第61話 赤ん坊、森を巡る

 百羽を超えていそうな猟果だが、村人たちは間もなく処理を終えた。

 辺りを窺い、「もう少し奥へ進もう」と一同は歩き出す。

 そうしているうち、


 ウオオオオーーーン

 ウオオオオーーーン


 また、右手、左手の奥から、遠く小さなオオカミの声が聞こえてきた。


「またか?」


 騎士団長が停止を指示し、木々の奥を窺う。

 数呼吸の後、また、がさがさがさと小さな音が近づいてきた。


「構え!」


 木立の間から小さな固まりが跳ね出す。


「撃て!」


 それからは、まったくさっきの再現だった。

 次々と飛び出す野ウサギが矢に射貫かれ、死骸の山が積み上がる。

 おおよそ百羽は超えたか、という頃に、野ウサギの狂騒は止まる。

 村人たちが、処理を始める。

 そんな同じくり返しが、さらに二度続いた。猟果は、もう全員で分担しても持ち帰れるかどうかと言う量になっていた。

 それから少しの間耳を澄ませていたが、もうあのオオカミの遠吠えは続かなかった。

 騎士団長は、父と顔を見合わせた。


「さすがにもう終わりですかな、この不思議な現象も」

「そうですな。仕留めた数としてももう十分、目標を達したのではないかと」

「それなら満足な狩りだった、というところですが――」苦笑で、団長は首を傾げた。「この成果も、ほとんどオオカミに助けられただけのような。我々が来た意味はあったのか、という疑問が残りますな」

「いや、十分助かったと言えるでしょう。今のような事態に遭っても、村の者やうちの手数だけでは、これだけ仕留めることはできません。あのすばしこさについていけず、大半を取り逃がしたと思います。今日の成果は、皆さんの腕があってのものだと思います」

「そう言っていただけると、ありがたいですな。私個人としては初体験の種類の狩りで十分な結果が得られて、満足なわけですが」


 周りで聞いている騎士たちも、笑顔でうんうんと頷いている。

 狩り好きの人たちにとっては、十分満足していただけたらしい。

 しかし、とまだ苦笑で団長は周囲を見回した。


「森に入って、まだ二刻経ったかどうかというところですぞ。昼までもまだ余裕がある。こんなに早く目的を達するとは思わなんだ」

「団長」近くにいた騎士が、呼びかけた。「もう少し、自由に狩りをさせてはもらえませんか。どれだけ野ウサギが残っているか分かりませんし、初めての猟場でまだ腕試しをしてみたいです」

「うむ。もう急ぐことはないから、それもいいか」

「道案内の村人から離れないことに気をつけてもらえれば、昼までくらいはいいのではないですか」


 騎士団長に目を向けられて、父も頷く。

 頷き返して、団長は騎士たちに告げた。


「では、中天を目処にここに集合。それまで自由を許可する」

「わあ!」

「かしこまりました」


 喜声を上げて、騎士たちは散っていった。

 我々の傍には、護衛二人が残っていれば十分だ。

 一同を見送って、父はディモを呼んだ。


「せっかくだからウォルフとディモ、例の洞窟というのに案内してもらえぬか。ここから遠くないのだろう?」

「へえ」

「すぐそっちです、父上」


 立ち去りかけていた騎士団長が、聞きつけて振り向いた。


「おや、何か面白いものがあるのですか」

「面白いというか――今後の人間とオオカミの共存の上で、確かめておきたい場所がありまして」

「ほう。私もご一緒して構わないだろうか」

「問題ありませんよ」


 気安げに、父は頷く。

 中の塩湖の存在は知らせず、周りのオオカミの生態を確認するという名目だけなら問題ない、と判断したようだ。


 少し入口方向へ戻ってから、森の奥へ向かう分かれ道に折れる。

 木立の影が濃くなり、頭上の鳥の囀りが遠のくように感じられてくる。

 次第に静けさが深まる中、足を運びながら騎士団長が「むう」と唸った。

 それに頷き返すように、先頭のディモが振り返る。


「いますさね。オオカミの気配、感じますです」

「やはりそうか、これは。一頭や二頭ではないな」

「へえ。しかし、近づいてこない――むしろゆっくり遠のいているさね」

「人に害なす気はない、ということか。こちらが弓を持っているので、警戒している?」

「警戒するつもりなら、もっとあっさり逃げていきそうなもんですさね。様子見というか、遠慮しているというか、そんな感じがしますです」

「オオカミが遠慮して道を空けてくれるというなら、こちらも助かるのだがな」


 父の言葉に、「そうですさね」とディモも頷く。

 背中から僕が一言囁くと、兄は「ん?」と首を捻り、それから頷いた。


「ディモ、例のキノコが採れるのは、この近くだったな」

「へい。すぐそこのところを右に入ったところでさ」

「キノコ――ルートルフの身体にいいというものだったか?」


 父の問いに、「そうです」と兄は頷き返した。

 それから騎士団長の顔も見て、説明を加える。


「以前からよいキノコが採れる場所として知られていたのですが、近年はオオカミの棲息地となって採取しにくくなっていたのだそうです。昨年の秋はオオカミが姿を消していたので辛うじて採ることができたのですが、彼らが戻ってきたので、今後どうなるか気になるわけです」

「なるほど」

「今のようにオオカミが遠慮して場所を空けてくれるなら、採取もしやすいのだがな」


 父が引きとって言った。

「そうですさね」とディモも同意する。


「この先、開けたところにオオカミが群れていることがあるんで、気をつけてくだせえ」


 ディモの注意に、「うむ」と父は弓を持ち直した。

 ウィクトルは弓に矢をつがえ、テティスは剣の柄を握っている。

 木立が疎らになったそこは、葉の落ちた今なら少し先に岩山と洞窟の口が見える場所だ。

 足を止めて観察すると、予想通り数頭のオオカミの姿がある。ちらとこちらを見ると、彼らはゆっくり横手の木立の中に下がっていった。

 それを見て、「ううむ」と騎士団長はまた唸っている。


「やはり、こちらに怯えて逃げるというより、落ち着いて場所を空けてくれているように見えてしまうな」

「そうですさね」


 戦闘や狩猟に慣れた団長にも、ディモにも、意外なほど相手の落ち着きが感じられるという。

 警戒心や殺気のようなものは感じとれず、妙に平和に受け入れてくれている感覚なのだそうだ。

 そう言われてみれば、横にいるザムの様子も、それを裏づけているかのように思える。敵を警戒するようでもなく、仲間に近づいて喜ぶようでもなく、ただ平常通りの様子で僕らに従っているばかりなのだ。

 兄と僕を護衛する気満々の彼にとって、ここはまったく警戒の必要がないということの表れだろう。

 父が頷いて、兄の顔を見た。


「こうしてオオカミが平和に場所を空けてくれるなら、村人たちのキノコなどの採集にも期待が持てそうだな」

「そうですね。しばらくは弓の使えるものをつけて警戒しておく必要はあるでしょうが。試してみてもよさそうです」


 部外者の団長の耳を憚って『キノコ採り』にかこつけているが、当然本題は『塩水運搬』についてだ。狩人の護衛をつける程度で運搬が可能になるなら、この先も今まで通りの製塩作業を進められることになる。

 ディモも話を合わせるつもりのようで、何度も頷いた。


「分かりやした。村の者が来る際には猟師の誰かがつくように、申し合わせておきますです」

「頼む」


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