第8話 赤ん坊、単位を知る

 あと、早めに解決しておかなければならない問題を、思い出した。

 まだ机横に立っていた文官の顔を見上げる。


「そだ、ばるた、教えて」

「何でしょう」

「ながさと、おもさの、たんい」

「は?」


 標準無表情の顔に、細い目が丸められる。

 まあ、当然だろう。

 さっきまでかなり込み入ったレベルの会話をしていた当人が、常識中の常識を知らない、と打ち明けてきたわけなのだ。


――人に訊くの、忘れていた。


 領地の問題で兄と打ち合わせをする中で、細かい長さや重さの確認など、必要なかったのだ。

 大まかな想定さえ伝えれば、あと実現化に当たっての測量などは兄がやってくれていたのだから。


 ここにゲーオルクがいたら「そんなことも知らねえのかよ」と鼻を鳴らすところだろうが。幸い、まだ戻ってくる様子もない。

 少し困惑の顔ながら、ヴァルターは従ってくれた。


「分かりました。長さと重さの単位ですね」


 石盤を出して、筆記で説明してくれる。

 それによると。


 長さの単位。

 古代ナトナ神国の中央神殿に祀られていたナトナ神像の高さを、一マータとした。一マータの千分の一の長さを一ミマータ、千倍の長さを一ママータと定めた。

 成人男性の平均身長が一・六~一・七マータ、女性だと一・四~一・五マータ程度になる。

 ベルシュマン男爵領の領邸から王都まで馬車で一日半~二日程度かかるが、この道のりが百ママータ余りとなっている。


 重さの単位。

 縦横高さ十ミマータのますに入る水の重さを、一ガーマと定めた。一ガーマの千倍の重さを一マガーマとしている。千分の一で一ミガーマという単位もあるが、まず使われることはないという。

 升の一辺を十倍にすると水の重さは千倍になるので、千倍で単位を上げることにしたらしい。長さも千倍ごとに単位が変わるのは、これに合わせたのだろう。

 成人男性の平均体重が七十マガーマ程度になるようだ。


 ついでに、他の単位について。

 時間の単位。

 すでに知っている通り、一日が四十八刻。

 人が自分の行動などを考えるとき、一刻や半刻を目安にすることが多い。

 もっと短い単位として、ゆっくり瞬きをするくらいの時間を一スンと表現することもある。

 一刻が一八〇〇スンという換算になるらしいが、そんな正確に計って考える人は科学者など専門家の他にはほとんどいないようだ。

 一般人たちは「ゆっくり十数える時間が十スンくらい」という感覚で使って、お互い通じている。


 金の単位。

 金銭の単位はヤーヌ。屋台の軽食が一食十~五十ヤーヌ程度、つつましい平民四人家族の生活費がひと月一万~二万ヤーヌくらいだという。

 貨幣は、一ヤーヌ銅貨、百ヤーヌ銀貨、一万ヤーヌ金貨、という形でだいたい流通しているようだ。


 といった辺りを押さえていれば、だいたい話は通じるようだ。

「ありがと」と礼を言って、講義を終わりにする。


 その後、しばらく本を読んでいるうち。

 少しずつ、意識が溶けていく感覚が混じるようになってきた。

 簡単に言うと、眠たい。

 これまでも同じような時間帯、兄と一緒に読書などに耽っていることは多かったのだけど。

 やはりこの勤務初日、気疲れすることが多かったということだろうか。

 何とか睡魔と闘っているところへ、ヴァルターが声をかけてきた。


「十刻を過ぎるところですね。本日は終わりにしませんか」

「ん」


 王宮に勤める役人たちの勤務は通常、朝の六刻から昼二刻分の休憩を挟んで午後の十刻までとなっている。

 机の上の板本を片づけ、ヴァルターは僕を抱き上げて赤ん坊車に乗せた。

 指示して、家から持ってきた荷物と今読みかけの本を二冊、一緒に乗せてもらう。


「後宮までご案内します。私は後宮の入口までで、向こうの付き人と交代することになりますが」

「ん。よろしく」


 執務室を出て、朝来た方とは逆の奥方面へ進む。

 廊下を間もなく右に折れ、すぐ左に入ると、豪奢に重そうな両開きの開き戸が閉じられていた。

 その傍ら、剣を提げて門番のように壁を背に直立する男と、侍女らしい白いエプロンを着けた少女が立っている。

 ヴァルターは、その侍女に声をかける。


「ルートルフ様の、付き人かな?」

「はい、お世話を承っております、ナディーネと申します。よろしくお願いいたします」

「文官のヴァルターです。よろしくお願いします」


 ナディーネは、かなり暗い焦茶色の髪を二本のお下げにまとめた、小柄な少女だ。年頃はベティーナより少し上、十歳を過ぎたくらいに見える。

 二人の挨拶に僕も声を入れようとしたけれど、かなり重くのしかかってきた眠気に口がうまく開かず、「ふぁう」と息が漏れるだけだった。


「聞いていると思いますが、これから毎日朝の六刻前と午後の十刻過ぎに、ここでルートルフ様のお世話を交代することになります。こちらは原則私が担当しますが、そちらはずっと貴方が担当ということで、まちがいありませんか」

「はい、そうなります」

「ルートルフ様の身辺に気を払う必要があります。それではお互い、この相手以外には絶対ルートルフ様を渡さないように、気をつけましょう。もし担当が変わるようならなら、必ず事前に知らせる、ということで」

「はい、承知いたしました」

「今日はルートルフ様はかなりお疲れですので、食事をとって早めにお休みいただいてください」

「承知いたしました」


 真っ直ぐヴァルターの顔を見て応える様子からして、しっかりした性格のようだ。

 そのまま赤ん坊車の持ち手を受け取り、大きく礼をとる。ヴァルターに向けて。


「それでは、失礼いたします」

「よろしくお願いします」


 門番――と言うより扉番か――その大柄な男に向けてナディーネが会釈すると、すぐに大きな扉が静かに開かれた。

 扉の向こうには、こちらと一変して柔らかそうな緑の絨毯が敷かれた廊下がずっと奥まで続いていた。

 十~二十マータはありそうな、かなりの間隔を置いて右側にぽつりぽつりと扉が見えている。つまりは、聞いている通りこれらが王子王女や妃たちの持ち部屋だとしたら、それぞれがずいぶんな大きさだということだろう。

 絨毯の上を車が進んで。これも聞いていた通りすぐ手前の扉にナディーネは手をかけた。


――広い。


 というのが、第一印象だ。

 車に乗せられて初めて入った部屋は、ベルシュマン男爵領地邸の広間より二回り程度大きく見える。

 その室内に物が少ないのも、広く見える理由かもしれない。

 右の壁側に応接用っぽいソファと低いテーブル。中央少し左寄りに、王侯貴族たちのティータイム用を連想させるやや小ぶりで高めのテーブルと椅子。

 どれもかなり高価な作りに見えるのだけれど、室内にはほぼそれだけしかない。あとは左奥手の壁際に大ぶりの飾り戸棚が置かれているが、中にも上にも何も置かれていない。

 壁は、一面白く塗られている。

 目を惹くのは、正面奥に半分閉じられた草木の意匠らしいものに飾られた大きなカーテン。間に大きなガラス戸が見えていて、ベランダに続いているのではないかと思われる。

 家具類はほぼそれだけなので、橙色の絨毯の大半が露出して、広々と見せているのだ。

 この贅沢な空間使いが王宮流なのだろうか、と思う。

 左手の壁手前に扉が見えているのは、もう一部屋に続いているのだろう。


「こちらにお座りください」


 ナディーネは僕を抱き上げて、高いテーブルに向かう椅子に乗せた。

 当然ながら、僕用に調節された高さの椅子だ。


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