第25話 赤ん坊、ニワトリを見る
途中で寄った市場では、多種多様な野菜類などを見て兄とベティーナが興奮していた。
ニワトリの飼育場、つまり養鶏場は、ベルシュマン男爵邸の敷地より少し広いかという草地を木の柵で囲んだもので、その三分の一程度の広さに風通しのいい小屋が建てられている。
夜は小屋で休み、昼は草地で自由に動き回る習慣のようで、今日のような天気のいい午前中にはほとんどのニワトリが外で土をつついていた。
テオドールが呼び寄せた係の者の説明では、ここだけで千羽程度飼育している、同じような養鶏場が周囲に十箇所以上ある、ということだった。
雌二十羽に対して雄一羽が同居するようにしている、雌一羽が平均一日一個程度の卵を産む、余分な雄や産卵しなくなった雌を食肉として出荷している、などという説明を、兄は熱心に聞いている。
驚かさなければ近くに寄っても大丈夫だということで、僕を抱いた兄とミリッツァを抱いたベティーナは、草地を嘴でつついているニワトリに恐る恐る近づいてみた。突然羽を広げて威嚇するような反応を見せる個体に、ミリッツァとベティーナはきゃあきゃあと目を丸くして喜んでいる。
食いつくように観察している兄に、テオドールが笑いかけた。
「ウォルフ君がその気なら、お試しで飼育を始められる数のニワトリを、私から差し上げよう」
「え、その……」
「今回のお礼なり商的なやりとりは、これから領主同士で話し合うだろうがね。とりあえず初めて会うことができた甥に、私から贈り物だ。気楽に受けとってくれ」
「あ……」
「さしあたっては二十羽もいれば、試し始めもできるだろう。近いうちトーフ作りを習いに担当者を派遣するついでに、運ばせよう。飼育に詳しい者も一人つけて、そちらで説明させる。試しがうまくいって増やす気になったら、領主を通してこちらの業者から購入すればいい」
「ああ、はい」
目をぱちくりさせて。
矢継ぎ早の説明に圧倒されながら、伯父に対して遠慮するのがかえって失礼、という結論に達したようだ。兄は、大きく頭を下げた。
「とても嬉しいです。ありがとうございます」
「いやいや、どういたしまして」
「でも、ニワトリの個体にしても、それ以上に飼育方法の情報にしても、こちら侯爵領の特産で他領には出していないんじゃないんですか」
「そうだね。今までのところ、概ねは」
「そんな大事なものを我が領に――その、侯爵閣下が反対されませんか?」
「うーん――領を豊かにする産業振興の情報はもっと全国的に交流を広げるべき、というのはうちの領主の持論でもあるからね。ただ今までは他領の連中の偏狭さに閉口して実現していなかっただけで」
「え。でも、昨夜は……」
「さかんに君を『青臭い』と非難していたけどね。あれはもちろん、本心じゃないよ。君を煽って本音を引き出す目的だ。具体的には、君が父親辺りの受け売りだけじゃなくどこまで自分の言葉で相手を論破できるか、確かめたかったようだ。結果は期待以上だったと、あんな仏頂面でもあれでかなりご機嫌だったんだよ」
「そう、なんですか」
「そもそも今回君を招くことにしたのも、きっかけは今年に入ってからのベルシュマン男爵の活動でね。ベルネット公爵を仲間につけて、あっという間に全国の領主たちに情報交流の流れを作ってしまった。父としては長年自分が意図してきたことで先を越されて、悔しがるより先に感心することしきりだったようだ。まあ他の領主たちとしては、余裕のある侯爵が上から目線で教えを垂れるより、困窮していた男爵が自分の利益を捨てて惜しみなく情報を公開することが、受け入れられやすかったのだろうが」
「まあそれは、そうなんでしょうね」
「そこに感心しているうち、その発想の出所が男爵の長男だと聞いてね。何かしらの期待を持って今回の招待に至って、何かしらの満足は得たはずだ。まああの頑固な年寄りのこと、実の息子にもなかなか本音は明かさないけどね。それでこのニワトリの件については、私の独断に何も言えないはずだよ。文句を言うなら、本人のもともとの持論を持ち出して反論してやる」
「はあ……分かりました。いろいろ、ありがとうございます」
「いやいや、今評判の男爵の家族と友誼を結んでおくのは、おそらく我が領の損にならないだろうしね。それに、このニワトリの飼育をそちらの領でどのように活用するか興味深い、とにかく面白い」
「そう思っていただければ、嬉しいです」
いろいろ話を聞いたりニワトリを追い回して遊んだりして、楽しく時間は過ぎた。
僕も地面に下ろしてもらい、ちょこちょこニワトリの間を歩き回ってみた。
ミリッツァもベティーナに支えられ草の上に立って、ご機嫌に手を叩いている。
そんなこんなで主に赤ん坊が疲れを見せ始めて、領主邸に戻ることになった。
しばらく身体を休めよう、と部屋に入ったけれど。
はしゃいで興奮した様子のミリッツァは、じっとしようとしない。
ベッドの上に腰を下ろした僕に、しきりとまとわりついてくる。
しかたなくつき合って、ひとしきり二人でくんずほぐれつ取っ組み合いをすることになった。
ただ、興奮のし過ぎもいけない。少しは大人しくさせようと僕の背にへばりつかせて、ベッド上を『おんま』ならぬ『お亀』程度に這い回ってみる。
僕の手足の力をつける鍛錬のつもりもあったのだけれど、ほとんど続かずへばってしまう。
黙って愉快そうに見ていた兄が、呆れ声をかけてくる。
「いくら何でもそれは無理だろ、二人分の重さではいはいは」
「がんばる」
「何考えてるんだ」
「もしものとき」
「非常時に、ミリッツァを背負って逃げるってのか」
「ん」
「心配し過ぎじゃないのか」
「ありえる」
兄弟二人、この半年程度で何度も命を狙われているのだ。
思い出して、兄は渋い顔になった。
「まあ確かに、あり得ないことでもないか」
「みりっちゃは、まもる」
「いい心がけだが――それにしても、お前」
「ん?」
「どんどん妹に、過保護になっていないか?」
「……きのせい」
「そうか」
話している間にも何度か、腕立て伏せよろしく身を持ち上げようとしてみたけど。
力及ばず、すぐにぺしゃりと潰れてしまっていた。
まあそんな動きだけでも楽しいようで、ミリッツァはぺたぺた僕の頬を叩いて喜んでいた。
「まあ、無理するな。何かあっても二人まとめて俺が守る」
「ん」
ヘンリックに呼ばれて荷物整理のためしばらくベティーナが離れている間、そんな他愛のないやりとりをしていた。
晩餐には、また侯爵と長男親子が席に着いていた。
メインディッシュは昨日とひと味違ったニワトリのステーキで、下味のつけ方とあとのソースが変わっているのだという。
ニワトリの活用に興味を示している兄に、テオドールが配慮してくれたのかもしれない。
「おいしいです」と、兄は無邪気に見える様子で味わっていた。
「ニワトリ肉は癖が少ないので、いろいろな味つけが工夫できるのですね。野ウサギに食感は似ていますが、ずっと食べやすい印象です」
「野ウサギは食べたことがないけど、このニワトリに近いの?」
マイエラ夫人の問いに「はい」と兄は頷く。
息子のエルヴィンも興味を見せているのを確認して、そちらにわずかな苦笑を向ける。
「うちの領で肉と言えば、森で獲れる野ウサギに限られるのです。特にこの春先は野ウサギが大繁殖をして思いがけないほど獲れたので、ひと頃は毎日食卓に出ていました。ニワトリと食感は似ていますが野性味というのか癖が強いので、単純な焼き肉だと毎日は飽きが来てしまいます。贅沢は言っていられないのですが」
「それは噂に聞いたな。たいへんな異常繁殖だったそうだね」
「はい」
テオドールの問いかけに、笑顔を保ったまま兄は頷いている。
この話を詳しく語ればキリがないわけだが、ここの話題で深入りするものでもない。
その辺りどこまで承知しているものか、侯爵は表情を変えずに食事を続けている。
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