第26話 赤ん坊、帰宅する
「同じ料理では飽きるので、野ウサギの揚げ物なども試してみたのですが。揚げるならむしろ、このニワトリの方が向いているかもしれませんね」
「まあ。揚げ物って、油で揚げるってこと?」
「はい、マイエラ様。ただ揚げることもあるし、王都で売り出したコロッケのようにパンを乾かして細かくした粉をまぶして揚げる方法もあります」
「それそれ。そのコロッケというものも、話には聞いていますがまだ口にしたことがないのですよ。パンの粉をまぶす? 想像もつかないわ」
「よかったらこれも、うちの侍女からこちらの料理人に説明させましょうか。侍女は料理手伝い程度で方法を知っているだけなのですが、あとは料理人に工夫してもらうということで」
「まあ、ぜひお願いしたいわ」
また、ベティーナの任務が増えてしまった。今日も部屋の隅でミリッツァに食事をさせているが、話は聞こえているだろう。内心、顔面蒼白になっている気がする。
まあ、領地間友好のため、頑張ってもらいたい。
テオドールの話ではないが、恩を売っておいて損にはならないだろう。
「まあしかし、確かに」と、テオドールは半分父親の顔を窺いながら話を繋げた。黙っている侯爵にも話を振るつもりらしい。
「王都で野ウサギ肉を食したことはありますが、ウォルフ君の言う通り、毎日となると料理に工夫が必要そうな食材ですな」
「そうだな」
「うちの領ではそれしか獲れないという事情もあるのですが、健康面の理由もあるのです。私の母はルートルフを出産してからしばらく体調を崩していたのですが、その治療にクロアオソウという野菜と野生の動物肉がいいと言われて、それを中心とした食事で最近はかなり回復しています」
兄の話に、侯爵と息子の目が軽く見開かれた、ように見えた。
マイエラ夫人は、あからさまに食いついてきた。
「まあ、そうだったの。お母様は、もうおよろしいのですか?」
「ええ、お陰様で。しばらく数ヶ月くらいはあまり寝台から起き上がれなかったのですが、最近は家の中なら不自由なく歩き回っています」
「それはよかったわあ」
人のいい顔で、笑い返してくる。
侯爵もテオドールも、一度止めていた食事の手を穏やかに再開している。
晩餐の後、約束の通りベティーナを厨房に行かせて、揚げ物の調理法を説明させた。昨日からの経緯で、料理長は真剣に話を聞いていたという。
その間、兄妹三人で部屋で戯れながら、兄と意見を交わした。
直前にヘンリックとも確認したが、今回の侯爵領の訪問は無事目的を達したと思っていいだろう。あとは王都で父と侯爵の交渉を持ってもらう、その成果に期待するしかない。
兄としては、ニワトリを譲ってもらうことになったのが最も喜ばしい結果だったようだ。
翌朝早く、テオドール親子に見送られて領主邸を発った。
嬉しいことにこの旅行中変わらず好天で、順調に帰路も捗る。
まだ陽の落ちないうちに、無事我が家に到着した。
居間に入るや、カーリンがミリッツァに抱きついて出迎える。僕がいないときのミリッツァほどではないにせよ、ずっと元気をなくしていたらしい。
兄に抱かれて母に帰着の挨拶をしてから、僕はそのまま取っ組み合いをしている二人の傍に座を落ち着けた。
何とも、安心。いつの間にかここがいちばん僕の落ち着く場所になっていたようだ。
寛いでいると、ザムが隣に寄って身を丸めてきた。
彼ももしかして、寂しかったのだろうか。考えてみると初めて会ってから、こんな長時間離れていたことはなかったはずだ。
鼻を擦り寄せてくる、その白銀の頭をぐしぐしと撫でてやった。
夕食の後、兄はヘンリックを伴って母に報告を行った。
僕は母の膝の上、ミリッツァは兄の膝に乗ってうつらうつらを始めている。
「ご苦労様、上出来でしたね、ウォルフ」
「何とか大役を果たして、安堵しました。アマカブの情報開示を無条件にしたのが、独断で申し訳なかったのですが」
「いいと思いますよ。むしろこの方が、こちらにとって有利な流れになるかもしれません」
「そうなのですか?」
「人から借りを作るのが嫌いな人ですからね、あの頑固侯爵は。父上と面談する気になっただけでも大きな進歩ですが、それ以上の成果が望めるかもしれません」
「それならよいのですが」
「ヘンリック、さっそく旦那様に報告をお願いね。特に今の辺りのやりとりについて、詳しく伝えてください」
「かしこまりました」
三日ぶりの母の抱っこを堪能して、僕は慣れた自分のベッドでゆったり眠りについた。
もちろん背中にひっつくミリッツァもいつも通り、辺り憚ることなく肩口にしゃぶりついている。
二人ともにやはり旅の疲れで、一度も目覚めることなく朝まで熟睡していた。
後日伝え聞いたところでは。
翌週、父は王都でエルツベルガー侯爵と会談した。
キマメやアマカブの情報提供を感謝され、砂糖の製造技術研究の協力、廉価の流通開始について、侯爵の方から提案された。
ただ、砂糖の国内製造による近隣国への影響については、宰相と十分に検討するよう、課題を出されたという。
また北方での農産業、輪作の技術やそれぞれの作物の栽培技術について、アドラー侯爵領を加えて協力体制を作ることで意見が一致したようだ。
兄が話したことがほとんどそのまま呑まれた形で、「何だか気味が悪いな」とこちらでは当人が感想を漏らしていた。
その後すぐ、これも約束通り、エルツベルガー侯爵領の役人が三名こちら西ヴィンクラー村に到着した。
二名はジーモンの下宿に滞在して、トーフ作りを学ぶ。一名は連れてきた二十羽のニワトリの飼育場作りと、飼育法を教えてくれる。
試験的に領主邸に隣接する土地に作った飼育場で、ウェスタとベティーナ、村の年寄り二名が、飼育に携わることになった。
ニワトリの活発な声で領主邸近辺が賑やかになり、一羽の雄の朝一番の声が新しい名物になった。
村では畑の作付けも終わり、みんながのびのびと農作に製塩作業にと身体を動かしている。
僕に昨年の記憶はないけど、こんなに村人たちが明るい顔で立ち働く様子は、近年見られなかったものだという。
村の端に作った炭窯は、数回の試運転でかなり満足のいく出来になったようだ。
ニワトリの飼育もうまくいくようならもっと広げると聞かされて、何人もの村人が興味深そうに見に来るようになった。託児小屋の子どもたちのお気に入り散歩コースにもなっている。
すべて合わせて、この村では今までにない希望に満ちた春の始まりになっているのだった。
また、東ヴィンクラー村とエルツベルガー侯爵領北部では、さっそく砂糖製造場が作られ、稼働を始めた。
すぐに試作品が王都に送られ、業者の鑑定を経て販売の水準にあると判断。
数週間のうちには、本格的に販売が開始される見込みだという。
僕らはまだ見にいったことがないが、東ヴィンクラー村でも少し前とうって変わって、人々の間に勤労意欲が見られ始めているそうだ。
五の月の第四週、父から手紙が届いた。
来週、王都で建国記念祭が行われる。それを見に来ないかという、兄への誘いだ。
もちろん大喜びで受け入れた兄は、一緒に僕も連れていきたいと母に相談した。しばらく悩んだ上、母はそれを承諾した。
そうなるとまたミリッツァも同伴、ということになる。赤ん坊二人を連れて移動という困難を背負うことになるが、つい最近の実績があるので憂いも少ない。
一度あることは二度、三度あるとか。
この月の初めに生まれて初めての遠出を経験したばかりの僕は、同じ月のうちに三度目の馬車旅をすることになったわけだ。
ベティーナと護衛二人の同行は同様。ただヘンリックはそうそう領地を離れられないので、今回は王都からヘルフリートが迎えに来ることになった。
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