第21話 赤ん坊、晩餐に出る 2

 メインディッシュのようで、ステーキがまだジューと音を立てている。

 置かれた皿を見て、無表情だった侯爵がわずかに眉を持ち上げた。

 隣で、テオドールは表情を抑えている様子だ。

 マイエラはぽっかり目を丸くしている。


「ステーキが二種類とは、聞いていませんでしたよ。こちら、イノシシは分かりますが、もう一つは何なのですか」

「何か趣向があるのだろう。とにかく、食べてみようじゃないか」


 事もなげに応える息子の顔を、侯爵はじろりと一瞥したようだ。

 そのまま挑むような顔で、正体不明の四角形にナイフを入れる。その柔らかさに驚いたらしく、一瞬手が止まっている。

 こちらの向かいでは、夫人とその息子がこれ以上ないほどに目を大きく瞠っていた。


「何ですか、これは?」

「何、何これ? 柔らかい、滑らか――何か分かんない」


 叫んで、エルヴィンは父の顔を覗いた。


「でも何? おいしいような、そうでもないような。そもそもこれ、味がしないんじゃないですか?」

「うん――いや、しないわけじゃない。淡泊でソースの味に隠れているが、コクというかかすかな味はある。何と言うか、面白い」


 笑いを堪えるような長男の隣で。

 黙ったまま侯爵は、イノシシのステーキと両方を食べ比べているようだ。

 その目が、またぎろりと兄を睨み上げた。


「これも、其方が持ってきたものか?」

「はい」急いで口の中のものを呑み込んで、兄は頷く。「トーフという食材です」

「もとになっている風味は、さっきの豆と同じなのではないか」

「はい。キマメを加工してできた食材です」

「あのキマメ?」夫人が目を丸くした。「舌触りがまるで違う。こんな滑らかな口当たりの食べ物、今まで口にしたことがありません」

「豆の舌触りのある部分を除いて、固め直したものと思っていただければ」

「そんなことを?」


 ぽかんとした妻の傍ら、テオドールも交互にイノシシとトーフを食べ比べている。二三度食べ比べ、カトラリーを置いて「うーん」と唸った。

 そのまま、困惑めいた顔を兄に向ける。


「こう言っては悪いが、イノシシより突出してうまい、というわけではないね」

「ええ。こういうメインディッシュの料理として、イノシシなどより食べ応えがある、というものではないと思います。肉の代用品というよりは、別の食材として扱うべきでしょう」

「そうだね。ただ、淡泊な味と滑らかな口当たりが独特で、何とも忘れられないというか、面白い」

「今日は最も手っとり早く献立に加えてもらうためにステーキにしてもらいましたが、そもそもそんな用途に限るものではないのです。小さく切ってスープに入れたり、煮物炒め物、いろいろなものに使えると思います。我が家ではこのまま、赤ん坊の離乳食にもしています。その他にもいろいろ、肉が手に入らない場合の栄養が得られる食材として考えています」

「なるほど、そう考えるとますます興味深い」

「イノシシ肉のような重いものを食べたくないときにもいいかもしれませんね」マイエラが頷いている。「それにやはり、この淡泊な味と滑らかな口当たりは、他にない独特なものです。料理人なら、いろいろ工夫してみたくなるのではないですか」

「そうだね、後で料理長にもまた感想を聞いてみたいな」

「ウォルフ様、このトーフというものも、作り方は教えてもらえますか?」

「これはやや複雑なので、口での説明は難しいのです。それから、トーフを固めるのには製塩の際にできる副産物が必要になります。その辺を合わせて、誰かを我が領まで数日派遣していただければ、十分にお教えすることができると思います」

「ぜひ検討させてください」


 思った以上に気に入ったらしく、夫人は目を輝かせて大きく頷いている。

 一方、侯爵は兄に横目を送って、やや苦々しい顔になっているのが見えた。

 食事が終わると口を拭って、


「この後、執務室に来なさい」


 言い置いて、立っていってしまった。

 残された長男親子と、兄はもう少し話を続けた。

 兄は、イノシシ肉と豊富な野菜の種類を賞嘆する。とりわけ、ニワトリの玉子が豊富に出回っているのが羨ましい、と話す。

 夫人と息子は、他に珍しい食材があればまた見せてほしいと懇願する。

 そんな貴族らしい賛辞のやりとりをして、場を終えた。


 部屋に戻り、改めて服装を整えて、侍女の案内で領主執務室に向かう。

 さっきと同様、兄は僕を抱き、ベティーナに抱かれたミリッツァとヘンリックを伴っている。

 相手も前と同様、長男と執事が控えていた。


 勧められて、兄は侯爵と向かい合ってソファに腰を下ろした。横手にテオドールが座る。

 ヘンリックが運んできた木の箱を兄が受けとっていると、向かいの侯爵が視線を斜め上に向けたまま、低い声をかけてきた。


「父子ともに領主として未熟だな、男爵家は」

「はい?」

「領主として最優先に考えねばならぬのは、領地を富ますことだ。せっかく自領の特産とできるものを開発しておきながら、それをあっさり他領に公開してどうする? 自領の利益を得る前に、特産が特産でなくなってしまうではないか」

「ああはい、ご忠言ありがとうございます」軽く、兄は頭を下げた。「しかしこの点は、父とよく話し合って決めました。我々は、自領の利益よりも国を富ますことを優先する所存です」

「国を富ます、か。青臭い理想だ」

「そうでしょうか。――その、今回お招きいただいた機会に、侯爵閣下にお教えいただきたいことがあったのですが」

「何だ?」


 ずっとこちらを相手にする気がないかのように上方に逸らされていた視線が、ぎろりと一瞬兄の顔に落ちた。

 しかしそれもまた、すぐに持ち上げられてしまう。


「閣下は、ずっと中央で外交部門を担当されていると伺いました」

「それが?」

「外交に関わることについて私はまだ学習が足りず、ほとんど情報を持ちません。中央の機関で研究している学生に少し話を聞いた程度なのですが、我が国は周辺諸国に比べ、軍事能力や貿易力で後れをとっている、という指摘は真でしょうか」

「ふん――誤りではないが、正確でもないな」

「と言いますと?」

「『後れをとる』などという可愛いものではない。現状、軍備の点でも貿易でも、我が国は何も力を持たぬに等しい。友好国とのとり決めで守られていなければ、今すぐにでも隣国に潰されて、何の不思議もない」

「そう……なのですか」

「そのような現状を見ようともせず、互いの足の引っ張り合いにうつつを抜かす領主連中には、呆れるしかないがな」

「しかし、そうであればこそ、そのような人々の意識を変え、国民の暮らしを豊かにし、他国に対抗できる国力をつけることが大事なのではないのですか」

「あのような愚鈍な連中の意識を変えるなど、そんな面倒なこと、誰がやるというのか」

「その辺りは、閣下のようなお立場と見識をお持ちの方にお願いするよりないのではないかと」

「ふん、勝手をぬかしおる」

「しかしやはり、その辺を知れば知るほど、国力の増強は急務なのではないですか。父と私も最初は、自領を富ますのが第一歩で、それを周辺に広げていけば、と考えていたのですが。それでは間に合わない、早急に直接国全体に広げる必要がある、と認識を改めました」

「ふん」


 侯爵の視線は、やはり兄から逸れてあらぬ方を向いている。

 兄の腕の中で身をよじってそれを辿ると、部屋の隅の椅子にかけさせてもらっているベティーナの膝で、ミリッツァは気持ちよさそうに眠っている。

 こんな大人の話し合いの中で退屈するのは当然で、泣き騒がないだけよしとすべきだろう。


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