第7話 赤ん坊、特許を知る

「領地の者に、鳩便で指示を送ろう。人を走らせても二日程度かかるし、製鉄道具をこちらに持ってくるわけにもいかない。何とか鳩便のやりとりで、こないだまで一緒に研究していた奴なら、動かせると思う」

「ああ、時間がもったいないものな。それですぐ動いてみろ」

「じゃあ殿下、ちょっと失礼」


 慌ただしく、ゲーオルクは部屋を出ていく。

 それまでのやる気があるのかないのか分からない様子から一変して、見るからに気合いの籠もった性急な足どりだ。

 苦笑と真剣さの半ばした表情でそれを見送り、王太子はテーブルの上に目を落として、少しの間考え込んだ。

 そうして、「ヴァルター」と窓際の席に声をかける。


「ダンスクの製鉄は、多国間特許に申請されていなかったはずだな?」

「はい、そのはずです」


 書板を確認して、文官は答える。

 小さく頷いて、王太子は椅子の背にもたれ直った。


「なら、今の件、かの国の技術と類似していても公式には問題ないわけだ」

「たこくかんとっきょ?」

「ああ、これもルートルフは知らなかったか。知っていた方がいいかもしれないな。グートハイル、ダンスク、ダルムシュタット、シュパーリンガー、シュトックハウゼンの五カ国が参加している協定のようなものでな。農工業の技術などが審査の上登録されたら、他者がそれを使う際には登録者の許可や使用料が必要になる」


 今挙がった五カ国は、何処もだいたい南北に細長い国土で、それぞれ隣接して大陸中央部で東西に並んでいる。

 西から順に、シュトックハウゼン、シュパーリンガー、ダンスク、グートハイル、ダルムシュタットとなっている。国土面積と人口はダンスクとダルムシュタットが同程度で大きく、残り三カ国はその半分から七割程度だ。

 軍事経済的には、ダルムシュタットとシュパーリンガーがグートハイルと友好国、シュトックハウゼンがダンスクと友好国で、二つの友好圏が互いに牽制し合っている状態だという。


「せいてつ、とっきょ、しんせいしてない?」

「ああ。ダンスクでは明らかに、他国にはない製鉄技術を持ち合わせているはずなのにな。おそらくのところ、よほど他国に情報漏洩しない覚悟や自信があるのと、秘匿したい都合があるということなのだろうな。特許登録してしまうと使用料などは得られるが、逆に条件を満たした相手には技術公開する義務が生じるわけだから。それに、少なくともその特許機構には技術が記録保管されるわけだが、そこからその片鱗なりとも漏洩する危険がないとは言えない。他国に対する軍事力優位のかなめなわけだから、どんなことがあっても情報を出すことを避けたいのだろう」

「なるほろ」

「おおよその傾向で言えば、どちらかというと工業技術は秘匿のままにされることが多い、農業関係は特許登録されることが多いかな。最近の話題でいけば、アマキビによる製糖技術はダンスクがすでに登録しているわけだが、今我が国の方からアマカブの製糖について特許申請を出している。これについてダンスクから自国の特許に抵触すると横槍が入って、少々揉めている状態だ」

「そう」

「明らかに違う技術なのだから、審査されれば認められるはずなんだがね。何にせよそこに五カ国の力関係が微妙に影響して関与するわけだから、こちらとしても安穏とはしていられない」

「今現在も、ダンスクからアマカブ糖の製造、輸出をやめよ、と強硬に要求が入っているらしいですね」

「ああ。審査が終了するまで製造を中止せよ、という要求だ。しかしそんなのは、こちらの技術があちらの特許に抵触していると証明した上でされるべきもので、一方的な主張に従う道理はない。審査に時間がかかるのは当然で、それを待っている余裕などないからね。場合によっては、一時のつもりで中止に従っているうち、何らかの方法で審査結果が出るのを先延ばしにされる、という事態だって考えられる」

「ですねえ」


 机のヴァルターと、王太子は頷き合う。

 その視線を、僕の方に戻してきた。


「実はその点で、失敗したという結果になっているのは、天然酵母の件でね」

「え」

「宰相もベルシュマン卿も、天然酵母はその特許申請する価値がある、という見解ですぐ準備を始めていたんだけどね。あの新しいパン作り技術の広がる速さが、想定を遙かに超えていたんだ。貴族から庶民まで、ほぼすべての家庭に必要とされ歓迎される技術なわけだから、予想してしかるべきだったのかもしれないが。あっという間に国内全域に知れ渡った。ということは、行商人などの口づてに早晩他国にも伝わるのを止めるのは難しいわけで、気づいたときにはもう手遅れ状態だったわけだ」

「ああ」

「何よりもあの天然酵母というもの、作るのが簡単すぎて、庶民の間でもすぐに定着してしまうという話だからね。もう他国の下々の台所まで浸透した技術にかなり遅れて特許が認められても、もうそれを禁止したり使用料をとったりするのは事実上不可能だ」


――まあ、領民が手軽に使えるように、ということで考案したものだからなあ。


 他国も含めて民衆の生活が豊かになる、ということでは喜んでもいいのかもしれないけど。

 こうして貿易戦争を間近にしてみると、かなり強力な手駒になったはず、という悔いが残ることになる。


「まあだから、今後同じような技術を生むことができたとしても、その情報伝播については細心の注意を払いたいわけだ」

「ん」


 まあ僕としてはそういう際も、王太子や宰相たちに任せる他ない。とりあえずはゲーオルクを通じて報告・連絡・相談を欠かさないようにしておけばよいのだろう。


「じゃあ、初日に確認しておくべきところは、こんなものかな。さっきの製鉄の件や植物見本を取り寄せる件で成果が出たなら、初っ端から期待以上の首尾ということになる。この調子で願いたいとは思うけど、やはりルートルフに必要なのはこの世界の情報の取り入れだね。ヴァルターを助手に、そこからしっかり進めてくれ」

「ん」


「じゃあ失礼」と手を振って、王太子は退室していった。

 僕はヴァルターに定位置の椅子に戻してもらい、また図書館の本に目を通していく。

 いちいち助手を呼ぶのも申し訳ないので自分でページをめくるが、木の板の重さは赤ん坊の手になかなかの難物だ。

 文官は自分の机で板に筆記をしている。どうも、今日の王太子を交えたやりとりのまとめらしい。

 一連の会話を思い返して、僕は問いかけた。


「わがくに、もっこう、こまかいかこうがとくい?」

「そうですね、はい」

「てさき、きようってこと?」

「はい。一般的に、我がグートハイル王国の国民は、手先が器用ということで他国にも知られています。逆に大がかり、大雑把な作業の進捗に、妙な拘りが入ってもたつくことがある、というのが短所とも言えますね」

「ふうん」

「そう言えば、細かい加工というのも、木工に限らないんですよ。例えば――」


 ごそごそと机の引き出しを探り、ヴァルターは小さな物を手にして寄ってきた。

 僕の目の前に、握っていたものをころころと並べ置く。


「ほら、こんなの。子どもの玩具なんですけどね」

「へええ」


 それは、大人の親指の先ほどの大きさをした、綺麗な球形だった。

 赤、青、黄、白、黒、とそれぞれ単色、五色に塗り分けられた五個が揃っている。

 子どもが地面や板の上などで転がしたり、弾き合ったり、という遊戯の様子がすぐに頭に浮かぶ。


「これ、いし?」

「そうです。かなり硬い石を磨いて作るようです」

「しゅごい」


 目線を低くして水平に見比べても。

 五個の石は、ほぼ寸分の差もなく同じ大きさの、正確な球形にできているようなのだ。

 硬い石を磨いて作っているというなら、その磨き、相当な熟練の技と言えそうだ。


「ここまで綺麗に揃えて作れる職人は、王都でも数人らしいですけどね。庶民に普及しているものは、もう少しばらつきがあるようです。これはたまたま、貴族の子どもの使い古しを譲ってもらったもので」

「へええ」


 試しに、指先でつついてみる。

 綺麗に平らな机の面を、黒い球形はほぼまったくぶれることなく真っ直ぐ転がり、ヴァルターの手元で押さえられた。


「しゅごい」


 もう一度唸り、観察に満足して、玩具を文官に返す。

 これほどの技能の石磨きの職人が、王都に数人存在する。

 同じほどのレベルの木工職人がさらにいることが期待される。


――何か必要な、細かい作業を依頼することができるかも。


 もう少し正確に実態を把握しておきたい、と心中の予定に刻んでおく。


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