪が遮る。
「二輪でいいんだ。前を人間が支えているんだから、それで安定する」
「そ」
「そうなのか?」
「そうだ、やってみよう。ホルスト、前の車輪、外すんだ」
「お、おう」
灰色髪が張り切り出し、身体の大きな赤黒髪に指示をして動き始める。
赤黒髪の名前が、ホルストのようだ。
ホルストが僕を地面に下ろし、箱の下に潜って作業を始める。
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