第12話 赤ん坊、根菜を調べる

 午後からは、ジーモンはトーフ作りの試行。インゲはランセルとウェスタ、ベティーナを助手に、キマメとトーフ、オカラの料理法についていろいろ試している。

 作業の合間に、兄はジーモンから農法のこれまでの工夫についての話を、興味深げに聞いていた。

 ジーモンによると、今まで小麦とゴロイモ、クロアオソウで輪作をしてきたところの、クロアオソウをキマメに換えるのは賛成だ、ということだ。クロアオソウは単独で毎年栽培していい。キマメの方が輪作に合っているのだという。


「本当なら、三年輪作より四年で回す方が収穫はよくなるんじゃないかと、わしは思っているさね」

「四年? そうなのか」

「特に小麦は、それだけ空けた方がいいと思うです。しかし今のを始めた頃は、最初そこまで小麦の作付けを減らす余裕がなかったさね」

「なるほど、畑の面積三分の一と四分の一ではけっこう違うものな」

「小麦とゴロイモ、キマメの組合せは、いいと思う。ウォルフ様、小麦キマメと、ゴロイモの違い、分かりなさるかね」

「小麦とキマメが共通して、ゴロイモが違う点か? 何だろう」

「食べる部分さ。小麦とキマメは、地面より上にできる。ゴロイモは下だ」

「ああ、言われてみれば、そうだな」

「輪作にいちばんいいのはわし、これを上下上下と交互になるように四年別々の作物で回すことだと思ってるさ」

「交互に四種類、か。そうすると今のままでは、下のものが一種類足りない?」

「理想を言えば、そう思うさね」

「下――と言えば、根の部分を食べる、いわゆる根菜というやつだな」

「そうさね。しかし、ここの気候に合った根菜のもの、前に領主様とも話したことがあるんだが、うまいのが見つからない」

「なるほどな」


 熱心に、兄は頷いている。

 老夫婦が作業を続けているうちに、いつもより少し遅く、僕らは散歩に出た。昨日外に出なかった分、少しでも多く日光に当たっておこうという目的だ。

 兄はウィクトルを伴って、森へ野ウサギ狩りに出かけるという。

 大繁殖は収まったが、まだ十分な数の野ウサギが棲息している。純粋に屋敷用の食肉確保のために、週に一回程度、兄は狩りに行っているのだ。

 最近は兄もウィクトルもまた弓の腕が上がって、射程範囲内を素速く駆け抜けようとする獲物を仕留めることがかなりできるようになっているという。

 この日も、二刻あまりの狩りで二人は三羽の野ウサギを持ち帰ってきた。


 夕方は居間で、ミリッツァとカーリンが遊ぶのを見ながら、兄の膝で読書。

 老夫婦は帰宅したようで、厨房ではランセルとウェスタ、ベティーナがいつものように立ち働いている。

 思い出すことがあって、開いた植物図鑑の前のページに戻るように、僕は手振りで要求した。

 訝りながら、黙って兄は従ってくれる。

 数ページ戻り、開かれた手描きの図をそっと指でさす。

 読んで、「アマカブ……?」と兄は独り言めいた呟きを漏らした。

 人目を避けてやや苦労しながら、手元の石盤に一語書き込む。

 兄の目が、困惑で丸くなった。


 ちょうど、ランセルが居間に入ってきた。

 母とイズベルガに確認することがあったようで、すぐ用を済まして戻りかける。

 そこへ、兄が問いかけた。


「ランセル、ちょっと訊いていいか?」

「へい」

「アマカブって、どういうものか知っているか?」

「アマカブ、すか?」


 立ち止まり、視線を上げて考えている。

 ようやく記憶に思い当たるものがあったようだ。


「現物を見たことはない、すが、聞いたことはあるす。シロカブと似ているが、まちがえないように、と」

「それは、シロカブとは違って食べられない、ということか」

「へい。無茶苦茶えぐみが強くて、料理には向いていないという話す」

「そうか」


 やりとりしていると、意外な方向から発言があった。

 母の後ろに座る、イズベルガだ。


「アマカブというと、エルツベルガー侯爵領の北部でよく見られる、雑草扱いのものと聞きましたね」

「知っているのか? エルツベルガー侯爵領というと――東の方だな」

「はい。旧ディミタル男爵領の東隣ですね。もう少し南に広いですけど」

「その北部――南北でいうと、ここより北か? 南か?」

「少しだけ南になるでしょうか。寒さや雪が多いという条件では、似通っていると思います」

「そういう気候条件で自生しているということだな。かなり多く見られるのかな」

「くわしくは存じませんが、飢饉のときに他に食べるものがなくて、アマカブの根を囓ったという話を聞いたことがあります。少し甘みがあって空腹を紛らす足しにはなりますが、それこそえぐみが強くて平時に口にする気にはなれない、と聞きます」

「なるほどな」


 その会話を、少し前に入ってきたヘンリックが控えて聞いていたようだ。

 話が途切れたところで、訊ねてくる。


「ウォルフ様、そのアマカブがどうかしたのでしょうか」

「ああ。さっきジーモンに聞いた話でな。ここの土地の気候に合った根菜の種類がないかと考えていたんだ」

「気候に合っていたとしても、食用にならない作物では無意味かと思いますが」

「そうなんだがな。直接食用にならないにしても、名前の通り少しは甘みがあるのだろう? 砂糖のような甘味料を作ることはできないだろうか」

「砂糖でございますか?」

「我が国では、砂糖はほとんど生産されていないはずだな?」

「さようでございますな。砂糖は南方の、アマキビといいましたか、そんな植物から採るはずですので。ほとんどが南方の諸国からの輸入で、我が国ではわずかにベルネット公爵領で生産が試みられていると聞いたことがございます」

「アマキビ以外からの生産は無理なのだろうか。誰か試してみたことはないのかな」

「さあ。寡聞にして存じませぬ」

「ものは試しだ。そのアマカブ、現物は手に入らないだろうか」

「さあ……エルツベルガー侯爵領に当たれば、何とかなるやもしれませぬが……」


 ちらと、ヘンリックの視線が母とイズベルガの方に流れたように見えた。

 一呼吸置いて、母が微笑んで口を開いた。


「ウォルフがいろいろ考えて試してみようとするのは、いいことだと思いますよ。ヘンリック、何とかできませんか」

「はい。旦那様に連絡を入れて、王都のエルツベルガー侯爵領とゆかりのある商会などに問い合わせてもらいましょう」

「もしかすると」イズベルガが首を捻って口を入れた。「すぐ隣になるわけですから、新しい領地、東ヴィンクラー村の付近で自生のものは見つからないでしょうか」

「ああ、それもあり得ますな。確か近日中にヘルフリートが東ヴィンクラー村に出向く予定と聞いていますので、ついでに探させてみましょうか」

「そういうことなら、頼む」


 兄が頷きを返す。

 そこへ、部屋の隅から「え、え……」という弱々しい声が持ち上がってきた。

 眠気が差してきたらしい、ミリッツァの恒例のむつかりだ。

 慌てずイズベルガが歩み寄って、抱き上げる。

 すかさず兄も僕を抱き上げて、ソファに運ぶ。

 すぐ脇に寝せられたミリッツァが、ぐしゅぐしゅと僕の膝にすがってくる。

 それほど待たないうちに、その息遣いが静かになっていく。


――何と、見事な連係プレー。


 思わず呆れてしまうほど、みんなこの対処に慣れてきてしまっている。

 感心すべきか腹を立てるべきか悩みながら、僕はその眠りを妨げないようにじっと動きを堪えて、妹の髪を撫でていた。


 そうしているうち、ヘンリックは本来の用事を思い出して、報告を続けていた。

 王都の父から、鳩便が届いた。

 昨日のこちらからの報告を受けて、すぐ父は決断したようだ。

 東ヴィンクラー村、西ヴィンクラー村両地にキマメの栽培を導入し、小麦、ゴロイモとの輪作の体制にする。

 近日ヘルフリートが東ヴィンクラー村に出向く用事は、その方針の指示のためらしい。

 それに加えて、追加の連絡があった。

 おそらく一日、二日のうちに、アドラー侯爵領の者がこちらの領主邸を訪れる。

 今回のキマメについて判明したことを騎士団長に伝えたところ、即決で「くわしく教えてくれ。領地の者を派遣する」ということになったそうだ。

 世話にもなりこういう情報の協力体制を約束している相手なので、隠さず教えてもらいたいとのことだ。


 本当に騎士団長は、即断で指示を出したらしい。

 次の日の午前中にはもう、アドラー侯爵領の文官と料理人という二人が息せき切った騎馬で到着した。

 ランセルからキマメの水での戻し方、蒸し豆の作り方を聞き、しきりと感心。トーフの作り方を聞いて、仰天していた。

 さらにランセルとインゲのキマメとトーフの料理を見学して、ますます感心しきりになっていた。

 この日の料理の試作は、僕の知識から兄を通じてインゲに伝えたものだ。

 野ウサギの挽肉とオカラにパン粉を加えて混ぜたものを焼いた、オカラハンバーグ。

 柔らかめにできたトーフをゴロイモなどと煮たスープ。

 侯爵領の使者を加えてみんなで試食したところ、大好評だった。


「ありがとうございます。さっそく領地に帰って伝えます」


 その後慌ただしく、文官は帰還していった。

 滞在時間六刻弱という、呆れ返るほどの忙しさだ。

 もう一人の料理人は、しばらくこの地に残ることになった。ジーモンの下宿屋に数日滞在して、トーフ作りを教えてもらうのだという。


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