第18話 赤ん坊、村を考える

 そのまま宰相と騎士団長は、その先の実行策について論議を続けていく。

 武器の強化の件も交えて、話は広がっていくようだ。

 そうしながら、宰相はふとこちらに向き直って父に告げた。


「ああ、待たせてしまったが。せっかくの機会だ、ベルシュマンは父子の親睦をしていていいぞ」

「かたじけなく存じます」


 上司に軽く礼を返し。

 父は膝の上に僕を揺すり上げた。


「本当に健勝でいるようで安堵したぞ、ルートルフ。何か不自由していることはないか」

「ん。よくしてもらってる」

「そうか、よかった」


 先夜も考えたように、衣食住の物質面の配慮は十分すぎるほど、と思う。

 不便の点は、ここで愚痴っても仕方ない、という気がしてしまうのだ。


「いえは? かーちゃとみりっちゃは」

「うむ。やはり、ミリッツァの悲嘆ぶりは想像以上だった。ほぼ二日間泣き通しだ」

「わ……」

「ベティーナの手に余ったので、イレーネとイズベルガが預かることにしてな。イレーネが根気よく抱きあやしているうち、泣き疲れて縋りつくようになってきたようだ。ここまでずっと、夜もイレーネと一緒に眠るようになっている」

「そ」


 母に懐く様子を見せてきているということなら、ひとまず安心。

 大変だろうけど、母とベティーナにはもうしばらく頑張ってもらうしかないだろう。


「それを除けば、家内は安泰だ。ウォルフはこれまで以上に熱心に、勉強や剣の修練などに取り組んでいる。この冬からは貴族学院だしな。弟に負けない、恥ずかしくない結果を出すのだ、と決意しているようだ」

「ん」

「明日の夜は屋敷で、私の陞爵の祝宴を催す。お前にも出てもらいたいところだが、警備上の問題とお前の王宮での微妙な立場を考えると、控えた方がいいだろうな」

「だね」


 その後どうなっているのか分からないのだけれど、僕を公表されていない国王の実子として扱う案もある、ということなのだ。

 今からベルシュマン家の次男として公の場に出るわけにはいかない。


 その他の話題では、屋敷の使用人や護衛の増員の手続きを進めているという。

 知己の貴族家や王都の口入れ屋(人材斡旋業)などに募集をかけていて、来週には面接を始めるらしい。


 そんな会話をしているうち、ヘルフリートが茶を淹れ替えて運んできた。

 彼が給仕を務めていることからすると、この部屋は父の居室で、主人役となるようだ。

 僕の前には、ぬるま湯が置かれる。

 この時間も、数日前までとは比べものにならないほど発言することになってしまい、喉が乾いてしまっていた。父の手も借りて両手でカップを持ち上げ、口を潤す。

 公爵と侯爵も、会話を一段落してカップを手にしている。

 見ながら、そう言えば、と思い出す。


「だんちょ、ちょっとききたい、いい?」

「ん、何だね?」

「ボイエむら、しってる?」

「ボイエ村? 我が侯爵領内――確か南西の村だな。それが何か?」

「かわったこと、ない?」

「変わったこと? 何かあったか――」


 一度首を傾げてから騎士団長は顔を上げ、「クィントゥス」と向かいの壁際に呼びかけた。

 文官らしい男が、「はい」と応える。


「何か聞いているか」

「ああ、はい」文官は、驚きを隠せず目を丸くしている。「それが、はい。昨日報告が入りまして、詳細を確認してから閣下に上げるつもりだったのですが」

「何かあるのか?」

「はい。本当に切実な問題か不明なのですが、そのボイエ村を含む周辺のいくつかの村で、病気というか健康被害というか、少々異変が見られていると」

「どういうことだ」

「それが本当に、病気と断じるべきか判断もつかないらしいのです。そこそこ多くの住民が倦怠感などを訴え、農作業などに集中できていない様子が見られるということで」

「倦怠感? 発熱やもっとはっきりした症状があるわけではないのか」

「はい。足のむくみや微熱程度は見られるとか。何にせよ、もう少し調査をしてみませんと、はっきりしたことは言えません」

「うーむ」


 首を捻り。

 団長はこちらに視線を戻す。


「まだ訳の分からぬ噂程度らしいが。ルートルフ君は、何処からかそんな話を聞いたのかね」

「おうきゅうの、しりあいから、ちょっと」

「聞いての通り、重く受けとるべきかも判断できない状態だが」

「そこ、どんなむら?」

「農業が盛んな、小麦の産地、だな」

「なにか、かんきょうに、いへんは」

「聞かぬな。何かあったか?」


 再び、向かいに問いかける。

 文官は首を捻り、少し考えてから答えた。


「特に思い当たりません。小麦の産地ですが、昨年も今年の春も、豊作だったはずです。一昨年にイノシシを駆除してから、収穫量は上がったはずで」

「おお、そうだったな。そんなこともあった」

「いのしし、くじょ?」

「はい。その付近一帯では、山地に棲息する大型のイノシシがたびたび下りてきて、農作物に被害をもたらしていたのです。これがなければ収穫量がもっと上がるという判断で、一昨年に大がかりな駆除を行いまして、ほぼ里には下りてこないまで数を減らすことができました」

「ふうん」

「結果としまして、昨年と今年春には、小麦の収穫が以前より一割程度増加しています」

「ほう、それは目覚ましい改善と言えるな」


 文官クィントゥスの説明に、宰相が感心の顔で頷く。

 イノシシか、と僕は『記憶』に検索を求めた。


「そこのひと、いのしし、たべる?」

「ああ、はい。そういう土地柄、古くからイノシシを狩って食用にする習慣があったようです。成体はかなり大型ですから、一頭狩るとしばらくは村中の食料に不自由しなかったとか」

「いまは、かれなくなった」

「はい、里に下りてこなくなったので、そういうことになります。最近では他の多くの地域と同様、その一帯でも野ネズミを食用の肉として――」

「げんいん、それかも」

「何だ、ルートルフ君? 原因とは」


 騎士団長が、身を乗り出して問い返してくる。

 文官も、説明途中の口をぽかんと開いたまま。


「いのししにくの、えいよう、たりないと、びょうきになる」

「さっきの、倦怠感とかの症状の、かね」

「ん」

「しかし今も言ったように、イノシシの替わりに野ネズミは食料としているんだぞ。他の地域、王都の我々だって、野ネズミ肉の食生活で別にそんな病気にはなっていないだろう」

「のねずみにも、えいよう、あるけど、いのししよりすくない。いのししとおなじつもりだと、たりない」

「どういうことだね」

「ふむ、なるほど」


 首を傾げる団長の、隣で。

 宰相はゆっくりと頷いている。


「我々人間の食生活は、古くから理屈など抜きで、自然と必要な栄養は摂れるように習慣づけられている、と言われる。ルートルフの言うその栄養も、王都民などは必要量を摂れるように野ネズミを食しているのだろう。しかし今問題にしているその地域では、今まではイノシシで栄養が足りていたが、最近の食の変化でイノシシと同じ量の野ネズミしか食べないようになって、栄養不足になったということではないか」

「ああ」父が相槌を打って、「これまでもイノシシ肉は貴重なものとして村で分け合っていたのでしょうから、野ネズミも贅沢に増やさず、同じくらいの量で分け合っている、ということは考えられますな」

「ん」

「そうするとつまり、今問題になってきた健康被害には、イノシシ肉を食べさせればいいということになるのか?」

「しかしもう、イノシシを狩るのはかなり困難になっています」


 団長と文官は、困惑の顔を見合わせている。

 僕はその二人の顔を見回して、言葉を続けた。


「いのししにくか、なければ、のねずみをふやす。でなければ、こむぎはいが、おから、とーふ」

「オカラでもいいのかね?」

「ん。おおめにたべさせる」

「それなら、他の地域から回させることができるか。我が領ではかなり、トーフの生産が増えている」

「今やアドラー侯爵領は、国内一のトーフ生産地ですからな」


 父の言う通り。

 トーフの発祥はベルシュマン男爵領だが、キマメの収穫量と人口の関係で、瞬く間にアドラー侯爵領の方が生産量を増やしているのだ。

 頷いて、侯爵は文官に指示した。


「そういうことなら、速やかに手配せよ。問題の地域一帯に、他地域から野ネズミ肉と小麦胚芽、オカラ、トーフを回すように」

「はい、かしこまりました」


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