第22話 赤ん坊、話し合いに出る 1
「閣下が先ほど仰られた領主の人たちの意識改革は私にはどうしようもありませんが、絶対必要だと思います。我が国の国力不足と言われる原因は、確かに資源や人材などの不足もあると思いますが、数ある領地の間での交流の不足も大きく影響しているのではないでしょうか」
「どういうことだ」
「昨年来我が領でゴロイモやキマメなどの活用法を検討していて、どうしても気になったことがあるのです。凝った料理についてならともかく基本的な調理法、たとえばキマメは丸二日水に漬ければ食べやすくなるなどということ、今まで誰一人気がつかなかったとはどうしても思えません。もし誰かが気がついてもそれを記録に残したり、広く伝えたりする動機が産まれないのではないか。文字を知る人の少なさや羊皮紙の高価さなども原因としてあるでしょうが、それ以上に、地域間の交流の少なさが根本にあるのではないかと思います。
この数ヶ月、自領の農業について考えていて、切実に思いました。昔の農業の記録や他領の農作物の情報がもっとあれば、大いに助かるはずなのにと。そういう情報や資源の流れの断絶が、この国の発展を妨げている一因になっているのではないでしょうか」
「聞いたふうなことを」
視線を外したまま、ふん、と侯爵は鼻を鳴らす。
「まず早急にできそうなのは、領地の間の交流を増やすことだと思います。何もかも特産だと囲い込んで自領の中にだけに留めるのではなく、産物や情報を交流させる。国民の生活の中で足りないものを補い合い、経済を活発にすることで、国全体を向上させることができると思います」
「そのために、其方の領のように馬鹿正直に何でも公開すると申すか」
「はい。最初は損のように見えても、回り回って国全体を豊かにして、自分の元にも戻ってくると考えます」
「ベルネット公爵も丸め込んで、塩の価格を引き下げるそうだな」
「はい。生活必需品の価格は抑えて、国民の生活に余裕を持たせるべきと、父と公爵の間で意見が一致したそうです」
「あの公爵も、酔狂な……まあいい」
先を続けようとする兄を、侯爵はぎろりと睨んで制した。
無造作に、その手元の箱に顎をしゃくってみせる。
「どうせそのような青臭い訴えが目的なのだろうが――用件に入りなさい」
「はい、お聞きいただき、ありがとうございます」
テーブルに箱を置いて、蓋を開く。
「父から事前に話があったと思いますが、農業に関係してご協力をいただけないかとお願いに参りました。決してこちらの領に不利益にはならないものと――」
「前置きはいい。簡潔に話せ」
「はい。まず、こちらの味を見ていただけますでしょうか」
ずい、と兄は箱をテーブルの中央に差し出した。
いくつか添えてあった匙の一つを手に取り、中の琥珀色の粉末と固まりの混合から、少量をすくう。
「先に、私が毒味をいたします」
言って、それを口に含み。
にこり笑顔になって、兄はさらに箱を滑り押し出した。
苦虫を噛んだような表情で、侯爵の視線が落ちる。
横から長男も、興味深げに覗き込んできた。
「何だい、この怪しげな色の粉末は」
「説明よりも、まず味を見ていただく方がお分かりいただけると」
「ふうん」
苦笑いの顔で。テオドールは匙を二つ取り上げ、一つを父親に手渡した。
先んじて粉末をすくい、無造作に口に入れる。
無表情で、侯爵も同様に匙を動かした。
「む……」
「これは――砂糖かい」
「はい」
「こんな色の砂糖は見たことがないし、高価な輸入品をわざわざ持参する意味もない。そちらの領で、これを作ったと?」
興奮気味にテオドールに問い詰められて、兄は「はい」と頷いた。
後ろを振り返り、ヘンリックから布袋を受けとる。
取り出した根の丸い植物を、同じくテーブルに乗せて差し出す。
「これをご存知でしょうか」
「何だい? 見覚えはないが」
「こちらの北方の地に自生すると聞きましたが」
兄の説明に、テオドールは首を傾げて父親を見た。
侯爵も、「知らん」と軽く首を振る。
そこへ、背後に控えていた執事が一歩進み出た。
「アマカブではないかと存じます」
「知っているのか。領内に生えていると?」
「はい。北部の寒冷地に多く自生しているようで。一見野菜のようですが食用には適さず、雑草の扱いと聞き及びます」
執事の返事に頷いて、侯爵は兄に視線を戻した。
「この雑草から、砂糖が採れるというのか?」
「はい。この丸い根二個分から採れたのが、この量です」
「ふうむ……」
考え込む父親をよそに、横からテオドールが身を乗り出した。
今までにもまして興奮を露わに、目を輝かせている。
「砂糖と言えば南方の産物で、ほとんど輸入されるものばかりだ。このような北方の農産物から採れるなど、聞いたことがない。それが本当なら、画期的な情報と言える」
「そうではないかと思います。今自生している分からだけでも、相当な量の生産が望めます。今すぐからでもアマカブの苗を集めて本格的な栽培を始めれば、将来的に継続して大量の生産が確保できるのではないでしょうか」
「ふうん……かなり有望な情報だな、確かに」
「よろしければ明日にでも、このアマカブから砂糖を取り出す方法を実際にお見せします」
「おお……」
笑顔になる長男を、侯爵は横目でぎろと睨んだ。
そのまま鋭い視線を、兄の方に戻す。
「そんな都合のよい話をこちらに持ちかける、其方の目的は何だ。交換条件に、先ほどの青臭い話に協力せよと申すか」
「塩と同様に、価格を抑えた大量流通に繋げたいので、ご協力をいただきたい。それによって国民の暮らしを豊かにし、輸入を抑え、国力を上げることが望めるので――」
「ふん」
「――という交渉をしようと考えていましたが、今日この領に来て、気が変わりました。条件はつけずに、製法をお教えします」
「何?」
「そんな――何が目的だ?」
絶句する父親の横から、テーブルを両手で叩いてテオドールが声を上げてきた。
「今日の昼間、この街を歩いていて、話を聞きました。近年北部の農村で不作が続いて、畑を捨てた農民が大勢こちらに流れてきているようですね」
「ああ。それは」
「こちらでもそんな、失業者への対策を考えていらっしゃるようですが」
「そうだ。この春から、領都での雇用を増やして対応していくことにしている」
「それは素晴らしいことだと思いますが。たとえばそれ以外の選択肢として、このアマカブの栽培と製糖作業場をその北部の地方で始められたら、失業者が元の村へ戻って働くことができるようになりませんか」
「それは、確かに――」
「馬鹿か、其方は!」
いきなり、侯爵が感情を露わにテーブルに拳を打ちつけた。
「そんな他領の都合に気を配って、格上の侯爵家から有利な条件を引き出せるはずの交渉を、放り出すというのか?」
「はい」
「領地の利益も自分の理想もこんなことであっさり投げ出すなど、貴族として失格だ。考えが甘すぎる」
「そうでしょうか」
「どうせ其方の刹那的な子どもっぽい思いつきで、父親の意見も確かめていないのであろう。見ろ、そちらの執事も思いがけないことを聞いたと、動揺しておるわ」
確かに。後ろに控えるヘンリックは、予想外の事態にめったにない感情を顔に表して、手を震わせている。
さっき、ベティーナの目を盗んで兄と僕は短い打ち合わせをしたけれど、ヘンリックと相談する余裕はなかったからなあ。
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