第17話 赤ん坊、戦闘を考える

 慌てて僕は小さな掌を前に突き出し、無作法かもしれないけど相手の言を止めていた。

 困惑し応答に詰まって、向かいに目を転じる。


「なのりをあげて、きりあう、じょうしき?」

「当然であろう」


 理知的な顔の宰相も、迷いなく頷き返す。


――わお。


 頭の中で、『記憶』の人型が天を仰いでひっくり返るのが、幻視された。

 どうも、かの戦の敗因は、こちらが古くからの慣習を変えずにいた、ということにもあるらしい。

「やあやあ我こそは○○《出身地》の●●《名前》なり! ~いざ尋常に勝負!」などと名乗り上げて個人に対しているうちに、相手はその口上の終わりも待たず複数で攻め立ててきたということか。


「なのりあげないしょうぶ、むこう?」

「無効とまでは断じられぬが、卑怯極まりないと言えよう」

「ひきょうなしょうり、こくさいてきに、みとめられない?」

「そう主張したいのは山々でも、結果的には通用しないな」

「じゃあ……」

「分かってはいるのだ。そのような礼儀や正当性などと拘っていても、勝負に負けては元も子もないのだということは」


 宰相との問答に、団長が溜息混じりの所感を入れてきた。

 天井を仰ぎ、いかにも遺憾の念を抑えきれない表情で。


「当然こちらもその反省を踏まえ、この二十年余りで戦法の見直しなどを進めている。しかし古来身についてきた常識、なかなかには刷り換えられぬのだ。特にほとんどが貴族子弟からなる騎士団員は、一朝有事の際には国軍の小隊長などを務めることになるわけだが、幼時より貴族の誇りなどを叩き込まれていて、容易にその意識を変えることは叶わぬ。いかにこちらから口を酸っぱくして言い聞かせようと、耳を素通りしたり、一度受け入れても親や祖父母の意見であっさり逆戻りしたりしてしまう」

「はあ」


――いや、分からないでもないけど。


 こんなことを僕に相談されても、困る。

 結局は騎士団員の意識改革、それを根気強くやってもらうしかないではないか。

 各領兵や国軍の下級兵などは平民からの徴用なので、意識づけは何とでもなるようだ。

 問題は貴族階級の者、ということになるらしいが、親世代も含めて意識を変えていく他ないだろう。

 僕としても、そこに何か便利な方法など、まったく持ち合わせていない。

 ――という僕の心の声を聞きとったかのように、騎士団長の顔は苦笑の形になった。


「いやさすがに、ルートルフ君にそんな貴族の意識を変える方策を求めたいわけではないのだ」

「はあ」

「もう少し説明をしておくと、騎士団の者たちが個人技に拘りを持つというのも、それなりに理由はあってな。我が国の騎士たちは、剣技などの純粋な技術だけで見るなら、他国と比べてもかなり優秀なことで知られている。五カ国親善の武闘大会を催した際にも、上位を占める人数は最も多かったほどだ」

「へええ」

「ただ武闘大会では平等に同質の木刀などを用いるわけだが、これが実際の戦闘になると前回は、武器の質の差があり、そこそこ兵の数に差がついてしまっていたということになる」

「ん」

「今回の製鉄の見直しで、あるいは武器の質の差は縮められるかもしれぬという光明が見えてきた。それに加えて一刻も早く、集団戦でも敵軍に引けをとらないという戦術、体制を確立して、これならいけるということを彼らに心から納得させることが肝要だと思うのだ。つまり、そんな戦術のようなものについて知識がないか、という相談でね。少なくとも我が国の国民は、その気になれば息を合わせて行動することにも秀でている。その辺りで何かうまいものはないか、と思うのだ」

「うーん……」


 多少の人数の差を克服できる戦術、という注文になるのだろうけど。

 そんな都合のいいもの、ほいほいと出てくるわけもない。

 そもそも現状この世界で行われているような、剣や槍、弓矢程度を武器とした基本肉弾戦、というようなものに関する知識、どうも『記憶』にはほぼ存在しないような感触なのだ。

『戦争』に関する知識を求めても、どうもここにはない火器、飛び道具、さらには大きな乗り物やへたをすると空を飛ぶ乗り物などという、到底夢としか思えないものばかりが出てくる。

 さらに言うと、算術や農工業などに関する知識と比べて、戦闘に関するものは僕の頭の中にまったく素地となるものがないとしか思えない感覚だ。

『記憶』から引き出されるものも何処となく遠い他人事、という感懐しか持てないことからして、あちらの世界で戦争というものが身近ではないのかもしれない、という気がしてくる。

 剣や弓矢の使い方、集団の人間で軍の配置のしかた、などはこちらでもさんざん工夫検討されているに違いないし、そこに助言できそうなものも出てこない。

 というわけで、僕としては現状、ただ唸るしかできないのだ。

『記憶』の検索を諦め、こちらの現実に頭を戻して。

 改めて最近の経験を見直して、わずかに、ちり、と脳の片隅をくすぐるものを覚えた。


「やはり、難しいかな。いや、すぐに浮かばないなら、無理を強いるものではないのだが」

「えと……てきのきせんをせいする、くらいでいい?」

「ああ、上手くいくものなら」

「みかたせんにん、てきせんにんくらい、ひゃくまーたくらいで、たいじした、とき」

「ふむ。千人と千人、百マータの距離、だな」

「『ひ』のかご、すうひゃくにんぶん、いっせいにふきかける」

「「「はあ?」」」


 こちらの大人三人が、一斉に素っ頓狂な声を上げた。

 壁際の文官たちも、同様の表情。おそらくヴァルター以外の全員が、同じ反応を見せている。

 ぽかんと口を開けた宰相が、困惑の声を返してきた。


「いやしかし、加護の『火』など、効果は高が知れているであろう」

「いや……」唸りながら、団長が声を漏らす。「試してみた経験はありませぬが、数百人分を一斉に集中したら、そこそこの火力になるかも……」

「そうか? しかしそれに、百マータ先にそれを届かせるなど……」

「いきをあわせて、『かぜ』のかご、すうひゃくにんぶん、いっせいにあとおしする」

「な……」

「のこり、『みず』と『ひかり』のもので、いっせいに、やをいかける」

「なんと……」

「てき、すうひゃくにんくらい、とうめんのうごき、とめられない?」


 うーん、と団長は腕組みで黙考を始めた。

 ややしばらく、時おり、む、む、と唸りを交えて。

 やがて、長々とした息がその口から漏れる。


「……使える、かもしれぬ」

「そうなのかね?」

「そういう対峙の際の定跡は、まず弓矢の攻撃への対策で、先頭に立つ数十人から百人以上の兵だけが盾を構えるものです。そこへ数百人分の『火』を吹きかけることができれば、盾では防ぎきれず先頭からある程度その先までが大混乱になることが予想されますな。そこへ一斉に矢を射かければ、さらにその奥の兵まで盾を用意する暇なく仕留められる可能性が十分に考えられる」

「結局、数百人程度に損害を与えられると?」

「その公算はあります」


 宰相の問い返しに、団長は髭下の唇を結んでゆっくり頷く。

 なお眉を寄せて、逡巡めいた熟考を続けているようだ。


「……しかし実行には、難しい障壁がありそうです」

「問題があるのかね」

「まちがいなく、騎士団の連中は素直に受け入れないでしょうな。その親たち世代にとってはなおさら、個人戦を捨てること以上に言語道断、そのような外連味の手練手管など騎士の風上にも置けぬ、などと言い出してきそうです」

「さもあらん……な」


 確かにありそうだ、と思う。

 個人戦で『火』や『水』を使うことさえ邪道だと考える集団らしいのだ、騎士団というのは。


――いやしかし、そんなこと言わせていられる状況なのか?


 別に僕としては、当事者たちがそんな立ち位置だとしたら、無理強いする気など毛頭ない。

 正直、勝手にしろ、という気分だ。

 いや、国の興亡がかかっているとしたら、そうも言っていられないのだろうけど。


「……一方で、騎士団でも頭の柔らかい若い世代なら、実効性があるとするなら受け入れる、という考えも生まれるやもしれませぬ」

「そうなのか」

「何にせよ、この発想が実現可能か、検証することでしょうな。実効性が見せられれば、周囲の受け止めも変わるかもしれぬ。ただ実現には数百人以上の息を合わせる必要があるわけだから、かなりの修練が必要です。これは騎士団や国軍では難しいでしょう。まず、我が侯爵領の領兵で修練を試みてみようかと思います」

「なるほど、それが現実的かもしれぬな。まず領兵で修練して効果を試し、実効性が得られれば、国軍にも見せる、と」

「はい」


――そんな悠長な手間をかける余裕、あるんだろうか。


 まあ、ここでとやかくいう気も起きないけれど。


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