第66話 赤ん坊、失敗に気づく

 翌日、父と助っ人騎士たちは王都へ戻っていった。

 予定通り、野ウサギ肉運搬の商会馬車と罪人護送馬車の出立を見届け、それらに先んじての騎馬走行だ。


 領地内は、野ウサギの騒乱の落ち着きを確かめて、日常に戻っていた。

 製塩作業を続ける傍ら、雪解けの進む畑の世話が始まっている。

 また、森に入っての塩水の搬出作業も、まったくオオカミの脅威を覚えることなく行えている。

 塩とセサミ、コロッケ等の販売利益から村人たちへの作業報酬が支払われ、野ウサギ肉とクロアオソウの備蓄も十分とあって、この領地始まって以来の好景気に沸いている状態だ。

 しかもこれが一時的なものではなく、野ウサギ肉を除くと、天候等に左右されることもほぼなく今後も継続が見込まれるのだ。


 一方、王都では。

 驚いたことに、四の月が始まって早々、異例の速さでディミタル男爵に沙汰が下った。

 爵位剥奪、財産、領地没収。

 先日のうちの領地での事件から騎士団長の報告が上がり、迅速に王都の男爵邸に捜査が入った。そのため、隠蔽の暇なくいろいろな証拠が挙がったらしい。

 いろいろな商会との黒い交際については、まだ継続捜査が必要ということだが。ここしばらくのベルシュマン男爵領への干渉について、確証が挙がった。

 オオカミの幽閉について。

 裏社会の人間を雇って、ベルシュマン男爵の子どもや農作物を狙ったこと。

 残された文書からすべて明らかとなり、処分の決め手となったという。

 オオカミの件ではやはり、その行為そのものよりも野ウサギの異常繁殖を招いて王国全土に脅威を広げかねなかったという点が重視されたらしい。

 また、最近は貴族同士、領地同士のいざこざに関してたがが緩みかけていたが、王宮としてはそろそろその潮流にに介入する機を窺っていた。その機運にちょうど填まってしまったという事情もあるようだ。

 ディミタル男爵も運が悪かった、という声が、あるとかないとか。

 とにかくこれを契機に貴族同士の足の引っ張り合いが減ってくれれば、と宰相が父に話していたそうだ。


 一方で対照的に、父の評判は鰻登りらしい。

 今回の被害への同情と、野菜栽培技術公開の功績のためだ。

 今までは派閥の中でうまく渡り歩くなどの存在感を見せることのなかったベルシュマン男爵が、意外な形で一躍脚光を浴びるようになったことになる。

 これも異例のことだが、臨時の領主会議が招集されて、その席で父は『光』利用の野菜栽培について説明発表を行ったということだ。さらにその後も、各領主から質問問い合わせが絶えないらしい。

 親しく交誼を結ぼうという申し出も多々あるようだが、これは一過性のものだろうと父は態度を曖昧にしているという。

 とりあえずベルネット公爵、ロルツィング侯爵、騎士団長たるアドラー侯爵とは協力関係が深まって、今後も農産物の品質向上など情報交換をしていくことになっている。


 こちら、領主邸では。

 先日、僕はめでたく一歳の誕生日を迎えた。

 とはいっても、特別なご馳走や贈り物があるわけでもない。というか、そんなのもらってもしかたない。

 この国の慣わしとして、離乳食の後期段階、少し固形物含有の多いパン粥を食べさせられ、見守るみんなが大喜びをするという催しだ。

『一升餅を背負わされるよりは楽でいい』と『記憶』が呟いていたが、意味不明。

 僕としてはその後、長い時間母の膝に抱かれていたのが、いちばんの喜びだった。

 離れてウェスタに抱かれたカーリンが、しきりと「るーしゃましゅごい、るーしゃまえらい」と手を叩いているのが、妙にこそばゆい思いだったけれど。

 次の瞬間、母の一言で、頭が白くなりかけた。


「まあ、カーリンはお喋りが多くなったこと。この点はルートルフは少し遅れをとっているみたいね」

「お喋りは、女の子の方が早いといいますから」

「そうですね」


 ウェスタの慰めに、母は笑って頷いていたけれど。


――まずった……。


 内心、僕はアセアセになっていた。

 横を見ると、兄も半分白目になって天井を仰いでいる。


――話す方の成長を、周囲に見せるのを忘れていた。


 傍目からすると僕は、生後六ヶ月で「かあちゃま」「にいちゃ」を口にして以来、それ以上の進歩をしていないことになるのだ。あとはどこかで「ざむ」くらいは言ったことがあるだろうか。

 とにかく、ほぼ半年間、進歩なし。

 兄と二人のときには好きなだけ喋っていて、その他では喋ることができるのを極力隠そうと努めていたので、『成長を見せる』ということをすっかり忘れてしまっていた。


 その夜、兄のベッドの上で、二人並んでがっくりうなだれてしまった。


「忘れてたな……」

「ん……」

「今さら急にいろいろ喋り出すのもおかしい。少しずつ片言で始めるよりしかたないわな。カーリンより遅れているという点は、諦めるほかないだろ」

「だね……」

「それにしても、さ」


 生温い視線を、兄は横に向けてきた。

 何かな?


「考えてみると、お前の喋り、最初からおかしいんだよ。最初の『かあちゃま』『にいちゃ』から」

「なに」

「そもそも赤ん坊のお喋りってのはさ、周りの人の真似から始まるわけだろ。最近のカーリンの口癖の『るーさますごい』ってのも、もともとベティーナがよく言ってることだ」

「ん」

「それに比べて、お前のはあり得ないんだ。母上や俺を『母様』『兄様』と呼ぶのは誰もいないんだから」

「あ」


 そうなのだ。

 別に、ベティーナが母を指して『お母様ですよお』と教えたわけでもない。

 兄の方はなおさらで、あの時点で誰も兄を紹介したわけでさえない。

 事前に僕がベティーナとウェスタのお喋りを聞きとりする中で、いろいろ習得した単語から組み立てた言い方というだけだ。

 おおよそ、赤ん坊の頭ですることではない。


「はは……」

「今後ぼろを出さないためには、周りの言い方の真似から口に出してみることだな」

「だね」


 その後数日おいて、「まんま」「べてぃな」から披露してみると、予想通りまず、ベティーナが狂喜の反応を見せていた。

 もちろん母も喜んでくれて、まずまずの成果だ。


 四の月の中頃、朗報が届いた。

 このところの父の功績に対して、王から褒賞が与えられる、という。

 ディミタル男爵から没収された領地の三分の一程度をベルシュマン男爵領に組み入れ、残りは王の直轄とする、ということらしい。

 元のディミタル男爵領も、ほぼ農業が主産業だ。春の農作業が始まるこの時期に、できるだけ早く領民の置かれた立場を明らかにすべきと、急いだようだ。

 領土が増えることは喜ばしいが、新領地の経営計画を急遽考えなければならない。

 兄に対して「相談に乗ってくれ」と父からの言葉があった。

 ヘンリックと話しながら、兄の視線がちらと僕の方を向く。

 そっと、視線を外して。

 僕は、カーリンとの遊戯に興じてみせる。


 とりあえず、母の健康、領民の食生活、借金返済の目処、という最低目標はクリアしたのだ。

 当分は平穏な赤ん坊ライフを享受していても、バチは当たらないのではないだろうか。

 そういう意を込めた、つもりだけど。

 ちらちらと、しつこく兄の視線がこちらに流れてくる。

 はああ、と僕は秘かに溜息をついた。

 赤ん坊らしい成長と、領地経営補助、結局今後も両方に気を配っていかなくちゃ済まないことになりそうだなあ。

 カーリンの重ねる積み木を両手で押さえながら、そんな諦めを心に収めるしかなかった。


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