第43話 赤ん坊、非常事態を知る 1
朝食後すぐ、父は出かけていった。
祭り最終日の街中は、ますます賑わいを高めている。
日中、僕らは何度も二階のベランダからその様子を眺めていた。
人々のがなり声。笛や太鼓の高鳴り。一日中、まったく引き切らず続いている。
離れて眺める僕たちも気が弾み、手足が舞い始めそうな殷賑ぶりだ。
夕方になると、一階の奥にいてもその外の騒ぎが聞こえてくるほどになっていた。
これから夜遅くまで、広場では人々が歌い踊り続ける予定なのだという。
しかし。
夕食の時間が近づいてきた頃、気がつくと外の音声が小さくなってきていた。
「何か外、静かになってません?」と、ベティーナが辺りを見回す。
言われて、皆で耳を澄ます。
まったく静まったというわけでなく、どうも音楽が止んだということらしい。
遠く大勢のざわめきは残っているが、それが楽しげなものでなくどこか罵り合いのようにも聞こえる。
「何かあったんでしょうか」
「見てきましょうか」
母の問いかけに応えて、兄が立ち上がった。
そこへ、玄関の扉が開く音が聞こえてきた。
父の帰宅かと思っていると、入ってきたのはヘルフリート一人だ。
「済みません、旦那様は遅くなるというお知らせです」
「何かあったのですか」
「ええ。まずその前に、皆さん絶対この屋敷から出ないように、という言いつけです。絶対に守ってください。この通達は今、王都の全世帯に回されています。祭りも中止として、皆に家や宿に帰って外に出ないよう、触れが回されています」
「いったい何が?」
「疫病が流行り出している疑いがあるのです」
「え……」
ヘルフリートの話を訊いていた母が、顔を青ざめさせていた。
クラウスも固くした声で問い返す。
「疫病? どのような病気ですか」
「二十年ほど前にも流行したことのある、クチアカ病ではないかと見られています。すでに王都内の数箇所で集団感染が見つかり、隔離が始まっています。これ以降王都の人の出入りは禁止され、発病者は即隔離、そうでない者も外出禁止の上五日程度様子を見るということです」
「クチアカ病ですか。確かに、感染してから四五日は潜伏期を置いて発症するということでしたね」
「旦那様は王都内の管理がお仕事ですから、それにかかって数日は帰宅できないということです。とにかくこの屋敷の者たちは決して外出しないように、それだけを守っていてほしい、という言伝です」
「悪い方に転がると、最悪前回のような始末になるということでしょうな」
「そう。感染が止まらないようなら、大勢の患者を焼き払うしかなくなる恐れがあるということです」
あまりに恐ろしい言葉を聞いて、居合わせている女子どもは、ひい、と息を飲むしかなかった。
そういう注意だけを伝えて、ヘルフリートは急ぎ王宮へ戻っていった。
重い空気の中、夕食は済ませたが。
疫病流行という言葉だけが伝えられ、詳細が分からないままでどうにも落ち着かない。
二十年前に同じ病が流行したということだが、邸内の大半は生まれていないかまだ幼かったかで、はっきり記憶に残しているのはイズベルガとクラウス、ヒルデ程度と思われる。
イズベルガに尋ねると、当時は母とともにエルツベルガー侯爵領にいてそこまで流行は届かず、王都の状況は噂程度にしか知らないとのこと。
さっきの会話からして、クラウスはそこそこ当時の状況に通じているようなので、呼んで話を聞くことにした。
「はい、私は当時王都におりましたし、もう亡くなった父がそのとき町医者をしていて治療に当たっていましたので、かなり話を聞いております」
「それは好都合だ。当時の知っていることを、話してくれないか」
「はい、かしこまりました」
「クチアカ病と言ったか。どんな病気なんだ」
「感染発症すると、まず高熱とともに口の中に赤い発疹が現れます。発疹以外は倦怠感、悪寒、関節痛、筋肉痛など風邪に似ているのですが、この口の中の痛みもあって食欲が減退し、体力を奪われて死に至ることが多いということです」
コレラやペストなどのように人がばたばたと倒れていくようなほどの致死率ではないようだが、感染率は高いらしい。
周りが気がつかないうちに突然口内発疹が現れ、どんどん弱っていく。
症状が進むと手足などにも発疹が現れ、感染の恐怖と見た目の気持ち悪さもあって、看病する者も近づけなくなっていく。
食事を与えても受け付けなくなり、栄養失調、場合によっては肺炎を併発して死んでいくということになるようだ。
この病に効く薬は見つかっておらず、対処療法として解熱剤が慰め程度に効果があるかどうか。
周りの対処としてはとにかく病人を集めて隔離し、甲斐のないまま食事と解熱剤程度を与えて、ほとんど自然治癒か死かを待つ格好になる。
死体にはできるだけ触れないようにして、板に乗せて縄などで引いて運び、火葬にする。
真偽は確かめられていないが、ある地域ではまだ息のある患者も含めてすべて焼き払い、それ以上の感染を防ぐ効果を上げたと、まことしやかに伝えられている。
とにかくもそのように、徹底した隔離で感染を止める以外対処法はないと考えられている。
「そういうことで今は、感染防止のための外出禁止と、発症者の隔離を進めているわけだな」
「そういうことだと存じます」
「しかし、外出禁止を徹底すれば感染の広がりは抑えられるにしても、発症した患者への治療法は目処が立っていないわけか」
「ではないかと」
「前回のときは、どれくらいの死者が出たんだ?」
「数千人とも、一万人以上とも言われております。発症者はその数倍ということになるでしょう」
「王都の人口が、十万人あまりということだったか。なかなかにすごい数だな」
うーん、と兄は腕を組んで唸る。
室内の他の顔ぶれも、暗い面持ちを沈めるばかりだ。
「とにかくも感染の鎮静を待つしかない、と。数週間は王都全体が死んだようになる、ということだろうな。我々もその間、領地に帰ることはできないわけだ」
「ではないかと」
「うーむ。まあ、屋敷に籠もっている限りは感染の心配はなさそう、というのがせめての救いか」
「しょくりょうは?」
僕が訊くと。
隅に控えていた、料理人のローターが応えた。
「屋敷の備蓄は、十日分程度。倹約すれば、二週間は保たせることができると思います」
「二週間は屋敷に籠もっていられるわけだな」
「はい」
「おうとの、いっぱんかていは、どうなんだろ」
僕が見上げると、「どうかな」と兄は首を傾げた。
ローターも答えられないでいる。
クラウスが、悩ましげな顔で返事をした。
「それほど食料を蓄えている家庭は、多くないのではないでしょうか。王都ではいつでも店で買うことができるという意識でしょうから。今は祭りで外食と考えていた家庭なら、なおさらと思われます」
「ずっと大人しく外出禁止に従うかは、疑問ということになるな」
「しょくりょう、かいしめ、おきるかも」
「何だと?」
ぎょっと、兄が目を瞠る。
クラウスも考え込む顔になっている。
「欲を出した商人辺りがもし食料を買い占めて、売り渋りのようなことを始めたら……」
「ぱにっくになる」
「大変じゃないか! 父上や王宮の人たちは、そんなこと考えているだろうか」
「しんげん、ひつようかも」
「しかし外出禁止だし、父上もしばらく戻らないらしいしな」
「緊急の場合は、鳩便が使えます」
兄の疑問に、クラウスが答える。
こんな近距離だが、王宮の父に鳩便を送ることはできるらしい。
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