第4話 赤ん坊、王太子と打ち合わせる
「さて、雑談はこれくらいにして、本題に入ろうか」
王太子が口調を改めるのに合わせて、ゲーオルクも背筋を正している。
茶道具を片づけたヴァルターは、自分の席で筆記用具を取り出している。
「何度も言っているように、時間の浪費は許されない。この部署は、ルートルフの発想を国の行政や産業に活かすことを目的に、立ち上げられている。目標は、近い将来に予想されている貿易戦争に勝ち抜くこと。ゲーオルクとヴァルターの任務は、ひとえにルートルフを補佐してその発想を実現化に結びつけることだ。ゲーオルクには主に、宰相や他の役所などとの繋ぎを担ってもらう。ヴァルターは予算管理、資料準備、その他ルートルフの活動に関するすべての補助、だな」
「はい」
「このジャリに、本当にそんな能力があるのなら、だな」
「そこは、ゲーオルクが自分で判断せよ。それから二人の重大な役目は、ルートルフの相談相手となって、まずは常識を補うことだ」
「常識?」
「ルートルフは我々には想像もつかない質と量の知識を秘めていることが、確かめられている。理解力発想力の点では、大人を凌駕するレベルと聞く。しかしこの世に生きていくための一般常識は、一歳児の域を出ていないそうだ。ここでの活動においては、すべて事細かに渡って、二人がそれを補って進めていく必要がある」
「へッ」
ゲーオルクが、鼻息を荒くする。
じろり横目をこちらに飛ばして。
「そんな悠長な真似をしている暇があるのか? 年寄りたちにまともな発想ができないから赤ん坊に頼ると言って、そのためにジャリの教育が必要ってのか? それくらいなら、俺たちのような若者の考えをまずもっと聞いてもらいたいもんだ。年寄りに門前払い食わなければ、もっと何とかできるだろう素案はいろいろあるんだ」
「ここ一~二か月で貿易収支を改善できるというのか?」
「いや、一~二か月でと言うわけにはいかないが……」
「ルートルフの天然酵母と製糖は、男爵領から広め始めて、三か月ほどで貿易額に影響を見せているのだ。自領にあったものを使っただけで、この結果だ。中央にいて全国の農産物などを見直せば、これ以上の結果が確実に見込まれる」
「く……しかしそれも、本当にこいつの頭から出た発想だという確証があればの話だろう」
「陛下と宰相の判断が信用できないと?」
「いや、そういうことでは……」
「宰相からゲーオルクを推薦される際に、その考えは確認している。お前がルートルフにその価値がないと判断できたなら、この任を外れていい。しかしその判断ができないうちは、全力でこれに当たれ」
「う……」
ぐっと声を呑み込んで、一呼吸の後。
ようやく聞こえるかという声で、ゲーオルクは「かしこまりました」と返した。
「うむ」とだけ応えて、王太子はそちらから離した視線を僕とヴァルターの方へ回した。
「とにかく、素速い動きが望まれる。ルートルフに関しては、予算の面でも特別の扱いが認められた。当然上限はあるが、とりあえずの試みに使う経費は、ルートルフの一存で目的説明を抜きに、ヴァルターを通じて出費して構わない。もちろん、記録は残して後日の説明は必要だがな。大雑把に言って、王族の小遣い程度の額までなら、自由に使って構わない。試みが失敗に終わったとしても、その正否は問われない」
「破格の扱いだな、それは」
「それだけの期待の重みがあるのだ。三人とも、そのつもりで当たってくれ」
「ああ」
「かしこまりました」
窓際の机から顔を上げて、ヴァルターも礼を向けてくる。
そちらに目を転じて、王太子は問いかけた。
「まずルートルフには、この国の地理や農産物などの知識をつけてもらう必要がある。ヴァルター、その資料は揃えているか?」
「はい。図書館などより一通り集めて、そちらの本棚に用意しております」
「よし、ルートルフは当分、そちらを当たっていってくれ。その前に確認しておきたいことは、あるか?」
「いくつか」
「何だ」
「ぼうえき、きほんちしき。わがくにのゆしゅつ、おおいの、もっこうひん?」
「そこからかよ……」
これ見よがしに額を手で覆っている、横手の男は無視。
王太子と文官の顔を見回すと、向かいから頷きが返ってきた。
「そういうことになるな。我が国で他国を凌駕すると誇れるのは、まず木工製品だ。この加工産業はかなり王都に集中しているから、確かにルートルフはあまり知らないかもしれないな。ヴァルター、説明してやってくれ」
「はい、かしこまりました」
頷いて、文官は机から木板の資料らしきものを取り出している。
こういう質問があっても大丈夫なように予想して、準備していたものなのだろう。
さっきからこちらのやりとりについてメモをとっているらしい様子も合わせて、記録の習慣が乏しいらしいこの国の役人の中で、なかなか有望に思える。
「ご指摘の通り、我が国の輸出額で、木工製品の占める割合はおよそ四割になっています」
と始まったヴァルターの説明と、事前に調べていた知識を合わせると、次のようになる。
そもそも我が国では他国と比較して、ふつうの農産物の生産に対する木工製品の生産割合が高い。
大きな理由は、国土面積の中で森林が七割近くを占めるという事情による。
単純に言って、農業に使える平地が少ないのだ。結果として、森林から産出されるものを生きる糧としなければならない。
そんな古くからの環境で、この国では木の加工技術が発達している。
大きなものは建築関係から、家具類、馬車の車体の製作、小さなものは装飾品、玩具類まで。特に細かい加工技術の巧みさが他国にも知られ、重要な輸出品となっている。
「例えば、この椅子の背板に彫られた葡萄模様の装飾など、まず他国では真似のできない技術なのだよ」
自分の背をずらして、王太子は脇の木板を撫でてみせる。
椅子の背からはみ出すほど立体的に彫り出されたそれは、確かに巧みな技術によるものだと分かる。
その他でいくと、馬車の車軸の安定性では、我が国産のものがピカイチなのだそうだ。
「しかしルートルフの知識でこの木工産業にテコ入れというのは、なかなか難しいんじゃないのかな」
「たぶん、すぐにはむり」
「無理なのかよ!」
横からのツッコミはスルーして。
向かいを見直すと、王太子は小さく嘆息を零していた。
「この点も、いざ貿易戦争のような様相になると、我が国の不利なところなんだ」
「ん」
「もし二国間や多国間で相手国からの輸入を制限するなどの我慢比べを始めたら、この木工製品に関しては当分の間我慢するということができてしまうからね。建築に関するものも家具類も、我が国のものが品質がいいというだけで、必要最小限の機能を果たすものはどの国でも自給できるのだから。食料品などに比べたら、緊急性がまるで違う」
「ん」
「やはり優先的に考えなければならないのは、農産物だと思う。現在の我が国の小麦消費は、一割ほどを輸入に頼っている。この輸入分がもしなくなったとしても他の穀物などでしのぐことはできるだろうが、事は主食に関する問題だからな、国民の心理的に打撃は大きいだろう。さらにもし、次の国内での小麦の収穫が例年より減少するようだったら、ますます打撃は大きくなる」
「ん」
北方の領地では元からほとんど自分たちで収穫した白小麦を口にすることはできず、黒小麦やゴロイモだけで糊口を凌いできたわけだけど。南方ではそういう境遇に慣れていない分、小麦が減らされるのは応えるのだろう。
それにしても非常時になったら、白小麦の分を代替品で凌ぐくらいは堪えてもらわなければならない。飢えや栄養の偏りが生じないようにだけは、重々気を払う必要があるが。
「ながむぎ、たべやすくなるかも」
「ナガムギ? それは何だ」
王太子は、知らなかったらしい。
主に国の東から北東の地域で収穫されているようだ。蒸して潰すことで、粥にするなど扱いやすくなる可能性がある、近々ベルシュマン男爵領の方でその検証を行うはずなので、結果を待ちたい。
先日父や兄に説明したことをくり返すと、ゲーオルクとヴァルターも食いつきを見せてきた。
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