第55話 赤ん坊、拝謁する 4
長いつき合いなのだろう宰相は、わずかに痛ましいものを見る目つきをしてから、口元を引き締めて続けた。
「具体的には、ルートルフを後宮に住まわせて王子と同等の扱いとする。ほど近い執務棟に部屋を用意し、そこへ通わせる。ルートルフの発想を実現化するための補佐や配下の者を数名つける。まず着手するために、国の地理や産業に関する知識をつける必要があるのであろう? そのための資料を揃えるし、王宮図書や貴族学院の図書室の閲覧も必要に応じてできるように取り計らう」
「補佐などがつくのですね」
確認のように、兄が頷く。
それに、宰相は「うむ」と首を縦に揺らす。
「それでは、私をその補佐に加えていただけませんか。ルートルフの意思を酌みとることには慣れております」
「その意味では任に適していると言えるかもしれぬが、できぬ」
「何故、ですか」
「先ほど申したように、そのような任に成人前の貴族の子弟を就けることはできぬ」
「そう……ですか」
まだ不承不承の様子ながら、兄は首を垂れた。
それを見て、王太子は小さな溜息をつき、苦笑顔を向けてくる。
「申し訳ないがね、ウォルフ君。いわゆるぶっちゃけた言い方をさせてもらうと、これをできるだけ
「急ぐためには、私が邪魔になるということでしょうか」
「能力や適性とは別の点で、だね。この件を迅速に進めるためには、全国の貴族たちの協力が不可欠だ。そのために、極力小さな疑念や不満も持たせたくない。ルートルフ君から出る発想が一部の領地や派閥の利益に偏ると思わせると、面倒極まりないんだ」
「ああ……」
「そのために、ルートルフ君の補佐等は宰相の周辺から取り立てるつもりだ。宰相が派閥的に中立の立場なのは、認知されているところだからね」
「は、理解しました。僭越を言い立てて、申し訳ございません」
「その意味でもたいへん心苦しいのだが、ルートルフ君には生家との関わりを極力遠ざけてもらう。ただ幼い身でそれを完全に絶つのも無理があるだろうから、週に一度程度は宰相への報告を兼ねてベルシュマン卿との面会の場は設けることにしよう」
ひく、と父の身に震えが走った。
――週に一度、ですか。
それを、大いに譲歩した、とばかりに言われてもなあ、と思う。
つまりのところ、当面なのか生きている間二度となのか知らないが、兄にも母にもミリッツァにも会えなくなる、ということらしい。
生後一年の身に、それを
いや、通常の赤ん坊ならその前一年の記憶など引きずらず、難なく新しい環境に慣れていくということになるのかもしれないけど。
――この人たち、特殊と認識している一歳児を、都合よく解釈して扱おうとしていないか?
まあすでにこの三名の中ではすべて決定事項で、反論するだけ無駄だという気がするわけだが。
『心苦しい』とは口にしながら、どの顔にもその辺に関するためらいの片鱗も窺えない、気がする。
「とにかくルートルフ君に不自由はさせないので、卿もウォルフ君も、そこは心配しないでもらいたい」
「は」
結論づけるような王太子の言葉に、父は呻くような低声を返す。
国王と宰相は、小さく頷きの顔を見合わせている。
俯きながら、苦渋を隠せないでいる父の表情。
そのまま正面に向けたら、問題になりそうにも思える、が。
部下の様子をとりなすつもりだろう、宰相は隣に何度も小さく頷きを向けている。
「男爵の懸念は無理のないところですが、納得を得られたようです、陛下」
「問題ありません。卿には先ほど別室で、全面協力の誓いをもらっておりますし」
王太子も、軽い口調で父親に説明している。
かすかに、兄の頭が傾けられたが。
その点、僕には呆れと諦めを交えて回想されていた。
さっき「言質を取った」と悪戯めかせて王太子が確認したあの件。
あの内容を話すとき彼は、肝心な部分で『ウォルフ君』ではなく『卿のご子息』という表現をしていたはずだ。『学院入学前の』という形容もつけていたか。
つまりあの時点から王太子は、すべてそれらが僕を指していたと強弁できる配慮をしていた。
今回の国家危機への対応のため僕を働かせることを、父からあのとき承諾を得たと言ってもいいことになる。
そもそも過日の領訪問時の言動で「嘘はついていない」と喜々として説明していた彼の言語感覚、侮ってはいけなかったのだ。
「ではよいな、ベルシュマン。もう時間の余裕はない。三日後にルートルフに迎えを出すので、それまでに準備をせよ。とはいえ、実際用意は何もいらぬ、身一つで王宮入りさせればよい」
「三日後……はい、承知いたしました」
三日後――ちょうど、七の月の初日だ。
宰相の言い渡しに、深く頷きを返す。
すでに父には、承服以外の道はない、のだろう。
国王相手のやりとりの決まり事など何も知らないわけだが、さっきの「王宮に上げよ」の一言で、おそらくすべて反論無用の決定なのだ。
それに異を唱えるなど、国家反逆レベルの暴挙ということになるのではないか。
つまりこの時点で、僕のベルシュマン男爵家での生活は『残り三日』ということが決定されたわけだ。
いくぶん満足げに一同を見回し、国王の視線が最後に僕の顔に止まった。
「ではよいな、頼むぞ、ルートルフ」
僕にとっても、他にとる道はない。
父や兄を苦しい立場に導くわけにはいかない。
精一杯、にっ、と赤ん坊の愛らしい笑みを作って。
「は。こうえいのいたり、に、ぞんじましゅ」
この瞬間、僕の三日後からの置かれる立場が、正式に決定した。
控え室に戻ると、椅子に腰を下ろそうともせず父は「帰るぞ」と従者たちに声をかけた。
全員が、その顔色に気がついただろう。特にヘルフリートは一瞬何か言いたげな様子を見せたが、すぐに主の命に従っていた。
短い馬車の道中、誰も口を開こうとはしなかった。
屋敷に入るや、ホールから猛速突進してくる影があった。
「るー、るー!」
ミリッツァを背に乗せた、ザムだ。
たちまち父の足元に駆け寄り、抱かれた僕の靴に小さな手が触れてくる。
半泣きに見えていた白い顔が、ぱあっと笑顔に変わる。
「るー、るー」
ぱたぱたと、僕の足が叩かれる。
わずかに苦笑の顔になって、父は僕をザムの背に下ろした。
いつものように胸前に背中から抱きしめてやると、きゃあきゃあとミリッツァは喜声を上げる。
ザムに乗っての行進は、短い間だけだった。
「お帰りなさいませ」と居間の前で迎える母に、「ああ」とだけ父は応え、すぐに両手に僕とミリッツァを抱き上げる。
「イレーネとクラウスは、このまますぐ執務室へ来てくれ。ウォルフとヘルフリートもだ」
「はい」
夫の顔色に感じるものがあったのだろう。母は、即座に頷きを返す。
父子三人とも、最高レベルの正装を解かないままだ。その手間も惜しんで話をしようというのは、よほどの事態だとすぐに気がついたようだ。
執務室の応接ソファに、父と母が向かい合って座った。
僕は母に抱かれ、ミリッツァは父の膝の上、兄はその隣だ。
クラウスとヘルフリートは脇に並んで立つ。
前置き抜きで、父は謁見の間での出来事を淡々と語った。詳細は略しても大事な点は漏らさず、隠し事はなしの内容だ。
話が進むにつれ、母と使用人二人は顔を蒼白にして、瞬きを忘れてしまっていた。
誰からも声はなく、ただミリッツァがだあだあと父の腕を叩く嬌声だけが室内に流れている。
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