第13話 赤ん坊、砂糖作りを見る

 午前中に作ったトーフは柔らかめだったので、スープにした。一方、午後から再びジーモンが挑んだトーフは、うって変わって固めになった。

 インゲはこれを指二本ほどの厚さに切り、ゴロイモを乾燥させた粉をまぶして、そのまま焼き上げた。

 ヤマリンゴを使ったソースをかけた『トーフステーキ』は、そのまま夕食のご馳走になった。


「ジーモンもインゲもたいしたもんすよ」ランセルが心底感心の様子で言う。「柔らかめと固めのトーフを自在に作れるようになって、これまるで別物みたいな食材になってしまってるす」

「今後も、二種類の作り方を確立した方がいいかもしれないな」


 兄も感心して頷いている。

 母はすっかり気に入った様子で、ステーキを味わっている。


「これはいいです。まるでくどくないのにご馳走のような豪華さで。口当たりもいいし、このソースもよく合っています」

「同感です、母上」


 次の日からは、ジーモンの家に道具を揃えて、二種類のトーフを量産することになった。今後は村の中で販売を始め、適宜領主邸にも届けてもらうことになる。

 また、ランセルとインゲが村の者を集めて、キマメとトーフの料理法について説明会を開催した。同時にかなりの量のキマメを無料配布して、兄とヘンリックから輪作の作物とする方針と、この先食生活に取り入れるようにという指示がなされた。

 一気に、今後領内の農作と食事情に変革がもたらされたことになる。

 アドラー侯爵領の料理人は五日間滞在して、トーフ作りを一通り身に着けて帰ったようだ。


 数日後、いきなりヘルフリートが現れた。

 東ヴィンクラー村での用事を済まし、依頼したアマカブの現物を見つけたので、単騎で届けに来たという。雪の下で冬を越したらしい土にまみれた丸い根の植物が、山のように背中に結わえられている。


「いやあ、話に聞いていた岩山の隙間を抜ける道を使うと、本当に数刻で到着するのですね。なかなかに冒険心を刺激される行程でした」


 得意げだが、よく聞くと森の中で危うく迷子になるところだったらしい。

「もっと分別のある行動をしなさい」と、父のヘンリックから苦言を受けていた。


「それよりも、この雑草を活用する方法をウォルフ様が思いついたということ。旦那様も私も、楽しみでなりません。さあさっそく、見せてください」

「慌てるな、落ち着け」


 額を押さえて、兄は顔をしかめていた。

 何しろまだ午前中、兄は勉強時間の最中なのだ。

 いつものカリキュラムを終えると、ベッセル先生も興味を示してきた。

 数日前から何度か僕と打ち合わせをくり返していたので、兄はすぐに食堂で実験を始めることにした。


「今まで試してきた料理などと比べても、さらにいっそう当てのない試みだということは承知しておいてください。ランセル、いつも済まないが、頼む」

「へい」


「当てのない」という前置きを聞きながらも、何かランセルは期待に満ちた顔だ。

 これまでのいくつかの試みがほとんど成功裡に終わって食料事情改善につながっているので、料理人として楽しみでならないようだ。


 実験は、それほど複雑なものではない。

 アマカブの太く丸い根の部分をよく洗い、粗い角切りにする。

 大きな鍋に湯を沸かし、アマカブを投入。

 沸騰しない程度に、浮いた灰汁を除きながら、しばらく加熱を続ける。

 その間に用意したのは――暖炉で薪を燃やした後に残る灰、だ。

 十分加熱した煮汁を、笊で漉す。

 煮汁をとろ火で温めつつ、灰をよくかき混ぜながら加える。

 温度が下がらないように加熱を続けながら、灰の沈殿を待つ。

 沈殿が収まった後、琥珀色の上澄みだけを別の鍋に移し、煮詰める。


「本当はもっと煮詰めるらしいが、とりあえず味を見てみよう」


 言って、兄は煮汁を少量匙ですくって、口に運んだ。

「うん」と頷き、居並ぶ一同を振り返る。


「みんなも、味を確かめてください」


 ヘンリック、ヘルフリート、ベッセル先生、ランセルが、次々と匙を入れた。

 たちまち、全員の目が丸くなる。

「甘い!」とヘルフリートが叫んでいた。


「本当に甘みが取り出せるのですか、こんな方法で!」

「このままだとかなり薄いから、やっぱりもっと煮詰めなければならないようだな」


 頷いて、兄はランセルにかき混ぜ続けるように指示をした。

 大きな木のへらで、ランセルはぐるぐる鍋の中を攪拌する。

 しばらく経つと、その汁がとろみを帯びてきた。

 さらに加熱し混ぜ続けると、持ち上げたへらの下に糸を引くほどになってくる。

「とりあえずこんなものか」と、兄は火を止めさせた。

 また全員で味を見て、ヘンリックが大きく頷いた。


「十分な甘みですな、これは」

「少し、えぐみが残って感じられるかな」

「いやウォルフ様、十分すよ。これだけ甘みがあれば、料理などにも使える。少し雑味などありますが、甘みには換えられません」


 兄の呟きを、ランセルがすぐ打ち消した。

 とにかくそれだけ、甘みを感じさせるものは貴重なのだ。

 ベッセル先生も頷いて、それに賛同した。


「いや確かに、これだけ甘みを持つもの、誰もがほしがりますよ。売り物にもなると思います。えぐみのようなものも少しありますが、それでもほしがられるでしょう。それに例によってこれは試作、まだやり方によってえぐみを減らせるかもしれませんね」

「そうですね。ひとまず成功、まだ工夫の余地あり、ですね」


 笑う兄に。

 ぐいとばかりにヘルフリートが詰め寄った。


「ウォルフ様、私は即刻王都に戻ります。この試作品、旦那様に持ち帰らせてください」

「分かった。くれぐれも、まだ試作品だということは伝えてくれよ」

「当然です」


 一躍、ヘルフリートはランセルに指示して試作品を容器に詰めさせている。

 それを見ながら僕を抱き直し、兄は「うーん」と唸っていた。

 聞き咎めて、ヘンリックが顔を覗いてきた。


「ウォルフ様、何か気になるのですか」

「いや、気になるというか――この件だがな、一度エルツベルガー侯爵と話し合いを持った方がいいのではないか」

「話し合い、でございますか」

「うん。今までの輸入物の砂糖に対抗する流通を作ろうとしたら、うちの領地でこれを栽培するだけではとうてい覚束ない。エルツベルガー侯爵領で生産をしてもらってこそ、輸入に頼らない国力をつけることになるのではないか」

「はあ……まあ、そうですな」

「その旨、ヘルフリートに言付けて父上に伝えるよう、取り計らってくれるか」

「さよう……でございますな」


 いつになく歯切れの悪い返答を、ヘンリックはした。

 以前の議論の蒸し返しで、納得いっていないのだろうか、と僕は秘かに首を傾げる。

 確かに、領地の利益だけを考えれば、まちがいなくこれは独占で販売を始めるのが得策なのだ。

 塩やセサミの場合にもまして、それは断言できる。

 前の場合はすでに先行する販売ルートがあったので、それと敵対するのはまずいという判断があった。

 しかし今回のこれは、今までの砂糖とは異なる新商品だ。輸入業者などから警戒はされるだろうが、販売を始めることに何の遠慮もいらない。堂々と競争を始めればよい。

 むしろ我が領地独占での細々とした売り出しの方が、そういった警戒も少なく、希少価値的な利益が見込めそうなほどだ。

 そこまではこの数日、兄とも話し合った。

 領地の利益のためなら、そうするのが当然だ。

 しかし、それでは駄目なのだ。

 兄とも父とも、ベッセル先生やその後輩アルノルトとも話し合った。

 我々は、国益のために働こうと。

 今、この国は貿易赤字で苦しみ始めている。そこを持ち直して国力をつけなければならない。

 その目的のために、今回のこの甘味料、アマカブ糖は大きな意味を持つはずなのだ。

 国産の甘味料を流通させて、砂糖の輸入を減らす。場合によっては、輸出品にできるまで成長させられるかもしれない。

 そしてそのためには、我が領の独占ではほとんど意味がない。

 エルツベルガー侯爵領についてくわしいことは知らないが、まちがいなく我が領より財力も人手もあるだろう。そして持て余すほど自生しているアマカブを抱えている。

 協力を持ちかけるには、これ以上ない相手のはずだ。

 侯爵の人間性などの問題については、父に判断を委ねるしかないわけだが。

 とにかくここしばらくの我々の行動指針からすると、この判断でまちがいないはずなのだ。

 何か、ヘンリックがためらう理由があるのだろうか。


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