第4話 赤ん坊、事情を知る

 このところの午前中は、兄はベッセル先生と勉強。僕がそれにつき合うのがすっかり習慣化していて、ベティーナは子守りの手が離せるのを幸いと、掃除や洗濯などの仕事の時間にしていることが多い。

 ただこの日は四の月の三の土の日で、勉強は休みだ。この後どうしようかと迷っているベティーナを見て、兄が声をかけた。


「少しの間なら俺が二人を預かっているから、ベティーナは他の仕事をしていていいぞ」

「あ、本当ですか? 助かりますう」


 まだこの家に慣れないミリッツァはどう扱っていいものか手探り状態ではあるが、とりあえず授乳とおむつ替えを済ませて僕の傍にいる限り機嫌はよいようなので、しばらく子守りが離れても問題なさそうだ。

 軽快に階段を昇るザムに連れられて、兄の部屋に入った。

 二人一緒にベッドに乗せられると、きゃっきゃとミリッツァは僕にじゃれついてきた。

 その小さな手を握ったり放したり、握ると見せて手を逃がし、空振りさせたり。その程度で妹はご機嫌にシーツの上をころころしている。


「何だかお前、赤ん坊の相手がうまいな」

「……それほどでも」

「しかし、妹かあ――」

「じじょう、きいた?」

「ああ」


 そうしてようやく、朝から続く訳分からない事態の説明を聞くことができた。

 それによると。

 やはり昨夜遅く、僕が眠りについた後で、前触れもなく父が到着した。

 いきなりの父の帰郷、以上の衝撃、小さな赤ん坊を連れて。

 当然ながら説明を求める母に、兄とヘンリックも同席して、話があった。

 赤ん坊の名はミリッツァ、王都の騎士階級の娘と父の間にできた子どもだという。

 昨秋誕生して母親とともに喜んでいたが、その後急に父の周りが慌ただしくなった。――まあ主に、僕と兄のせいで。

 昨年の十二の月頃から、ほとんどその女性の元に通う余裕を失っていた。そのうち、女性は肺炎をこじらせて亡くなった。二の月のことだったらしい。

 女性の周囲にも関係を伏せていたので、父の元にその報せは届かなかった。また女性の親や親族もすでに死に絶えていたため、近所の人たちで葬儀を行い、残された娘も交代で面倒を見ていた。

 この四の月、父がようやくその女性の家を訪ねて事情を知ったとき、ミリッツァは孤児院に預けられる寸前だったそうだ。

 それから急ぎ近所の人たちに礼をして、王都の家に娘を連れ帰った、ということになる。

 その後ヘルフリートとも相談して、こちら領地の邸宅に預けるのが最善という判断になった。

 泥縄のような慌ただしさで王都で子守りなどを探すことを思えば、こちらでは次男(僕だ)の養育中で態勢が整っている。自然環境なども、子どもの成育に理想的だ。

 ただ一つ、正夫人の感情を除けば、ということになるが。

 そこまで聞いて母が腹立ちを抑えられなくなったのは、父がよそで子どもを作ったという事実に対して、ということではないらしい。

 前にも言ったように、その程度は貴族として非常識なわけではない。

 それよりも、それを自分に秘密にしていたこと。それから、その女性に対して何ヶ月も連絡をとらなかった、父の冷淡さについて。これが許せないのだという。

 詫びを入れる父に対してすっかり母が臍を曲げてしまい、昨夜の会見は終わった。

 父は寝室にも入れてもらえず、客間で休むことになった。

 また赤ん坊についてはすぐに環境を整えることもできず、ベビーベッドのある次男(僕)の部屋に寝せることにした。

 以上が、今朝までの顛末、らしい。


 結局のところ。

 母の気持ちの部分を別にすれば、ほぼ何も問題はないということになりそうだ。

 男爵家に第三子、長女が加わった。そういうこと。

 母自身も実子と同様に扱うよう宣言をしていることだし、公にはそういう扱いでいいのだろう。

 特に僕は、こうしてミリッツァが離れようとしないことだし、この家に慣れるまで好きなだけ構ってやればいいようだ。

 兄の方は母の気持ちを慮って少し引っかかりがあるようだが、内心では僕も同感だ。

 そもそも両親の間に対立感情が生じたとしたら、兄も僕も基本的に母の味方だ。今まで一緒に過ごしてきた時間が違う。

 またその辺を抜きにしても、ここまでの事情を聞く限り、今回の件については父の方に非があると思う。

 その女性と娘のことを秘密にしていたのも、女性の死亡をすぐに知ることができないほど放置していた点も、貴族男子としてまったく褒められたものではない。

 まあここしばらくの父の忙しさは領地の実状を思えばしかたのないところだったし、兄と僕も少なからず関与していたので、全面的に責める気にもなれないのだけど。


「まあとにかく、俺たちが今いちばん優先すべきなのは、ミリッツァがこの家に慣れてうまくやっていけるように協力することのようだな」

「ん」


 僕の腹の上にのしかかってくる妹の柔らかな髪を撫でながら、頷く。

 生後八ヶ月だというミリッツァはまだうまくはいはいができないようで、いちばんの移動方法はベッドの上を転げ回ることらしい。

 二度三度、右へ左へ転がって、「ふぁう」と疲れた様子で僕の腹に顔を伏せてしまっている。

 重みで、ちょっとお腹が苦しい。


 間もなく、掃除が終わったというベティーナが様子を見に上がってきた。

 母もいつものように居間にいるということなので、僕らも降りていくことにする。

 居間では、母とイズベルガが座って編み物をしていた。

 この冬からの習慣で、日中は居間に集まっていることが多い。女性たちは編み物や縫い物、兄は勉強か読書、僕はそちらにつき合うかカーリンとお遊び、というのがほとんどだ。

 ただこの習慣を始めた頃より外からの襲撃への警戒は緩めて、ヘンリックは執務室で事務仕事をしている。

 テティスは不寝番なので午前中は睡眠をとり、警備に当たるのはウィクトル一人になっている。

 冬中この屋敷に詰めていた村人の警固番は終了にして、春からの畑仕事に入ってもらっている。

 ザムに乗った僕とミリッツァが入っていくと、隅でウェスタにあやされていたカーリンが「わあ」と顔を上げた。

 この日、他の人たちはいつも通りでいいだろうが、僕とベティーナには大仕事が待ち構えている。

 ミリッツァとカーリンの顔合わせを行い、末永く仲よく遊ぶ環境を作ること、だ。

 なにしろ、いつまでも日がな一日中、僕にべったりひっつかれっ放しというのも困ってしまう。少しはカーリンにもその役目を分けてあげたい、と思うのだ。


 いつもの積み木を出してもらい、カーリンを呼んで三人でそれを囲む。

 年の近い女の子同士ではあるけれど、やはり性格にかなり差があることが分かった。

 ほとんど人見知りということを知らないカーリンは初対面の相手にもすぐに近づいてくるが、ミリッツァはたちまち僕の後ろに隠れてしまう。

 それでも僕が積み木を手渡して手本を見せてやると、すぐに二人ともそれぞれに自分の建築物を構築し始めた。つまるところ、どちらも僕の真似をすることで満足なのだ。

 しばらく続けるうちに慣れてきたようで、僕の手を経なくてもカーリンから木片を譲ってもらったりして、ミリッツァは遊戯に没頭していた。

 終いにはカーリンに積み木の山を破壊する爽快さを教えられて、「わあ、きゃあ」と一緒に転げ回るようになっていた。

 妹が野性に目覚めていくようで、兄としてちょっぴり不安だ。


 ふと横を見ると、母がちらちらとこちらに視線を向けたり逃がしたりしているようだ。

 ちょうど本から顔を上げた兄と目が合って、笑いかけている。


「ウォルフはさっき、あの子の面倒を見てくれていたそうですね」

「はい、母上」

「しっかりお兄ちゃんをしてくれて、嬉しいわ。これからも、ルートルフとあの子をお願いね」

「はい。正直、妹ができたのは嬉しいです」

「よかった。わたしは少し意地を張らせてもらうけど、お兄ちゃんは遠慮なく妹を可愛がっていいですからね」

「……はい」


 頷き返す兄の顔が、少し晴れて見えた。

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