第64話 赤ん坊、危機に遇う

「抵抗はやめることだ」

「な――?」

「やはり、ロスバウトであったな」

「アドラー――騎士団長――と、ベルシュマン男爵?」

「久しいが、ロスバウト、今はディミタル男爵領の警備副隊長であったな。他領で不審な行為をした上、当地の警備の命に従わぬとあっては、明らかに王令違反だぞ。抵抗は、国家反逆に等しい」

「ぬ――」

「ここでは落ち着いて話もできぬ。その火は消して、大人しく縛につけ」

「く――」


 ロスバウトと呼ばれたリーダーは、忙しなく敵味方に視線を往復させた。

 それから、喘ぐような息を飲み込み、雄叫びを上げる。


「構わぬ、やれ! 全員始末しろ!」


 叫ぶや、弓を持たない四人は横手に飛び退る。

 弓は一気に照準を向け、矢を放つ。

 一瞬早く放たれたウィクトルの矢が、弓を持つ一人の肩を射貫いた。

 同時に、こちら四人は地面に転がり、矢を避けていた。

 すぐさまテティスは身を起こし、父と団長を庇って木の陰に誘導する。

 ウィクトルは次の矢をつがえ、相手の残る七人を牽制している。

 木の陰から、騎士団長が叫んだ。


「馬鹿な真似をするな! 当地の領主と騎士団長に刃向かうなど、国家反逆だけでも済まぬ重罪だぞ!」

「全員の口を封じれば済むこと! お前ら、数の有利はこちらにある、油断なく仕留めろ!」

「は!」


 弓を持たない者たちは木陰や荷物の陰に身を潜め、持つ者たちは矢をつがえて照準を合わせ合い、膠着状態になっていた。

 こちらの木陰ではテティスも弓を構えて、射手の数は三対三の互角だ。

 先に射て外したらその瞬間相手の矢の餌食と、慎重に互いの呼吸を計っているように見える。


 その緊張の中。僕を背負って元の位置に留まっていた兄が、動いた。

 そっと手を伸ばし、ザムの首を巻いていた革紐を外す。

 解放されたザムは、一気に駆け出した。

 一度岩山近くまで駆け寄り、そこから回って、敵の陣営に向かう。


「え?」

「何?」

「オオカミ?」


 慌てて、敵の弓方たちは向きを変えて矢を放った。

 飛んできた矢を、ザムは急転回して避ける。

 その隙に、こちらからの矢が放たれた。

 ウィクトル、テティス、騎士団長の矢が、続けざまに三人の弓方を倒していく。


「くそ、やれ!」


 矢が絶えた隙を突いて、残る四人が剣を抜いて殺到してきた。

 こちらの三人も抜刀して、応戦。たちまち剣が打ち合わされ、鍔迫り合いとなる。

 ロスバウトは仲間と二人がかりで騎士団長に対する――かのように、見えたが。

 数歩駆け寄るかに見せかけ、いきなり向きを変えていた。

 全速力で、草地を駆け抜ける。

 残された男爵に切りつける、でもなく。そちらに目もくれず。

 こちら。僕を背負った兄の方へ、向かってきたのだ。


「あ、ウォルフ!」


 気づいた父が、駆け出してきた。

 だが、間に合いそうもない。

 慌てて、兄は剣を抜く。

 勢いよく殺到したロスバウトの剣が、横に払われる。

 一閃、あっさりと、兄の剣は弾き飛ばされていた。

 仮にも一爵領の警備副隊長、剣技の差は歴然だった。


「抵抗はやめよ」


 次の瞬間、兄の腕は掴まれ、首元に剣が押し当てられていた。

 が、剣はそこで止まる。

 つまり兄と僕は、人質として目をつけられたということらしい。

 敵に見つからないと見越して、大人たちと距離を置いていた。

 残されていたザムまで、近くから離してしまった。

 それが、まちがいだったようだ。


「大人しく、従え」


 兄の腕が、ぐいと引かれる。

 向こうを見ると、護衛二人は敵と切り結び中。

 騎士団長は相手を屠り、こちらに駆け出している。

 父は距離をとって、こちらに手を伸ばしている。


「卑怯だぞ、その子を放せ!」

「男爵のご子息とお見受けする。子息の命が惜しくば、剣を捨てよ。警固にもそう命令せよ」


 肩越しに、ロスバウトは言い放った。

 父は立ちすくみ、逡巡している。

 その脇近く、ザムが駆け戻って足を止めている。


――いける。


 と、判断。

 精一杯伸ばすと、小さな指先は正面の目すれすれまで届いた。

 加護の『光』、サーチライト仕様。

 それだけで、刹那、


「ぎゃああーー」


 男は仰け反り、兄の喉元から剣が離れる。

 次の瞬間、


「ぎゃあああーー」


 さらにいっそう高く、男の悲鳴が響き渡った。

 その肩口に、ザムの口が食らいついていたのだ。


「わああああーー、やめ――助け、て――」


 転がり回る男の肩に、ザムの牙は離れない。

 すぐに、騎士団長が駆け寄ってきた。

 父が、兄の肩を抱き寄せた。


「もういい、ザム」


 兄が声をかけると、ザムは男を放した。

 転がる男を、騎士団長が捕縛していく。

 向こうでは、テティスとウィクトルも相手を斬り倒し終えたようだ。


「そこの火、消してくれ」

「はい」


 兄が声をかけると、二人は揃って枯れ枝の山を踏みつけ出した。

 立ち昇っていた煙が、たちまち絶えていく。

 兄を抱きしめていた父が、苦笑した。


「ウォルフは、冷静だな。父はもう、生きた気がしなかったぞ」

「力及ばず、申し訳ありません」

「お前たちから離れてしまった父が悪いのだ。一生後悔するところであった」

「父上……」

「それにしてもさっきは、何をしたのだ? あの男、いきなり悲鳴を上げて仰け反っていたが」

「その……隙を見て、指で目を突きました」

「ほお」

「騎士としてはあるまじき、卑怯な手かもしれませんが」

「いや、そんなもの関係ない。やられる方が未熟と笑われることだ」


 笑って、父は抱く手に力を込めた。

 背中の僕までまとめて、苦しい。


「本当によかった、二人が助かって。ウォルフ、でかした」


 気がつくと、ザムが兄の足元に首を擦りつけていた。

 騎士団長はロスバウトを縛り上げ、肩の傷に布を巻いて血止めを終えている。

 テティスとウィクトルが揃って駆け戻ってきた。

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