第23話 赤ん坊、話し合いに出る 2

「父からは、すべて私の判断で決めてよいと、承諾を得ています」

「それにも限度があろう。自分の考えの幼さを、自覚せよ」

「私がまだ幼いという点については反論のしようもありませんが、この判断をまちがっているとは思いません。聞くところでは、北から流れてきている失業者は数百人、もしかすると千人に上るかもしれないということですね。それだけで我が男爵領の人口の何倍にもなります。我が領の利益を上げることより、こちらの千人規模の人に仕事を用意する方が、まちがいなく国家の利益につながると考えます。

 それも、小麦などの冷害対策を考えながら今年度のアマカブの栽培を始めるとすると、もう時間の余裕はありません。いますぐその人々を北部の農地へ帰らせて畑起こしから始めさせる必要があります。ここで領主間の駆け引きをしている時間はないのです」

「む……」

「冷害対策としては、我が領地で研究している農民から、農地を四分割して小麦とゴロイモ、キマメ、アマカブを一年ごとに回す輪作が効果があるのではないかという提案があります。土地の力が落ちないので小麦が冷害に強くなるのではないかという仮定についてはまだ実証されていませんが、少なくとも他の三作物は小麦より寒さに強く、従来より商品価値が上がることが期待されますから、冷害で土地を捨てなければならない事態はかなり防げると思います」

「う……む」

「我が国で冷害の恐れが大きい北方の農地といえば東から辿って、このエルツベルガー侯爵領の北部、旧ディミタル男爵領、我がベルシュマン男爵領、アドラー侯爵領の北部ということになると思います。このうち現在我が領となった旧ディミタル男爵領では今年度から今言った四作物の輪作を、従来から我が領である西ヴィンクラー村とアドラー侯爵領ではアマカブを除いた三作物の輪作を始めることになっています。できましたらこちらエルツベルガー侯爵領にもこの試みに加わっていただいて、今後も情報交換や優良な種などのやりとりをしていくことができれば、我が国全体の食料事情向上にも役立つと考えます」

「……ふん」


 片手で顎髭を撫でながら、侯爵は考えに沈んでいた。

 テオドールはやや呆然として、執事と顔を見合わせている。

 少しして、「テオドール」と侯爵はテーブルを睨んだまま声を発した。


「今此奴が言った輪作というもの、実現は可能か?」

「すぐに着手すれば、技術的に不可能ではないでしょう。問題は、アマカブの苗が十分に得られるか調べてみなければ分からない、ゴロイモもこれまで重要視していなかったので種芋が十分かは心許ないところです。キマメの種はおそらく十分な量に足りないと思われます」

「そうか」

「キマメの種は、アドラー侯爵に依頼すれば譲ってもらえると思います。ゴロイモについては旧ディミタル男爵領の東ヴィンクラー村に多少の余剰があるので、都合できるかもしれません」


 兄の口添えに、侯爵はぎろりと視線を返した。


「ふん。なら、その辺の交渉次第だな」

「こちらの提案に、ご賛同いただけますか」

「ふん。まだまだ考えが浅いところはあるが、的外れでもないようだ」

「ありがとうございます」

「肝要なのは、キマメとアマカブの価値にまちがいがないか、だな。その辺の信憑性を、しっかり示してみよ」

「かしこまりました」

「アマカブから本当に砂糖ができるかについては、明日見せてくれるんだね。キマメが、二日だっけ、水に漬ければ使えるかは、実際にこちらで確かめてみる。トーフの製造について人を派遣するかについては、後日また相談することになる」


 テオドールが列挙するのに、「分かりました」と兄は頷き返す。

「ふん」ともう一度鼻を鳴らして、侯爵はそのまま顎を撫でている。

 やがて、またその目がぎろと兄に向けて持ち上げられた。


「せっかくだから、少し教えてやろう」

「はい」

「今、まだ考えが浅いところはある、と言ったが。其方、自分で分かっているところはあるか」

「ああ、はい。いろいろ知識が足りないところは承知しているのですが――あえていちばん弱いところで言えば、外交、貿易に関する影響でしょうか」

「ふん、分かっているではないか」

「国力をつけるために輸入を抑える、と安直に考えましたが。そのような単純なものではないのでしょうね」

「当然だ。それほど単純なら、誰も苦労はせぬわ」

「はい」

「其方、リゲティ自治領については知っているか」

「あ、はい。えーと、我が国の南西部に接していて、二十数年前まで領地だったのが、西の隣国ダンスクに攻めとられた、ということでしたね」

「その程度は、初等学院生でも知っておる」

「申し訳ありません。まだ学院入学前なので」

「そうであったな」思わずのように、侯爵の口元がわずかに緩む。「生意気な口ばかり叩くので、忘れておったわ」

「恐縮です」

「テオドール、教えてやれ」


 後を息子に丸投げして、侯爵は腕組みでソファに深く凭れ直した。

 苦笑の顔で、テオドールは説明を引き受ける。


「まあ、知っているかもしれないが、前提から簡単に話そう。リゲティは我がグートハイル王国とダンスクに挟まれた地域で、両国が成立した三百年以上前から、その領有権を巡ってたびたび紛争がくり返されてきた。その前五十年以上に渡って我が国の領土として落ち着いていたのが、二十四年前に突然ダンスク軍が侵攻してきて奪いとられた、という経緯だね」

「はい」


 そもそもグートハイル王国とダンスクの境界は北方からずっと険しい山地になっていて、ほとんど人の往き来ができない。その山地が途切れたリゲティの地域だけ平地になっているため、両国からの通行が可能になっている。グートハイル王国からは西の諸国へ、ダンスクからは東へ、通商などのほぼ唯一の要所になっていて、領有権が重要ということらしい。

 グートハイル王国に比べて、ダンスクは軍備面で勝っている。もともとの人口も多いし、武器に使われる鉄の質が高いことが大きな理由のようだ。

 それに対してグートハイル王国は、東のダルムシュタット王国、ダンスクの西の隣国シュパーリンガーと友好国の条約を結び、軍事大国ダンスクを牽制している現状だ。

 二十四年前は隙を突いてリゲティに侵攻されたが、すぐにこの両国が兵を起こす動きを見せたため、そこで休戦が成立した。

 事実上戦闘は惨敗なので、我が国はそれまでリゲティを不法占拠していたという名目の賠償を払わされ、今後もリゲティを不利益になる扱いをしない旨の一文を書かされて事を収められたということだ。

 具体的には、リゲティは主に農業地帯で、地形的にグートハイル王国と交易をしなければ存続できない。その関税などの扱いをかなり優遇することになっているらしい。


「ここからが現在抱える問題ということになるんだけどね、そのリゲティの最も主要な特産品がギンコムギだ」

「あ、はい、知っています。パンや菓子に使うとふつうの白小麦に比べてかなり柔らかく、高級品とされているんですよね」

「そう。それを我が国や他の周辺諸国に輸出することで、リゲティは成り立っていると言っていい。そこに最近影響を及ぼしたのが――君だ」

「はい? 私ですか?」

「そう。聞いていないかな。君が開発して広めた天然酵母は、白小麦と黒小麦のパンを圧倒的に柔らかくするが、ギンコムギにはあまり効果がないんだよ。そのため、白小麦パンの質が大幅に向上して、ギンコムギの高級感が下がってしまった。この先、ギンコムギの輸入量が減ることが予想される。となると、リゲティとダンスクがそのまま黙っているとは思えない」

「え……でも、それは……」

「もちろんそんなの、自由競争の中で考えれば、当然の成り行きだ。販売量が減るなら、増やすための努力をすればいい。それが常識なわけだけど、問題になるのが『リゲティを不利益になる扱いをしない』としたとり決めでね。難癖をつけようと思えば、そこをついてごねてくることは考えられるわけだ。需要が減ることなど関係なく、一定量の輸入を持続せよ、とか」

「え……」

「まあそんなこと、ウォルフ君が気に病む必要はないわけだけどね。外交担当と王族が肝を据えて対処することだ。ただ、そういう影響が起こるということを、すこし頭の隅に置いていいのではないか、ということだ」

「は……い」

「さらにまだあってね、ダンスクに絡むことは」

「何でしょう――あ……」

「思い当たるかい」

「セサミ、ですか。ダンスクの特産と聞きました」

「当たり、だね。先様も最近、こちらで生産が始まっていることに気づいて、苛立ってきているようだ」

「何か……何と言えばいいか」


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