第25話 赤ん坊、絶句する

「明日の森行きは、準備できているのか?」

「ん」

「そもそも、森へ行って何をしようっていうんだ?」

「もくざい、しらべる」

「木の種類か。何か作ろうっていうのか?」

「できたら」

「ふん。しかし明日行く南東の森は、この王宮の裏のと続きだから、たいして変わらないぞ」

「え?」


 初耳の話に、慌てて僕は机の引き出しを探った。

 簡単な王都の地図を取り出して、見直す。

 確かに城壁のすぐ外の森は、王宮裏と続いているが。


「こっちのは?」


 街道を挟んでさらに南へ続く森を指さして、訊ねる。

 ひと目見てゲーオルクは、ふん、と鼻を鳴らした。


「そっちは農業省の管轄だ。明日行くのは、王宮庁の認可が出たこっち側だけ」

「はい?」

「王宮側とそっちじゃ管轄が違う。当たり前だろう」


――いや、知るわけない。


 それは常識の欠如、ということでもしかたない。

 しかし。


「そっちがわ、きょかでない?」

「農業省は、手続きに手間がかかるんだ。また後日、だな」

「へ……」


――何それ?


 道一つを挟んで、管轄が違う?

 別々に許可を申請しなければ入れない?

 省庁ごとに、許可申請の手間が違う?


 距離と広さを見る限り、どう考えても二つの森を五~六刻程度で回ることは可能だ。

 それを、許可が出ないから、日を改めてまた行けと?


『お役所仕事』『縦割り行政の弊害』などと頭の中で騒ぐ声がするけど、どうでもいい。

 肝心なのは。


――一刻を争う国難の危機、だったんじゃなかったか?


 僕の記憶違いで、ないならば。

 一刻の猶予もないから、一歳児を住み込みで働かせる、という王命と認識していたのだけれど。


――どうなっているんだ。


 ここで愚痴っていても、しかたないのだろうが。

 口から出た声は、思わず赤ん坊にあるまじき低さになっていた。


「……きょか、いそがせて」

「まあ急げと言ってあるから、数日中には出るだろう」


 呑気な声を返しながら、それでも僕の声音に感じるものはあったらしい。

「せっついてくるか」と独りごちるようにして、ゲーオルクは部屋を出ていった。


 四つん這いで机に肘をつき、両手で額を覆う。

 そうして、溜息を声にするのを押さえていると。

 心配そうに、離れてヴァルターが覗き込んできた。


「その……ルートルフ様、思い詰めるのは心身によろしくありません」

「……ん」

「殿下から急ぎの命が出ていて気が急くのは分かりますが、倉卒に進めても無理が生じるものですから」

「ん……」


 心配してくれているのは、分かるけど。

 その憂惧ゆうぐの向けどころが少し違うなあ、と思う。


――僕としては、この国の現状が気がかりなんだけど。


 国王や王太子が、あれほど危機を訴えていたというのに。

 それが下の機構に伝わっていないのか。

 伝わる指示系統ができていないのか。

 あえて伝えていないのか。

 上の危機感が本物だとしたら、この下の現状、大問題なのではないだろうか。

 もしかして上は、この伝わっていない現況を認識していないのではないのか。


 危惧を抱いてはしまっても、しかし僕にどうすることができるわけではないのだけど。

 このままでいいとは、到底思えない。


――いや、今は別の方に目を向けよう。


 材料の選定。

 人手と技術の確保。

 それが当面、早急の課題だ。


 しかし明日の行き先は、ここの裏庭でも同じ?

 今から裏の森を見に行った方が、話が早い?

 でも、今から明日の遠出を中止すると言ったら、大問題になるのではないか。


――ああーーーーー、面倒くせ!!!


 考えも尽きて、僕はぺしゃりと机の上にへばり落ちていた。


「え、ルートルフ様、どうしました?」

「かみん、とる」

「分かりました。そちらへ」


 やや慌て気味に、ヴァルターはいつもの二人がけ椅子へ運んでくれた。

 二刻ほど睡眠をとると、少しは気持ちも落ち着いていた。

 まずは焦らず、一つずつ潰していこう、と思う。

 とりあえず明日は、木材種類の見極め。

 運よくここでうまいものが見つかることだって、考えられる。

 またとない外出の機会を、楽しみながら目標を目指そう。


――わーい、お出かけお出かけ、嬉しいな!


『………』


 やっぱり誰かツッコんでくれないと、虚しい。

 くそ……。


 終業後。

 後宮扉前で待っていたナディーネは、昨日の返事をヴァルターに報告していた。


「明日はわたしがお供することで、許可をいただきました」

「そうですか。よろしくお願いします」

「それと、そういうことなら後宮の女性護衛を一名同行させた方がいいのではないか、ということで用意されています」

「ああ、そうですね。それなら一緒に、お願いします。明日は昼食後の三刻にここに迎えに来ますので」

「はい、承知しました」


 この夜は、いろいろ考えていて寝つけなくなっていた。

 なまじあそこで昼寝をしたので、眠気が遠ざかってしまったのかもしれない。

 あるいは無理にはしゃぎ気分を演じようとして、心ならずも『明日が楽しみで眠れない』状態を作ってしまっただろうか。

 まったく眠らないままでは、明日の行動に差し支える。

 何とか眠ろうと目を閉じて、意識が浮き上がりかけては、戻り。

 それでもそのうち、うつらうつらが染み落ちてきて。

 気がつくと、窓の隙間から明るみが射していた。


 結局また、一の鐘前に起き出すことになってしまった。

 そっと居間に入って観察すると、やはりこの日もテーブルにナディーネの文字練習の跡がある。

 心なしか、前日よりも字が綺麗にまとまってきているようだ。

 その後は、ほとんど早朝の日課になっている読書で時間を潰した。


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