第12話 赤ん坊、執務をする 2
湯気の立つカップを受け取り、一口してから、ゲーオルクは話し出した。
「製鉄の件、石炭を蒸し焼きにする窯を用意させた。さっそく今日から明日にかけて、運用を試させている」
「ん」
「蒸し焼きは一昼夜程度でいいんだったな? その後それを製鉄に使ってみて、今週中には最初の結果が出るだろう」
「ん」
「本来の作業を止めて、これに総力で当たらせているんだからな。失敗したら目も当てられねえ。本当に大丈夫なんだろうな」
「やってみなけりゃ、わからない」
「……だろうけどよ」
昨日王太子に釘を刺されたせいもあるのだろう、それ以上ゲーオルクは食い下がってこなかった。
自分の領地の命運が懸かっていることもあって、この件ではなかなか平静でいられない様子だ。
「ゲーオルク様、こちら、昨日と同様に各領から取り寄せてもらいたい植物のリストです」
「ふうん」
椅子に深く凭れたまま受けとって、一瞥。
もう一度その口に、大きな溜息が漏れる。
「これも、数撃ちゃ当たるの口か? やってみなきゃ分からんってのは分かるが、あまり外ればかり引くようだと、各領地の信用を失うぞ」
「かもね」
「まあ、昨日依頼した分は早ければ明日にでも届くだろう。それを調べての結果次第、だな」
「ん」
ふん、と鼻を鳴らして、腰を上げかけてから。
座り直して、ゲーオルクはこちらに目を向けてきた。
「そう言や、お前に関係するお触れがあったぞ」
「ん?」
「ベルシュマン卿の子爵陞爵の発表があった。明日、王都にいる貴族を集めて、陞爵の式を行うそうだ」
「そ」
「まあ俺たちのような次男坊にはお呼びはかからない催しで、直接の関わりはないわけだがな」
「ん」
ゲーオルクが出ていった後、ヴァルターに勧められて仮眠をとることにした。
二刻くらいで起こしてほしいと頼み、二人がけ用の椅子に横になる。
起きた後には、そこそこ疲労が緩和される実感が得られた。
その後、さらにいくつかリストアップした植物の取り寄せをゲーオルクに頼み、この日の執務は終える。
二冊の本とともに車に乗せられ、後宮入口に戻ると、ナディーネは静かに立って待っていた。
「では、ルートルフ様をお渡しします」
「はい、ご苦労様です」
丁寧に礼をして、引き渡しされる。
文官が去り、侍女に押されて大扉の中へ。
そこへ、後ろから声がかかった。
「あら、ナディーネじゃない」
「あ、はい」
振り返り、急いでナディーネは左側の壁に寄る。
壁を背に、膝をついて深い礼。
後ろから扉を入ってきたのは、女性ばかりの集団だった。
中央で豪奢な身なりの幼い少女が、今の声かけの主らしい。
その主を囲んで、侍女が三人、護衛らしい服装の女性が二人、付き添っている。
「ということは、その赤ん坊が例の田舎貴族の子ってわけね」
「はい、さようでございます」
侍女の脇から、少女が無遠慮に覗き込んでくる。
特に紹介はないが、まあ明らかにこの後宮の住人の一人、王女というわけなのだろう。 僕の情報がどう伝わっているのか、分かったものではない。いちおう車の上で神妙に顔を伏せておく。
おそらく本来なら、ナディーネと同様、床に膝をついて礼をとる立場になるのだろう。
一方で僕は、王太子から特に礼儀にこだわる必要はない旨承諾を得ている。またこれも本来、一歳三か月の赤ん坊がしっかり礼儀をわきまえていることの方がよほど異様な外観だ。
その辺をすべて考慮して、とりあえず神妙にさえ見せておけば問題にはならないだろうと思うのだ。
そんなことを考えている僕を、「ふうん」と王女はさらに寄って覗き込む。
見た目、ナディーネと同じくらいか、という年頃のようだ。
「ずいぶん賢い赤ん坊と聞いたけど、別にふつうにしか見えないじゃない」
「はい。でも一応、お食事や着替えなどは、お一人でなさいます」
「ふうん」
小さく鼻を鳴らして、それで興味を失ったらしく、王女は僕から視線を外した。
そのまま隣に目を移し。
「こんな貧乏くさいのの世話じゃ、ナディーネもつまらないだろうね。早くいなくなれば、こっちに戻ってこられるんでしょうに」
「はい」
「うかうかしていると、戻る場所もなくなってしまうかもしれないよ」
「……はい」
ふい、と向きを直し、そのまま王女は歩き出す。
周りの付き人たちも、整然と移動を再開している。
しばらく見送って、ナディーネは腰を上げた。その口元に、深い息が漏れる。
それから僕の方に、何処か金属的な視線が流れる。
もう一度息をついて、押された車は自室に入れられた。
部屋での活動は、おおむね前日と同様になった。
テーブルに向かって座らされ、すぐに食事が出される。
匙を口に運ぶうち、昨日ほどではないにせよ、全身に疲労が染み渡ってくるのが分かった。
何とか零さずに食べ終わると、すぐに食器が片づけられる。
その後は一点、昨夜と違う動きになった。
ナディーネは僕を抱き上げ、トイレなどに続く扉を開いて、独り言のように告げる。
「お風呂にお入りくださいね」
昨日は開かれなかった中央の扉を開くと、中は板張りの小部屋。どうも脱衣所のようだ。左側の扉の中が、浴室らしい。
「手拭いです」
やや大ぶりの布を渡され、床に立たされ。
そのまま、侍女は外に出ていった。
少し待っても戻ってこない。ということはやはり、
――予想はしていた、けれど。
入浴もセルフサービス、ということらしい。
ううむ、と僕は腕組みで考えた。
脱衣、着衣は一応一人でできる。
湯に浸かるのも、おそらくできるだろう。
問題は、身体を洗うのがどこまで可能か、ということだけれど。
まあ、何とかなるだろうか。
頷き、服を脱いで。
浴室へ続く扉を開く。
一瞬、白い湯気で視界が消える。
何とかよたよた中に踏み入り、ランプの明かりにようやく目が慣れて。
――え。
愕然と、した。
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