第54話 赤ん坊、拝謁する 3
王太子の問い重ねには、その父の口から返答が出た。
「その奇跡的な知識というのも、ルートルフ君から出たということではないのかな」
「……殿下の仰せの通りでございます」
「なんと……」
「それは……」
王と宰相から、呻き声が漏れる。
言い出した王太子さえ、一度新たに深い呼吸をする間をとった。
「それがいちばん妥当な想像に思えるとは言え、実際肯定されるとやはり、信じがたいものだね。この小さな赤子の頭から、そのような知識が生まれてきていると?」
「殿下の仰せの通り、奇跡的としか思えませぬ。本人から打ち明けられてまだ私も理解しきれていないのですが、何でもたとえば、頭の中にこことは異なる世界の図鑑のようなものがあるという感覚だそうで。目の前に実際ある事物とその図鑑のようなものの知識が幸運に合致すれば、うまい利用法のようなものに結びつく、ということのようです――曖昧な説明で、申し訳ありませぬ」
「……ふうむ」
軽く首を捻り、王太子は王と宰相の顔を見る。
三人とも要するに、分かったような分からないような、という表情だ。
うーん、と唸り、王太子はこちらに目を戻した。
「幸運に合致すればと言うが、この短期間での男爵領の復興ぶりを見ても、先日の病対策を見ても、それほど外れの無駄撃ちに終わることも多くはないようだね」
「それは……はい」
「これほどに、確かな実績がある。――陛下、私としてはこの奇跡に賭けてみる価値はあると思います」
「そうか」
深く頷き、国王は少しの間その目を閉じた。
それから向き直り、その視線が真っ直ぐ父に向いてくる。
「ベルシュマン男爵、酷な申し渡しをすることになるが、分かるであろう。其方も知るように、時の余裕はないのだ」
「……は」
「其方の次男ルートルフを、王宮に上げよ」
「う……」
「え……?」
父の返答詰まりも兄の問い返しも王の前で礼を失しているのかもしれないが、咎める者はいなかった。
今までになく顔をもたげて問いを発してよいものか逡巡する態の兄に、ただ感情を殺したような王の目が流れる。
「事が事だ。家族に状況の理解を得ずに強要するわけにもいかぬ。少し腹を割って話すことにしようではないか」
「ベルシュマン男爵、およびその子息、これは陛下の異例の心遣いである。外で他言などせぬように」
王の言葉に続く宰相の言い渡しに、父と兄は「は」と頭を下げる。
その礼を戻すときには、脇から何やら気配が聞こえてきた。
さっきの執事ともう一人の男が、そこそこ大きな椅子を二脚運んでくる。
正面の三名のものほどではないが、いかにも貴族仕様の外観だ。
「座って、楽にせよ」
宰相に促されて、父と兄は椅子に腰を下ろす。
僕は当然、父の膝の上。
居住まいを正して、まず発言は王太子から始まった。
「王命の重みは理解してもらえると思うが、今陛下からもあったように、家族の理解を脇に置いて事を進めるのも問題を残すからね。少なくともウォルフ君が状況を把握できるようには、説明をしておきたい。現在の我が国と周辺国の関係はさっきあちらで簡単に触れたが、それはいいね?」
「はい」
「某隣国が、経済戦争で我が国を潰しにかかろうとしている。ものすごく簡単に言ってしまうと、ここ数ヶ月のうちに、我が国が隣国から物を買わなくて済むようになるか、他国に大きく売り出すものを開発するかしないと、事実上国が立ちゆかなくなる状況だ」
「はい」
「つまりこれもものすごく単純に言ってしまうと、ここしばらくでベルシュマン男爵領で行ってきたような改革を、国家規模で行う必要があるということだ。もちろん宰相を中心に皆で必死に知恵を出し合っている現状だが、なかなかままならない。当然、そんな有益な知恵があるならとっくにこんな事態になる前から実現化を進めているはずだしね。しかもこの半月以上、例の病対策に時間をとられこちらは滞ってしまっていて、ますます時間が足りない。何か奇跡にすがりたくなる心情は、理解できるだろう?」
「はい。そこにルートルフの知識が必要ということなら、本人もその協力に否やはないと思います。しかし――」
「問題は今の『王宮に上げよ』という点だよね。これがおそらく、現状絶対必要なのだよ」
「え……」
「確認しておきたいのだが、ルートルフ君の知識を実現に移すためにはこれまでの例を見て、ある程度人の手と資材などを用意の上、実験、要するに試行錯誤のようなことが必要というわけだね。農作物などを目の前にすると即座に、まるで魔法のようにドンピシャリの活用法が出てくるというわけではない」
「それは、はい」
「今までは男爵家の人手やそこにあるものなどで、賄えたかもしれない。しかし今度はこれが国家規模になると、それ相応の人員や予算が必要になる。それを扱うのに、それなりの身分の人間が関わらなければならない。しかしたとえば宰相のような地位の人間がずっと行動を共にするわけにもいかないわけだが、離れていていちいちやりとりをする時間の無駄もとれない。そんなことを考慮すると、ルートルフ君にそれなりの身分を与えて人や予算をある程度自由に使えるようにすることが不可欠と言えるわけだ」
「はあ」
「そのための王宮入りだ」
「え、いやその……」
『それなりの身分』が何故即『王宮入り』に直結する?
当然、僕にとっても疑問でしかない。
兄の顔を見て、宰相が言葉を入れる。
「つまりなウォルフ、中央政治においてそれほどの役職に、成人前の貴族の子弟を就けた例はないのだ。それでは、下に人をつけても思うように動かぬ」
「……はあ。すると……」
「成人前でそれほどの地位に就いた前例は、王族しかない。だから、ルートルフを少なくとも王族に準ずる立場に置く必要がある」
「はあ」
「幸い一歳を過ぎたばかりの赤ん坊なわけだからな、陛下の公表されていないご子息だということでも、優秀な貴族の子息を養子にとることにしたでもよい。今すぐそう決定公表ということでなくとも、とにかくゆくゆくを見据えた立場を周りに知らしめるため、王子と同等の扱いで後宮に入れることが必要なのだ」
――わお。
どうかすると王宮に取り込まれるという可能性は考えていたが、露骨に『王子と同等』扱いとされるとは思わなかった。
「まあしかし、そのような公表を考えるのは本当に後々のことだ。当面はできるだけ公にするのは避け、貴族らからの疑問が大きく出てくるようならいつでも説明できるようにという処置だな。それ以上に重要なのは、ルートルフに王宮で仕事をしてもらうに当たって、自力歩行もそれほどできない身で通いは難しいし人目を引く、物理的に後宮で生活する方が移動が容易だということだ。それとさらに重要なこととして、ルートルフの身の安全を考える必要がある。ベルシュマン、聞くところではすでにルートルフは二度三度にわたって、誘拐されたり命を狙われたりしたことがあるそうだな」
「……は」
「ルートルフの存在が今まで以上に明らかになれば、その身はますます狙われることになる。隣国に連れ去られてそちらで知識が活用されるなど、考えたくもないぞ。しかしそれを思うと、爵領中最も兵備の脆弱なベルシュマン家では、あまりに心許ない」
「は」
「この意味でも、ルートルフを王宮に置くことは不可欠と考える」
ぐっと眉を寄せ、唇を噛みしめる。
父にとって、この場で王族や宰相に反論する気は毛頭ないだろうが、その中でも痛いところを衝かれたという面持ちだ。
僕が二度拐かされたことも、自領の兵備が弱いことも、否定しようのない事実なのだから。
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