第23話 赤ん坊、鉄の剣を見る
週が明けた、、七の月の二の風の日。
執務室に落ち着いて、朝一番のヴァルターの報告によると、この日の午前にはまだ新しい植物見本等の届く予定はないとのことだ。
僕の方も、部屋に持っていった動物図鑑から特に書き出すものは見つからなかった。
机には、週末に頼んだ新しい筆記板が十枚積まれている。
「ばるた、ひとつ、たのんでいい?」
「はい。今は急ぎの用件を抱えていません」
「ばるた、じ、きれい」
「そう言っていただけるのは、幸甚です」
「これに、きそもじのてほん、かいて。ひともじずつ、ぜんぶでにまいにおさまるおおきさで」
「ああ、子どもの使う基礎文字表の感じですか」
「そ。それを、よんくみ。できたら、ひとくみを、きょうじゅう。のこりを、すうじつちゅう」
「かしこまりました」
実家領地の屋敷でベティーナが持っていたものを、二枚に分けたイメージだ。
あの基礎文字表は、この筆記板の二倍近くの大きさがあったと思う。
「でもこんなもの、何に使うんですか?」
「えんだいなけいかく」
「はあ」
詳しい説明をする気がないことは察してくれて、ヴァルターは苦笑いで机に筆記板を置いている。
思い出して、僕は注文を追加した。
「そだ、ぺんはすこし、ふとめので」
「分かりました」
子どもの基礎文字表もそんな見当のはずで、ヴァルターはすぐに頷きを返す。
安心して、僕は新しい本を机に開く。
二刻ほどそう過ごしていると、ゲーオルクが入ってきた。
「製鉄所からの剣の試作品、午後には届くはずだ。殿下と宰相、騎士団長に声をかけている」
「りょうかい」
「分かりました」
返事をしながら。
僕は机に四つん這いで、読書。
ヴァルターはお習字よろしく慎重に、いつもより大きめの文字を太ペンで綴っている。
妙な顔で首を傾げ、しかし質問は諦めた様子でゲーオルクはまた出ていった。
他に突発の出来事はなく、ヴァルターは午前だけで依頼の文字表を三組仕上げてくれた。
昼食後にはゲーオルクから連絡が来て、宰相の執務室へ行くことになった。
剣の試作品の確認だ。
予定通り、執務室には宰相の他、王太子と騎士団長、ゲーオルクが集まっている。
車をヴァルターに押されて僕が入ると、宰相は応接テーブルの上に細長く布に包まれたものを取り出した。
「報告では、従来の我が国の剣よりも硬いものができたということだ。騎士団長に、確かめてもらいたい」
「承知した」
真剣な表情で、団長は布を開く。
木の鞘から抜いた銀色の刃物を、細めた目で凝視する。
両刃のそれぞれ縁を指で撫で。
取り出した自分の剣と、軽く打ち合わせ。
「ううむ」と唸り、ゆっくり頷く。
「確かに、これまでのものより硬度は増しているようです」
「確かか」
「はい」
王太子の確認に、口髭の顔が深く頷く。
ふう、と息をついて、宰相も数度頷いた。
「領からの報告では、まだ工夫を重ねて硬度を増すこともできるかもしれない、とのこと。そうした工夫を続けながら、武器の量産を始めさせたいと思います」
「うむ。外国には情報が漏れないよう、秘密裏にな」
「はい」
いくつか宰相と打ち合わせを交わして。
それから王太子は、僕の顔を見た。
「上首尾だ。ルートルフのお手柄だな」
「は」
「ゲーオルク、領地の担当の者に労いを伝えてくれ」
「承知しました」
赤髪の青年の顔が、いつになく生き生きと輝いている。
それを見ながら、宰相の顔もこちらを向いた。
「私からも礼を言う、ルートルフ。国にとっても我が領にとっても、この上ない朗報だ」
「ん」
「これからも、この調子で頼む」
「ん」
一度息をついて、ゲーオルクは椅子の上で伸びをした。
それから思い出したという顔で、王太子と僕を見回す。
「そうだ、殿下。例のルートルフに近郊の視察をさせる件、一つ認可が出ました」
「そうか、どっちだ」
「南西の森です。日時は明後日午後ということにしました」
「分かった。ルートルフ、ヴァルター、いいか?」
「ん」
「かしこまりました」
頷き合うところへ、宰相が口添えを入れてきた。
「供は、ヴァルターということになるか。ゲーオルクはどうするのだ?」
「私は、こちらで用事があります」
「それなら替わりに、ゲーオルクの護衛二名を伴うとよい。あと、赤子の長時間の外出だ、後宮の侍女を一名連れていくべきだろう」
「かしこまりました、話を入れておきます」
ヴァルターが筆記板に記入しながら応える。
王太子が僕を見て、訊ねた。
「あとは、ルートルフ、必要なものはないのか」
「しょくぶつずかん、もっていく。あと、さいしゅうよう、はものとふくろ」
「うむ。ヴァルター、準備しろ。もちろん、馬車とな」
「はい」
本来の用に加えてそんな打ち合わせをして、部屋を出る。
一緒に出てきた騎士団長が、「そう言えば」と僕の顔を見下ろした。
「先日のボイエ村周辺の件、取り急ぎオカラを搬入する手配をしたところだ」
「ん」
「そういう話を伝えたら、現地の年寄りが、なるほどそうかもしれぬ、という反応を返したということだ。かなり昔にも、イノシシ肉の不足で健康被害が出たことがあったそうでな」
「そう」
「ということで、お主には感謝している。結果が出たら、また伝えよう」
「ん」
こちらもかなりのご機嫌で、団長は別れていく。
車を押し始めながら、ヴァルターは息をついて、「すごいですね」と声を漏らした。
「なに?」
「ルートルフ様の知識です。立て続けに大きな効果を出しているじゃないですか」
「そう?」
「製鉄の件も今の村の件も、ほとんど国が救われるくらいの成果だと思いますよ」
「そうかな」
「そうですよ。もっと誇っていいし、褒められていいと思います」
「でも、もくてきたっせい、まだ」
「はい?」
「ぼうえき、かいぜん」
「ああ、それはそうですが」
「これから」
「はい」
部屋に戻って、午前の作業の続き。
ヴァルターは仕上がり間近の基礎文字表を見て、首を傾げていた。
「その目的達成、これが本当に役立つのですか?」
「たぶん」
「本当、なんでしょうね?」
「うまくいけば」
「……ですか」
情けない顔をされても。
今はこれ以上保証のしようもないのだ。
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