第63話 赤ん坊、敵に会う

「何のつもりだ、あれは?」

「さあ、分かりかねますな」


 団長の疑問に、父は首を傾げた。

 これが森の木に引火しそうな状況なら、放火の現行犯としてすぐに取り押さえに動くところだろう。

 しかし燻る小山は森の木々とそこそこ距離がとられているし、そもそも火が燃え上がる様子もない。ただ煙だけが、流れ広がっていくばかりだ。

 広がる煙は、わずかながらもこちらまで届いてきた。

 けほ、と軽くウィクトルが咳をする。


「失礼しました……しかしこれ、妙な匂いですね」

「そうだな。いがらっぽい中に何か甘みというか、そんな香りか」


 父も、鼻頭に皺を寄せて唸る。


「本当に何のつもりだ? 何かの呪術か、あれ――」


 騎士団長の言葉が中途で途切れたのは。

 ぐいと、足元を押しのけられそうになってのことだった。


「おいどうした、ザム?」


 いきなりその場から躍り出そうとしかけていたザムを、慌てて兄が引き留めていた。

 様子が、変なのだ。

 これが獲物や曲者を索敵して駆け出す動きというなら、不思議もないかもしれない。しかし今のザムの動きは、自分の意志もなくふらふらと足が出ているという感覚だ。


「ザム、おいザム」

 

 ぽんぽん首を叩かれて、正気を取り戻したような。しかしまだ、夢うつつ半ばのような。

 屈み込んでその首を両手で抱き押さえ、兄は父の顔を見上げた。


「父上、もしかするとこれは、あれではないですか? オオカミを誘い出すことができる、魔法のような植物とやら」

「ああ――」


 険しい顔で頷き、父は騎士団長を振り向いた。


「古文書にそのような記述があり、ディミタル男爵の文官がそれを研究していた節が認められました。先日柵に閉じ込められていたオオカミたちを連れ込んだ方法がそれではないかと、想像していたところです」

「そんな方法が? 聞いたこともありませんが、しかしこのオオカミの様子を見ると、確かにそれも現実かもしれぬと思われますな」


 少しずつザムの藻掻きが強くなってきて、今にも兄の拘束を振り払いそうになってきている。ウィクトルがその押さえつけに手を貸し、テティスが自分の懐を探っていた。


「これ――この紐を使いませんか?」

「ああ、助かる」


 取り出した長い革紐を、兄は受けとった。

 護衛二人の助けを借り、ザムの首に紐を結わえて、近くの木の幹につないでいく。


「これでとりあえず、ザムは押さえられます」

「うむ。それがいいだろう」


 頷いて、父は騎士団長との会話に戻った。

 団長は難しい顔で、向こうの騎士たちの行動を睨んでいる。


「そうするとあやつらの目的は、再びオオカミをこちらから誘い出すことというわけですかな」

「ではないかと思われます」

「しかしあの煙でここまで誘い出して、その先はどうするつもりなのだろうか」

「オオカミの囲い込みのための柵は、あの岩山の裂け目を抜けて、向こうに出てすぐのところだそうです。一度ここまで誘い出してからあの火を消し、次は向こうに出たところで同じ煙を出す、二段三段構えなのではないでしょうか」

「なるほど――まあ、あり得ますか」


 向こうで枯れ枝の山を囲んだ騎士たちは、一心に森の中を注視しているようだ。

 見ると、八名のうちの四名が弓を携えていて、今それに矢をつがえる準備を始めている。

 オオカミ誘い出しの作業の中で自分たちに被害が及ばないようにという備えとして、不思議はない。しかし、もしかすると。

 こちらでは、兄は木につないだザムの首を抱いている。そこから少し前に出て、護衛二人は守るように立ちはだかっている。

 その距離を確かめて、ぼくは目の前の耳たぶに囁きかけた。


「ぜんかい、なぜ、おおかみ、いかした?」

「……オオカミを生きたまま閉じ込めていた理由か? まあ前のときは、いつでも殺せたはずだものな。そう――森を手に入れるつもりだったから、手に入れた後で元に戻せるように、か?」

「ん」

「それが?」

「こんどは?」

「今、オオカミをおびき寄せて――しかし森は手に入らない――あ!」


 そこまでの囁きから一転、最後の叫びの声がやや高くなって、大人たちの注意を惹いていた。


「どうした、ウォルフ?」

「父上、前回彼らがオオカミを誘き出したときは、森を手に入れる予定だったから、オオカミを生かしていたのだと思います」

「うむ」

「しかし今彼らがしている行為は、後のことは考えず、ただ我が領に被害を与えるとか、嫌がらせとかが目的なのでは?」

「それが――そうか、今度はオオカミを生かして連れ去る気はないかもしれぬと?」

「はい。あの弓の構えを見ても、その疑いが晴れない気がします」

「つまり――」

「オオカミをここまで誘い出して、根こそぎ殺戮するつもりと?」


 父の言葉に、団長が声を重ねた。


「男爵。今の行為だけで、あやつらを捕らえる理由として十分でしょう。あとは、捕らえた後で聞き出せばよい」

「さようですな」

「ディモと言ったな。あちらで狩りをしている騎士たちを呼んできてくれぬか。全員揃わなければ、二三人でも構わぬ」

「かしこまりました」


 即座に一礼して、ディモは森の中に足早に呑まれていった。

 残された四人で、額を寄せて相談を始める。

 あれだけ怪しい行為をしているのだ。あの騎士たちがこちらの領の警備の訊問に応えないわけにはいかない。

 ましてや、領主と王都の騎士団長が同行しているとあっては、抵抗の余地もないだろう。

 オオカミに実際の害が加えられる前にあの火は消して、全員を連行することにしたい。

 弓が森の方を向いているうちに、こちらから機先を制するのがいいだろう。


 打ち合わせて、護衛二人が集団に近づいていった。

 ウィクトルは相手に弓の照準を合わせ、テティスは剣の柄を握って。

 距離を半分ほど詰めて、テティスが声をかけた。


「貴公たち、そこで何をしているのだろうか」

「な――」


 八人が、一斉に振り向く。二人の接近に、気づいていなかったらしい。

 森に向けて弓を構えていた者たちが向きを変えかけ、ウィクトルの構えを見て動きを止めたようだ。


「ここはベルシュマン男爵領である。我々は当男爵領の警備の者。他領の者が勝手に領内に害なす行為は認められない。貴公たちの所属と名前を聞かせてもらおう」

「――断る」


 相手のリーダーが、低く応える。

 一瞬で、両者に緊張が走る。

 弓を持つ者たちは、その照準を変える呼吸を計っているようだ。向き直る瞬間はウィクトルの矢の方が早いだろう。しかし相手の弓は四人分だ。一人が射倒されても、残り三人の矢で二人を始末することはできるという読みになる。

 じりじりと、呼吸の計り合い。

 そこへ、木々に隠れて近づいていた父と騎士団長が、姿を現した。

 騎士団長も、弓を相手に向けている。


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