第10話 赤ん坊、調理実験を見る 2

 会心の顔で、兄は説明した。


「『蒸し料理』というんだそうだ、こういう調理法を。この場合は『蒸し豆』、というより『蒸しキマメ』だな。茹でる場合に比べて、味や栄養素が湯の中に出ていってしまうのが防げる、という利点があるらしい」

「なるほど、味がいいのにも理由があるのですな」

「これ、すごいすよ」ランセルは興奮気味に言い立てた。「これならこのまま、別の野菜なんかとの煮物や炒め物などに使えそうす」

「キマメがこんなに味がいいとは思いませんでした」ヘンリックは首を捻る。「煎り豆でも確かによく噛みしめるとこのような味が感じとれた気がしますが、ぼそぼそしてじっくり味わうものではありませんし。この蒸しキマメなら、どこへ出しても立派な食材になるのではないですか」

「確かに、なります」


 興奮する料理人と執事をよそに、「だあだあ」と僕は兄に手を伸ばした。察して、兄はもう一粒口に入れてくれる。

 満足げに咀嚼する僕を見てから、兄は先生に説明した。


「何よりもこの調理法を見つけて『よし』と思ったのは、この点なんです。赤ん坊の離乳食にも、歯の弱った老人の食事にも使える。しかもキマメに肉の替わりになる栄養があるのだとしたら、肉が手に入らない時期にも人の健康が保てる。うちのような僻地の村に、欠かせない食材になるのではないかと」

「本当に、それらが確かだとすると、こんな保存が利いて万人の健康に役立ちそうな優秀な食材、今まで無かったものと言えそうです。これほどのものが、どうして今まで見過ごされていたものだか」

「ゴロイモと似たようなもので、先人の固定観念がそのままに来てしまってたんじゃないでしょうか。キマメは煎って携行食にするもの、と決めつけていたと」

「そうなんでしょうねえ」ベッセル先生は、深々と溜息をついた。「我が国の食文化については、まだまだ見直すべき点がありそうだ」

「ついては、また先生に論文執筆をお願いできますか」

「喜んで。と言うか、本当にそろそろ、ウォルフ様が自分で論文を書くべきと思うのですが。執筆指導は喜んでさせてもらいますよ」

「そちらに気を惹かれなくもないのですが、当面はこのキマメの調理と栽培を領内に周知させる仕事があります。そちらが落ち着くのを待つより、この調理での活かし方を全国に早く広めたいので、先生にお願いします」

「分かりました」

「しかも、もしかするとこのキマメにはまだまだ他にも可能性があるかもしれません」


 言って、兄はヘンリックの顔を見た。


「本当に、古文書に載っているものとこのキマメがかなり近いものなら、という条件がついての話なんだが。豆を絞って油を採る、ということができるかもしれない」

「そうなのですか?」

「いろいろ試してみなければ分からないがな。セサミに比べても使える豆の部分は大きいわけだし、大量に栽培することもできそうだ。もしかすると、もっと安価で流通が可能な油を生産できるかもしれない」

「それは、試してみる価値がありそうですな」

「しかも、油を絞った後の滓は、畑の肥料や家畜の飼料に使えるという。牛の飼育も考えられるが、俺としてはこの村でニワトリの飼育を試してみたい気がする」

「ニワトリ、ですか?」

「前にルートの身体にいい食材として、ニワトリの卵というのが挙げられていたが、入手が困難で諦めたことがあっただろう。そんな健康にいい食材を、これも安価に手に入るようにしたいんだ」

「なるほど。大切なことですな」

「いろいろ夢が広がるだろう?」


 兄と執事は、晴れやかに頷き合っている。

 そこへ、もう一つの鍋の中をかき混ぜていたランセルが声をかけてきた。


「ウォルフ様、こちらもそろそろいいようです」

「おお、そうか」


 さっき蒸しキマメを火にかけている間に始めていた、もう一種類の調理を試してみようというものだ。

 水に漬けていた生の豆をよく潰して、水を加えて鍋で煮始めていた。これも火にかけてから一刻程度経過した見当だ。

 蓋を取った鍋を覗いて、兄は頷いた。


「うん、よく煮えたようだな。ランセル、引き続き指示の通りやってくれ」

「かしこまりました」


 大きな鍋を、ランセルがよっこらと竈から下ろす。

 濃厚な豆の匂いが立ち昇るそちらを覗いて、ベッセル先生が好奇心の溢れた目を輝かせる。


「こちらも、違った料理ができるのですか」

「こっちはかなりの冒険で、うまくいく保証はないんです。うまくいったら儲けものという感覚で、見ていてください」


 ちょっと苦笑いで、兄はランセルに指示を続けた。

 煮えたどろどろの半液体を、笊に綺麗な布を敷いてボウルに乗せたものに、柄杓ですくってかけていく。

 全部移し終えると、布を絞ってぎりぎりまで汁を落とす。

 ボウルに落ちた白い汁を、鍋に移して弱火で温める。

 沸騰しないように温めた汁に、兄が用意した液体を加える。どの程度加えるのが適当かは分からないので、汁を混ぜながらゆっくり少しずつ。

 やがて。

 ランセルが汁を混ぜるヘラに、少し抵抗が見えてきた。

 そこで火を消し、鍋に蓋をしてしばらく置いておく。

 一刻ほどおいて。

 また別に笊に綺麗な布を敷いたものを用意して、かなり固まってきた鍋の中身をそこに移す。

 布の上には、白くぷるぷるした固まりが残された。

 それを布ごと持ち上げて、水を張った大きな鍋の中に沈める。

 少し離れた位置から、ベッセル先生が興味津々に覗き込んできた。


「これで完成ですか」

「水の中で十分冷めたら、食べられるはずです」

「何とも、面妖な見た目ですな」


 ヘンリックも怖々といった様子で眺めている。

 しばらく待って、ランセルは庖丁を持ち出した。

 水の中で固まりの端を切断し、柔らかさに苦労しながら庖丁の腹に乗せて持ち上げる。

 皿に載せたそれを、一同はやはり何とも言えない表情で眺め下ろしていた。


「何ですかこれ、ぷよぷよしてますよ」

「やはり面妖としか言えませんな」

「とにかく、一口食べてみよう」


 兄がその端を匙ですくって、口に入れる。

 ベッセル先生とヘンリックも、躊躇いながらそれに倣った。

 そして、とりどりに眉がひそめられ。


「えーと……」

「何でしょう、これは」

「味がない? いや……」


 考え込む兄に、「だあだあ」と僕は手を伸ばした。

 頷いて、ひと匙口に入れてくれる。

 つるり、滑らかに舌に落ち。淡白だがかすかな甘みが広がる。

「うまあ」と僕は笑顔を咲かせた。

 薄味に慣れた僕には、舌触りと風味が最高に合うのだ。

 三人は、微妙な顔を見合わせた。


「ランセル、ドレッシングのようなものはなかったか」

「はい、あります」

「少量でいいから、かけてみてくれ」

「はい」


 塩と酢と油、ハーブを混ぜた液体を、皿の上の固まりにかける。

 そうして三人は、また匙にすくって口に運んだ。


「ああ、これならおいしく感じますね」

「ドレッシングの味だけ……いや、かすかにさっきの豆の甘さも感じとれますか。滑らかな舌触りで、面白い食感ですな」

「こうしてみると、上品な食材という気がしないか?」

「ええ。元の味が薄い分、味つけ次第でいろいろ使えそうですな。もしかすると、貴族の口に合う料理ができるかもしれません」

「そのまま食べても、スープの具にするなどしてもいいらしい」

「ああスープの具、いいかもしれませんね」


 兄の発言に頷き返して、先生は笑顔になった。

 それからまた、学術的に興味を戻した様子で、訊き返す。


「それにしてもウォルフ様、これは何なんです?」

「トーフという、豆の加工品だそうです」

「見たことも聞いたこともありませんが。つまり、潰した豆を煮て、濾した汁にさっきの液体を加えた、それだけのものですよね。何なんですか、さっきの液体は」

「製塩作業で、最後に塩の結晶を取り出した後に残った水です」

「はあ?」

「ニガリという成分を含んでいるのだそうです。海水で塩を作るときにそういう液体ができるということだったので、うちの塩水でどうかとダメ元で持ってきてみたのですが、幸運にもうまくいったようです。しかもこれ、原理としては豆に含まれる肉の替わりになるという栄養分が固まる、どんな豆でもうまくいくわけではないということなので、キマメが肉の替わりになるということがかなりの信憑性で証明されたことになりそうです」

「何とも……」


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