第24話 赤ん坊、木工業を聞く

 その日の終業後、後宮へ戻る僕の車には、本が二冊と書板が二枚乗せられた。

 いつものように扉前で、持ち手が交代される。

 が、この日はその際の伝達事項が増えていた。


「明後日の午後から、ルートルフ様に外出していただくことになりました。ついては、お世話する侍女一名に同行してもらいたいのですが、可能ですか」

「あ、はい。明後日午後ですか」


 告げられて、ナディーネは考え込む顔になる。

 後宮侍女の勝手な外出は禁じられているはずだから、おそらく女官長辺りの指示が必要なのだろう。

 加えてナディーネの場合、昼間は王女の部屋に手伝いに行っているということなら、そちらに断りもいることになりそうだ。


「はい、分かりました。上と相談いたします」

「お願いします。やはり貴方がお供、ということになるのでしょうかね。行き帰りは馬車を使いますが、林など自然の中を歩く可能性もありますので、服装なども備えてください」

「はい」

「あと、話は違うのですが、お願いと言いますか――」


 言いながら、ヴァルターは二枚の書板を持ち上げる。

 この日、彼に作成してもらった基礎文字表の一組だ。

 見て、ナディーネはことりと首を傾げた。


「何と言いますか、こうしたものを侍女の皆さんの中で役立てられないか、試してみてもらえませんか。文字を書く練習をする人のための、手本のようなものなんです」

「はあ」

「よければまず貴方が試してみて、使えるようなら他の人にも回してみてください」

「はい……」


 両手で板を受けとって。

 見る見る、ナディーネの顔が輝き出した。


「嬉しいです。とてもありがたいです。わたしもそうなんですけど、文字を覚えたい人や綺麗に書きたいって人、侍女の中にけっこう多いんです」

「それならよかった。どの程度役立つか、試してみてください」

「はい!」


 笑顔で文官を見送って、部屋に戻るナディーネの足どりはいつになく軽快になっていた。

 僕を寝かせた後、さっそくその基礎文字表で練習したようだ。

 朝方起き出してテーブルを覗くと、石盤に書かれた前日の奇天烈文字が、正常に修正されていた。


 執務室に落ち着いて、早速ヴァルターは首を傾げながら問いかけてきた。


「昨日の説明、あんな感じでよかったのですか」

「ん。じょうでき」


 当然ながら僕からは説明しきれない話なので、ヴァルターに概略を伝えて頼んだのだ。

 自分の書いたものを「綺麗な文字の見本」とばかりに紹介するのは気まずいものもあったろうが、そこはしかたない。

 さっそくナディーネが役立てていたと教えると、やはり嬉しげな表情になっている。


「しかし、その――侍女の手本に使うのが、遠大な計画なのですか」

「けいかくの、いちぶ」

「はあ」

「のこりは、べつにつかう」


 本棚に置いた残り三組六枚の書板をちらり見て、告げる。

「はあ」と頷いて、もう諦めたようで、ヴァルターはそれ以上質問を踏み込まない。

 こちらとしても、残りの使用は本当に実現できるか、前途は遠いと思わざるを得ないので、なかなか説明しにくいのだ。

 実現には木工の職人の手が不可欠なのだが、まずそれを何処で調達するか、相談調整が必要になる。

 考えて、まず王都の木工職人の現状について、ヴァルターに説明を請うことにした。


 それによると。

 王都では人口の二割から三割程度が、何らかの形で木工業に関わっている。

 子どもたちにとっても人気というか、ふつうに就いて当然の職業と受け止められていると思っていい。

 職人の数や質の継続に貢献しているのが、ある種の徒弟制度だ。

 木工職人を目指す者は、大小の工房や個人の職人の元に見習いとして入って修行する。

 その辺り、雇用関係が曖昧なまま放置されている例が古来あったので、現在は概ね十五歳以上で弟子入りと同時に正式雇用される決まりになっている。

 ただ、いきなり十五歳で初心者が雇用されても使い物にならないので、大概は十一、二歳頃から非公式な弟子入りを始める。常識的にこれには、親や知り合いなどの紹介と身分保証が必要だ。給金などは出ず、逆に親から授業料的なものを払わなければならない場合もあるらしい。

 だいたいの目安として、

 十一、二歳から見習い修行。

 十五歳くらいから正式職人の下っ端として仕事に就く。

 その後十八歳くらいから順次、一人前と見なされて仕事を受けたり、独立したりする者が出てくる。

 という、見当だ。

 また、一口に木工職人と言っても、大まかに三通り程度に分けられる。

 大きな建築などに携わる、大工。

 家具などの製作をする職人。

 飾り彫りや小さな道具類の製作をする職人。

 厳密には境界が曖昧な場合もあるが、こんな区別だ。

 大きな工房ではこうした三種類の職人をすべて抱えているところもあるが、小規模な工房や個人経営はだいたいどれかに特化している。


 聞いて、やはり考え込まざるを得ない。

 僕の構想を実現するには、ある程度の技術を身につけた職人が必要だ。

 その上で、その職人にこれまで目指していたものとは違うことを、ある意味一生の仕事としてもらわなければならない。

 それを受け入れる人材が、果たしているか。

 本人だけでなく、おそらくはその面倒を見てきた親方の説得まで必要になるだろう。

 何よりも困難な要因は、ある程度の腕の職人にある程度働いてもらった上でないと、その成果がどう役立つか、誰にも説明できないと予想されるのだ。


――これ、無理やん。


 一~二か月のうちに貿易状況改善、という至上命題のためには、王権発動で職人を集める、という策も考えられるかもしれないが。

 失敗したら目も当てられない。

 へたしたら、職人の一生を犠牲にしかねない。

 ……まあ、めったなことでそこまでの事態には至らないだろうが。

 それにしても。


――考えもの、だ。


 などと頭を悩ませていた、のだが。

 気がつくと、昼近くなっている。

 今日こそ何処かの領から植物見本が届くかと思っていたが、連絡は来ない。


「ゲーオルク様に伺ってみましょうか」

「そのうち、くるんじゃないのかな」


 これらの見本は、確かに一刻を争うものではないのだ。

 しかしだからと言って、到着をずるずると先延ばしされても困る。

 この後の予定が、流動的になってしまいそうだ。


 昼過ぎには、ゲーオルクが不機嫌そうな顔で現れた。

 応接椅子に乱暴に座り、脚を組む。


「まだ届かねえ領地三つに催促出したら、何処ももう少し待ってくれって返事だ。遅れるんならもっと早くそう言えっての」

「だね」


 宰相から全国への指示で、ゲーオルクからのこの手の依頼は何より優先すべし、ということになっている、と聞いたのだが。

 緊急性が伝わっていないところもあるようだ。


「ま、相手にやる気がないんなら、しかたないわな」

「いいんですか、そんなことで」

「しょうがねえだろう、こっちができるのは、鳩便で催促を出すことぐらいだ。宰相でもないんだから、それ以上の権限はない」

「ですがねえ……」


 不満げなヴァルターに、「細かいこと気にしていると、禿げるぞ」などとからかい口を投げている。

 その怠そうな顔が、こちらを向いた。


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