第5話 赤ん坊、昼食をとる

「ナガムギは王都ではあまり受け入れられないので、エルツベルガー侯爵領などでそこそこ余剰を抱えていると聞きます。食べやすく流通するなら、小麦が不足してもその補いとできるかもしれません」

「なるほどな」


 ヴァルターの補足に、王太子は頷き返している。

 それから、と、僕は机の上の書板をヴァルターに持ってきてもらった。


「もしかするとしょくようになるかもしれない、ずかんからみつけた」

「何だ? ラッヘンマン侯爵領のシロカオバナ、グロトリアン子爵領のキナバナ……他にもあるのか。これって皆、雑草じゃないのか?」

「図鑑の記述を見る限り、雑草扱いでこれまで食用として取り上げられたことはないようですね。むしろそうだからこそ、使えるとなったら大きな朗報になるんじゃないですか」


 覗き込んで、ゲーオルクとヴァルターが論評する。

 王太子も頷いて、確認してきた。


「つまりはルートルフの知識にこれらと近い食用のものがある、本当に合致するかは実際確かめてみなければ分からない、ということなんだね?」

「ん」

「そんな、当てにならない――」

「そういう当てにならない段階のものでも取り上げて調べてみるのが、この部署に期待されているところなんだよ、ゲーオルク。この先が君の仕事だ。各爵領に渡りをつけて、これらの実物見本を取り寄せてくれ」

「……分かりました」


 ヴァルターが別の筆記板に要点を書き出して、ゲーオルクに手渡している。合計六種類の植物のリストだ。

 やや渋々の顔で、ゲーオルクはそれを脇に置いた。

 取り寄せの手順を話しているうち、外から鐘の音が聞こえてきた。昼の一刻を告げる、教会のものだ。

「午だな」と、王太子は顔を上げた。


「続きは、昼食の後にしよう。ゲーオルクは今の件、手配を頼む」

「承知しました」


 王太子とゲーオルクはそれぞれ自室で食事だということで、出ていく。

 僕とヴァルターの分は予め手配されているという話で、文官が運搬のため出かけていった。

 すぐにヴァルターは、盆を抱えて戻ってくる。


「ルートルフ様のお食事は、王子殿下たちの分をずっと担当している後宮の料理人が作っているそうです。味や量にご注文があれば言ってください、ということでした」


 言いながら、机の上に深皿とスプーンが置かれる。ふつうに、野菜や穀物を煮込んだ離乳食のようだ。


「ありがと」

「一人でお召し上がりになれると伺いましたが、よろしいですか? 必要なら補助いたしますが」

「だいじょぶ。たぶん」

「そうですか」


 基本無表情な顔にわずかな笑みを浮かべて、文官は一歩下がった。

 本当に大丈夫なのか、見守るつもりらしい。

 少しだけ緊張して、僕はスプーンを手に取った。


「いただきます」


 そこそこに、おいしい。

 王都の料理は味つけがきついと聞いていたので不安があったが、さすがに離乳食は薄味だった。

 穀物も野菜も種類は分からないけど、何とはなしにこれまで口にしてきたものより高級品ではないかという気がする。

 少し観察して、安心したようにヴァルターは席に戻った。


「失礼して、私も食事させていただきます」

「ん」


 ふつうこういう執務室での慣例はどうなっているのか知らないが、時間の無駄は避けて文官も上司と一緒に食事をすることで問題ないと思う。

 ヴァルターの分も、王宮調理室で職員用に作られているものだという。


 食事をしながら、いろいろ話をした。

 ヴァルターは王都で生まれ、ほとんどここを出たことがないという。

 兄弟は兄が一人、妹と弟が一人ずつ。

 父親は三年前に死亡。兄は現在、シェーンベルク公爵家の文官として、王都を離れている。

 このため今は、王都に住む母と妹弟の生活を、兄の仕送りとヴァルターの稼ぎで支えているようだ。

 妹はもうすぐ十二歳になるので、どこか貴族家の侍女などの仕事を見つけてやりたいと思っている。

 等々。


 また、これから僕が住むことになる後宮についても、知っている限りで話してくれた。

 現在の後宮には、正妃と第二から四妃が住んでいる。貴族院入学前の王女と王子が少なくとも一人ずついるが、それ以上いるかいないかは公表されていない。

 全体の統括は、正妃の指示を受けて女官長が取り仕切っている。

 ここまでは、父やヘルフリートから聞いている情報と同じだ。

 あと、王宮に勤務していて漏れ聞こえてくる噂では。

 正妃は、公の仕事に関しては淡泊な様子に見える。王位を継ぐ予定だった実子二人を疫病で失ってからは、公務などへの意欲をすっかり失ったかのようだ。

 国の重大行事、他国の貴賓の歓迎、などには当然臨席するが、その他については、第二妃に立ち位置を譲っていることが多い。現王太子の母である第二妃の立場を尊重しているということもあるかもしれない。

 ふだんは後宮の最奥に居住し、ほとんど外出をすることがない。侍女や専門家を相手に『ラヌカ』というゲームに興じていることが多いという。

 本来なら正妃があまり表立って出てこない分、替わって第二妃の露出が増えてもよさそうだが。現状ではこちらもあまり目立って外に出てくることがない。

 後宮内の采配も、現王太子の子育てが終わってからは。ほとんど関心を失っているかのようだ。どことなく悠々自適という印象さえ受ける、閑かな生活を送っているらしい。

 これらの事情から、現在後宮内で強い影響力を持っているのは、第三妃と第四妃らしいと言われている。

 最も権限を持つのは正妃でまちがいないのだろうが、実際のところ女官長とやりとりをして仕切っているのは、こちらの二人ということになっているらしい。

 特に、もうすぐ貴族学院入学となる王女の教育等にいろいろ配慮がいるので、生母である第三妃の発言が強くなっているようだ。


「今回のルートルフ様の後宮入りについては、陛下から直々に王妃殿下を通じて命じているので、しっかり準備されているはずですよ」

「ん」

「もちろん私などは拝見したことがないのですが、王子王女のお住まいは、最低二室の間取りと聞いています。そこに、現在の王子王女殿下でしたら、五人から十人の侍女がついてお世話しているとか。こう言っては何ですけど、そちらの方々ほどではないにしてもそれに近い生活準備がされているはずです」

「ん」


 本音を言うと生活レベルにはたいして関心がないので、軽い相鎚で応える。

 まさか王宮で、衣食住に不自由のある生活を強いられることはないだろう。

 今までの、赤ん坊二人がベティーナ一人に世話される生活よりは向上するのだろう、と漠然と考えるばかりだ。

 もっとも、

『初めての環境に移って、まず最初に仕事場の方へ連れていかれるのか? 新入社員でも転勤でも、生活の場の確認が優先、というのは常識だろうが!』

 という『記憶』の意味のとりにくいぼやきが、少しばかり気になってはいるのだけれど。

 まあおそらく、無視していいツッコミなのだろう。この世界、あちらとの齟齬を数えればキリはない。


 食事を終え、食器類をヴァルターが片づけてくれる。

 ついでのように、どこか楽しげに僕の口の周りをナプキンで拭いてくれた。

 書棚に用意されていた図書館のものだという本に目を通しているうち、王太子とゲーオルクが戻ってきた。


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