第24話 赤ん坊、話し合いに出る 3
頭をかく兄に、テオドールは苦笑を向け続けている。
数呼吸、待ってから、侯爵が軽く顎をしゃくった。
それを受けて、息子の苦笑いがますます深まる。
「実は、まだあってね」
「え?」
「セサミなら、まだ輸出量にするとたいした影響ではない。ダンスクが他国に輸出をしている、もっと規模の大きな生産品がある」
「まさか……」
「その、まさかだよ。砂糖なんだ。南方のアマキビを使った」
「そうなんですか」
「アマキビから砂糖を製造する方法はダンスクで開発したと、その権利を主張していてね。他の国ではとり決めをした一定量を超える製造は許可されない、としている」
「それは……すると……」
「ウォルフ君のアマカブから砂糖を作るという技術が実用に値するとしたら、その意味でもとんでもない影響を持つんだよ。そのダンスクの主張する砂糖製造の権利には、明らかに別物で抵触しない。しかしそれで我が国で製造が本格化したら、まちがいなくダンスクからの輸入に影響する。かの国の苛立ちは計り知れないことになりそうだ」
「そういうこと、ですか」
「私個人の感覚としては、ウォルフ君よくやった、これで国力増強まちがいなし、かの国に一泡吹かせて痛快極まりない、というところだがね。外交担当や王族が肝を据えなければならないという点では、さっきの件以上だろうね。権利を主張できない以上、向こうの苛立ちを晴らすには別の方法をとるしかない。最も近い軍事衝突の結果が向こうの圧勝だったことからして、何かそっちをちらつかせてくる可能性は拭えない」
「そんな……」
「くり返すけど、ウォルフ君が気に病むことではないよ。向こうに大義名分があるわけではないのだから、国として肝を据えてしっかり備えていればいいだけのことだ」
「はあ……」
溜息をつく兄を、ずっと向かいから睨む視線は変わらない。
その『肝を据えなければならない』外交の当事者は、苦虫を噛み潰した顔のままだ。
ただ、その前に比べてやや口元が緩んで見えるのは、気のせいか。
「少しは理解したか? 己の視野の狭さを」
「はい。かなり身に染みました」
「本当に、ウォルフ君のしていることがまちがっているというわけではない。今指摘したようなことは当然、宰相付きで行政に携わっているベルシュマン男爵は承知の上で君の行動を見守っているはずだしね。まあ将来的にそういう視点も広げてもらいたい、という年寄りのお節介だよ」
「はい、ご教授ありがとうございます」
侯爵父子に順に声を加えられて、兄は頭を下げた。
「ふん」と肩をすくめて、侯爵は軽く片手を振る。
「話が長くなりすぎだ。子どもはもう寝なさい。明日は今の話の真偽を見せてもらう」
「はい、承知しました」
話は終わったという侯爵の宣言に、挨拶をして僕らは部屋を辞した。
いろいろあって、兄は疲れ切った様子だ。
部屋に戻ってヘンリックに、アマカブ情報の提供を無条件にしたことを事前打ち合わせしなかった件、叱責された。ただそれ以外は、好結果に終わったと思っていいという。
「本当か? かなり厳しく返された気がするんだが」
「あの侯爵閣下、相手が気に入らなければさっさと門前払いにしますよ。最後にいろいろ教えてくださったことからしても、ウォルフ様の提案は前向きに受けとったということでしょう」
「ならいいのだがな」
頭を振って、兄はもう深く考える気力もないようだ。
その夜は久しぶりに、僕は兄の脇にひっついて眠った。当然の成り行きで、その僕の背中にはミリッツァがひっついている。
目覚めたときには窓の外は明るくなっていて、兄が上体を起こして目をしょぼつかせていた。
僕もくしくし目を擦っていると、兄は呆れた顔で見下ろしてきた。
「お前、肩を食われているぞ」
「……いちゅものこと」
明らかに熟睡のままで、ミリッツァは僕の肩口をはむはむと噛み、よだれ染みを広げている。
へたな動きをして妹の口の辺りを傷つけたりするのが怖いので、このままじっとベティーナが救助に来るのを待つのが、毎朝恒例の行事だ。
「苦労しているんだな、お前。ご苦労様」
「……どういたしまして」
「俺が触るのも怖いから、ベティーナを呼んでこよう」
子守りが到着し、兄妹三人めでたく朝の支度を調えた。
朝食は、侯爵の長男親子三人と兄と僕で卓を囲んだ。侯爵本人は同席しないことが多いという。
白小麦パンと牛乳スープに加えて出たニワトリ玉子を惜しみなく使ったオムレツに、兄は感嘆している。僕は同じスープを使ったパン粥だけだ。
食後、約束通り砂糖の作り方を見せることになっている。
こちらにも侯爵本人は顔を出さず、テオドールが文官一人と料理人三人を調理場に集めていた。
僕を抱いた兄が料理人に指示を出して、持参していたアマカブの加工を進める。
煮汁に木炭の粉を混ぜて沈殿させた後、上澄みを味見してテオドールは目を瞠っていた。
「確かに、できているね。砂糖の甘みだ」
「これをさらに煮詰めて乾燥させれば、粉砂糖になります」
「うん、分かった」
「今は木炭を混ぜることで雑味の成分を取り除いていますが、他にも木炭以外で試してみてもいいかもしれません」
「なるほどね」
頷いて、テオドールは傍らの文官に確認する。
「これならそれほど面倒もない。とりあえず設備を整えて、製造作業を始められそうだな」
「はい、さように思います」
「ただちに北部でのアマカブの自生状況を調査して、製造作業場の確保にかかりなさい」
「はい、かしこまりました」
あとを文官たちに任せて、テオドールと我々は調理場を出た。
昨日にもましてテオドールは機嫌よく、やや興奮気味の様子だ。
「今回はこんなにいろいろと情報をもらって、ウォルフ君には感謝のしようもないよ。何でもお礼を、と言いたいところだけど、その辺の詳細は領主同士の話し合いに任せよう。うちの領主殿は十年以上に渡ってベルシュマン男爵との交流を拒否してきたわけだが、今回は私が責任を持って会見を実現させるから、少し待っていてくれないか」
「はい、承知しました」
「それでも、領主の息子同士ですぐできる交流はしたいと思う。ウォルフ君はもう一泊してもらって構わないかな。今日はぜひとも、君に希望があればどこなりと領内の案内をしたいと思う」
「ああ、ありがとうございます。喜んでお世話になりたいと思います」
「どこか見学の希望はあるかな。領主の後宮と領主邸の秘密の脱出路以外なら、たいがいは希望に沿えるが」
「……そんなものがあるのですか」
「いや、どちらもない。少なくとも、私は聞いたことがないけどね」
「はは……」
テオドールの、言ってみれば親父ギャグ調軽口だったらしい。
笑って、兄は少し考えた。
「お言葉に甘えて、できたらニワトリの飼育場を見学させていただけますか」
「ほう。お安いご用だね。領都の郊外にあるから、街中の様子を見ながらそちらへ向かおうか。ウォルフ君は農産物などに興味があるようだから、市場の中も見ていかないか」
「ああ、はい。お願いします」
侯爵家の馬車を立てて、出かけることになった。ホスト側はテオドールと護衛二名だけ、こちらは一行全員だ。
護衛たちはそれぞれ馬に乗り、我々は馬車に収まる。テオドールのたっての希望で、僕はその膝に乗せられた。
「イレーネはあまり身体が丈夫でない娘だったからね。その息子たちが立派に育っているのを見て、感無量だよ」
伯父の口から、初めて母の名前が出た。
「ルートルフは六ヶ月を過ぎた頃の検診で足の骨に不具合があると言われたのですが、その後の療養で持ち直しています」
「そうなのか。心配だったね」
「今日ニワトリの見学を希望したのも、少しそれに関係があるのです」
「ほう、どういうことだね」
「ルートルフの発育に必要なのが、海の魚やニワトリの卵と言われたのですが、どちらもうちの領では手に入らなかったのです」
「ほう」
「幸い症状は重くなかったので、他の食材と日光に当たることで持ち直したのですけれど。比較的赤ん坊によく見られる症状だそうなので、今後領内の子どもの発育を考えると、海の魚は難しくてもニワトリの卵は何とか手に入るようにできないかと思いまして」
「なるほどね」
「あと、キマメもアマカブも加工した後に出る滓の類いが畑の肥料やニワトリなどの飼料に使えるということなので、そういう活用にもならないかと思います」
「なるほど、いろいろと考えているんだね。面白い」
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