第45話 赤ん坊、対応を考える

「つよいおさけ、ない?」

「酒、ですか?」

「ん。ぶどうしゅより、ずっとつよいの」


 僕の問いに、ヘルフリートは唸って考え込む。

 王都で用いられている酒類は、ほぼ葡萄酒ばかりだと聞く。ベルシュマン男爵領では酒自体見かけなかったわけだが、他の領で地域特産のようなものはないだろうか。

 ややあって、その手が打ち合わされた。


「ああ、最近噂を聞いたことがありました。南のベルネット公爵領で、アマキビを使った酒ができたと。砂糖作りのためにアマキビの栽培を増やしたのに、製糖に量制限がかけられて余ってしまい、苦肉の策ということらしいですね。何でもできた酒を蒸発させるだかして強いものを作ることはできたが、味が今ひとつで売れずに在庫が溢れていると」

「ああ、聞いたな。五倍くらいに薄めて飲んでも葡萄酒より強くてよく酔えるが、味はまったく素っ気ない。酔えさえすればいいという貧民層には受け入れられるかもしれないが、それでは採算が合わないと、売り出せないでいるらしい」

「それ! とりよせて」

「って、どうするんですか、そんな出来損ないの酒なんぞを」

「しょうどくにつかう」

「消毒?」


 酒の強さ次第でどの程度効果があるかは不明だが、平民家庭にどれだけの品質のものがあるか怪しい石鹸水よりは、確実性があるだろう。

 そう説明すると、首を傾げながら父とヘルフリートは納得してくれた。


「あと、びょうにんのしょくじ。ふつうのじゃ、だめ」

「どう駄目なのですか?」

「たべやすく、えいようあるの。しおからいの、だめ」


 王都の料理は一般に、塩味と辛さが強いと聞く。口内に発疹のできた患者は、受け付けないはずだ。

 薄味低温で、口当たりがよく栄養価の高いものが望ましい。

 とりあえずは、薄味の野菜スープを冷ましたもの、といったところか。

 それも受け付けず脱水症状の者には、水にごく少量の塩とかすかに味を感じる程度の砂糖を溶かしたものを飲ませる。

 消毒の件も含めて、王都には大きな川が流れていて地下水も豊富、各所に井戸が十分にあるということで、その点は幸運だ。

 井戸周りの消毒の徹底は、最優先で進める必要がある。


「それと、ちーうえ、とーふしょくにん、よんで」

「トーフだと?」

「びょうにんしょくに、さいてき」


 ベルシュマン男爵領とアドラー侯爵領から、トーフを作れる者とありったけのキマメを移動させる。

 王都の外、隣接する村などでトーフを作らせ、都内に運搬させる。

 薄味低温で口当たりがよく栄養価が高い、という点では最適な食材のはずだ。

 トーフそのもの以前に、茹でキマメを絞った豆乳に塩と砂糖で薄味をつけたもの、でもよい。

 患者が百人超規模のうちは、それで栄養補給ができるだろう。

 他に、エルツベルガー侯爵領から牛乳と玉子を運ばせて、口当たりのよいスープ類を作らせる、という策も考えられる。


「ベルネット公爵領の酒、アドラー侯爵領のキマメ、エルツベルガー侯爵領の牛乳、ですか……」


 メモをとりながら、ヘルフリートが渋い顔になっている。

 領地間の産物交流が少なかったらしいこれまで、そのように爵領に要望を出した例はないのだろう。


「このさい、そんなこといってられない」

「まあ、そうだな。宰相に図って王に進言しよう」


 難しい顔で、父が頷く。

 それを見ながら、思い出した。


「あ、ちーうえ。さきに、りょうちへかえったひとたちは」

「ん? あ……出入り禁止にする前に、各領地へ出発した連中か。忘れてた、祭り期間だから、かなりいたはずだな」

「りょうちでかくり、ひつよう」

「すぐ、各領に鳩便で触れを回そう。一週間程度隔離して経過を見る、発症者には王都での処置を適応させる、という感じだな」

「ん」

「これは、すぐ動く必要があるな。待っていろ」


 足早に、父は部屋を出ていく。

 すぐに関係者に伝えたらしく、間もなく戻ってきた。


「王都以外への感染拡大は、絶対阻止する必要があるからな。まだ宿に残っている者たちには、超過の宿代は国で援助するので絶対外に出ないようにと、触れを出している」

「あと、しみん。しょくりょうかいしめ、あるかも」

「買い占め? ――そうか、市民、その前に商人たちが利益を求めて、買い占めや売り渋りに動くことが考えられるな」

「しょくりょうと、ぬの、せっけん。さきにくにでかいあげて、はいきゅうがいい」

「国で買い上げ、配給か」

「父上、祭り明けで市民たちの食料備蓄は心許ないということが考えられます。パニックになる前に、国の方から炊き出しのようなものを考えてはどうでしょう。極力外出を控えさせるために、地域を細かく区切って」

「なるほど、一考の余地はありそうだな」

「それにしても……買い占め防止、炊き出し、ですか。およそ、お子様の頭から出る発想じゃないですね」

「うちの息子たちは、特別だ」


 苦笑いのヘルフリートに、父がドヤ顔を見せている。


――いや、こんなところで親馬鹿してなくてもいいから。


 配給は一日二回、パンと具の入ったスープ程度。

 一家から一人、口布装着でとりに来るよう呼びかける。

 大勢が殺到しないようこまめに移動して、その都度近所の者が出てくるように注意する。

 決まった住居のない者たちにも空き家やテントを提供し、食糧を配給する。

 そんな原案は固まったが、何にせよ予算のかかる話だ。

 早急に宰相や役人たちに提案するということだが、前例のない試みがどれだけ受け入れられるか、疑問だ。

 しかしこういった点で先手を打っていかないと、どうしようもない混乱が生じる事態が高確率で予想される。為政者たちには腹を据えて頑張ってもらいたいものだ。


 父は関係者との話し合いに出ていき、兄と僕はヘルフリートに送られて屋敷に戻る。

 もうかなり遅くなっていたが、僕の不在で落ち着かず寝つこうとしないというミリッツァに、たちまち縋りつかれた。

 僕はというと、ふだんの就寝時刻を過ぎている上にいつも以上の頭と『記憶』の使いすぎのためだろう、ほとんどエネルギー切れ寸前の状態だ。

 すぐに機嫌を直した妹とともに、寝床に潜り込ませてもらう。

 王都のこの先の気掛かりは頭に消えないのだが、背中の安らかな呼吸に、自然と眠りに引き込まれていた。


 日が変わって。この屋敷の中はそれほど変化がないが、街中には得体の知れない不安感が漂っているようだ。

 その中を、王都警備隊が手分けして各戸を回り、必要事項を説明しているらしい。

 十日から十五日程度、許可のない外出は禁止。

 家の中では、外から病原体が入らないように重々気をつけること。

 やむを得ず外に出たり外部の人間と接するときは、口布を装備する。

 石鹸水か強い酒を用意して、消毒に努める。

 この日の午後から食糧の炊き出し配給が行われる予定なので、焦らず待っていること。

 発症者が出た場合は、速やかに見回りの警備隊員に報せること。

 患者は隔離の上、医療専門家による治療がされる。

 ――等々。

 その辺りのことは、午前中に報告に来たヘルフリートが話してくれた。

 その他、王都内の商人たちに向けて、食料や布、石鹸を国で買い上げるという通達が回されている。

 また、各爵領に物資の援助を請う連絡も送られている。

 提案した通り、ベルシュマン男爵領からジーモンと助手たちを呼び寄せて、王都隣の村でトーフ作りをさせることになったらしい。

 ベルネット公爵領からの強い酒の取り寄せも、公爵に快諾されたということだ。


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