第11話 赤ん坊、調理実験を見る 3

「それにしてもこのトーフという食材、作り方によってまだ味や食感など向上すると思うのです。今日はとりあえず適当にやってみましたが、最初に水を入れる量やニガリを入れる量、そのときの温度などで固さなども変わってくると思われます」

「面倒なものなんだな。いや、分かる気がします。化学実験のようなものですね。いろいろ試行錯誤の余地があると」

「そういうことですね。まだ身内の中だけならともかく、これを他領などに広めるとかまた王都で売り出すことを考えるとかなら、もう少しそれこそ試行錯誤を重ねて品質を高める必要があると思うのです。ここではそんなことをしている余裕はないので、たとえば王都の商会などに打診してそんな研究の人材を都合してもらうなどしなければならないかもしれませんね」

「そうですね……」


 考え込むベッセル先生に代わって、ヘンリックが寄ってきた。

 ランセルに指示して、このトーフを母とイズベルガにも届けさせたようだ。

 食堂の隅でウェスタとベティーナも味見して、感心している。

 ザムに乗ったカーリンも寄ってきて、父親からトーフをひと匙食べさせてもらっている。「うまうま」と上機嫌な声が張り上げられた。僕もそうだが、いかにも赤ん坊の口に合う食材なのだ。


「さっきの結果で丸二日水に漬ければ料理できること、蒸し豆という料理法、このトーフ、そして油が採れるかもしれないという可能性、これだけあれば、キマメの価値を高めるには十分と存じます。当初はあちらの東ヴィンクラー村での栽培の足しになればという発想でしたが、これならこちらでも栽培を始めて生産量を増やしてもいいのではないかと。そう、旦那様にお伝えしましょう」

「そうだな、頼む」


 執事と兄がそう話していると。

 しばらく考えていた先生が「ウォルフ様」と話しかけてきた。


「そのトーフ製造の研究ですが、私の下宿先の主人、ジーモンに依頼してはどうでしょう」

「あの老人ですか?」


 兄も僕も、数度しか会ったことのない老人だ。ひょろりと背が高く、先生の下宿先でいつも椅子に腰かけているという印象だけがある。


「何と言うか、ジーモンはもともと農民なのですが、そういう研究めいたものが好きなようでして。以前はよく、農法や肥料の工夫などについていろいろ考えていたらしいです。この村での輪作農法も、ジーモンが考案したものだとか」

「ああ、そうでした」ヘンリックが頷く。「この村での今の農業のやり方は、ジーモンが工夫して広めた部分が大きいはずです」

「腰を痛めて農作から身を退いてからは、そういう点で村の役に立てないことを歯痒く思っているようです。最近の製塩の作業にも参加はしているのですが、力仕事ができないので肩身の狭い思いのようですし」

「トーフの製造研究は化学実験のようだと言う先生が、そういう作業に向いていると思われるのですね?」

「そうです。そういう試行錯誤に向いた根気や探究心を持っていると思います。身体のせいで農作業や大がかりなことはできませんが、このトーフ作りなら一度に大量にしなければ可能なのではないかと。力仕事が必要な部分は、誰か協力者を頼めばよいことですし」

「それなら、先生から打診してみていただけますか。その気があるようでしたら、明日にでもここへ連れてきてもらえれば」

「分かりました。でしたら、そのトーフと蒸し豆を少し分けていただけますか。ジーモンと奥さんのインゲに試食させてみたいと思います。インゲは料理の工夫が好きなお婆さんですから、何かそんな発想が得られるかもしれません」

「ぜひ、お願いします」


 そんな相談をして、ベッセル先生は帰宅していった。

 その日の夕食はランセルが工夫した蒸しキマメとクロアオソウとゴロイモの煮物で、キマメの食感がみんなに好評を博していた。

 そこで話題に出たトーフの試食の感想は、母もイズベルガも「何とも表現できない」ということだった。


「おいしい気はするのですけれど、食感が目新しすぎるのと味が淡泊なので、どう判断していいか分からないのです」

「調理のしかたによっては、素晴らしいものになるかもしれないという気はするのですが。今のところ評価は保留ということにさせてください」


 頭から拒否されなかっただけ、大収穫だ。

 この日の残り少ないトーフを離乳食にしてもらっておいしくいただいている僕は、ひそかに手応えを噛みしめていた。

 何しろこれらのキマメの調理について提案した際、トーフについては兄が「こんな面倒なものまで最初から作る必要があるのか?」と疑問を呈していたのだが。

「もちろん!」と僕は胸を張って答えたのだ。


「りにゅうしょくに、さいてき」

「自分のためかよ!」


――自分のためで、悪いか?


 これまで、黒小麦パンやコロッケなどを考案した際に好評は嬉しかったが、自分の口で楽しめないのが大いに不満だったのだ。

 今回は、蒸しキマメもトーフも、ちゃんと口にすることができる。

 老若男女に喜ばれる料理の提案。うん、大事だ。


――というわけで、皆さんにはこれらの普及、頑張ってもらいたい。


 翌日の朝には、ベッセル先生が下宿先の老夫婦を伴って現れた。

 蒸しキマメとトーフを食べさせたところ、大いに興味を持ったということだ。

 これらの品質向上の工夫なら、喜んで取り組ませてもらいたい、と言っているらしい。

 さっそくランセルから基本の製造法を聞いて、手を動かし始めている。

 相談の上、数日は領主邸に通って製造の工夫に励み、この屋敷の人々の口に合う水準を目指す。あとは自宅で大量の生産と品質の安定を目指し、村人たちへの普及を図る、ということになった。

 とりあえず兄の助言を受けて、ランセルとジーモンは最後にトーフを固める際の四角い型をいくつも板で作るところから始めている。

 ウェスタとインゲは、水に漬けた豆を潰す作業に取りかかる。

 作業工程や材料、水の量、温度などをジーモンが木の板に記録している様子を見ると、なるほどベッセル先生の言う『研究に向いている』という性格が窺えるようだ。


 勉強を終了した兄と先生、ヘンリックも加わって、試作品の試食。

 型を用いた分見た目はよくなったが、舌触りや味は前日のものと大差ないようだ。


「まずは水の量とニガリの量、混ぜ方と温度かな」

「そうすね」


 記録した板を見ながら、ジーモンとランセルは相談をしている。

 脇で使った道具類を洗いながら、インゲが呼びかけてきた。


「ウォルフ様、これは食べたりできないんかね」


 持ち上げてみせるのは、茹でた豆を漉して残った滓の方だ。

 僕から伝えた知識の中にあったので、兄はすぐに応えた。


「ああ、オカラと言うんだそうだが、食べるのに問題はないはずだ。むしろ十分栄養もあるから捨てるのはもったいないほどなんだが、口当たりや舌触りがあまりよくないから料理のしかたに工夫が必要だということだ」

「それならちょっくら、試してみてもいいかね」

「ああ、やってみてくれ」


 妙に嬉しそうにインゲはそれを流し台に持ち出して、ウェスタと相談を始めている。

 老夫婦二人とも、下宿屋で座っていた様子とは見違えるように生き生きと動いているのが面白い。

 その日の昼食にはインゲの作ったオカラとクロアオソウの炒め煮が出されて、好評を得ていた。

 濃いめの味つけと適度に汁を含ませた口当たりで、食べやすくなっているのだそうだ。さすがに僕は口に入れることができなかったけれど。


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