第60話 赤ん坊、奇妙な狩りを見る

「とにかく、時間が惜しい。応援の方々にはこの後すぐにも狩りに入っていただくことになっている。その前に、打ち合わせが必要だ。ウォルフとヘンリック、詳細の説明を頼む」


 言って、父は騎士団長を伴って執務室に向かう。

 会議机を囲んで、兄からここ数日の経緯が詳説された。

 隣領地の囲み柵の中からオオカミが解放され、森に戻っていること。

 昨日の朝にはそのオオカミの狩りから逃れた野ウサギの大群が森から出てきて、おおよそ五百羽程度を仕留めることができた。

 それでもまだ、その同数以上が森の中に棲息していると思われる。

 今回の目標としては、その生息数を半減させたい。

 父も騎士団長もオオカミ解放の件は初耳で、何とも苦い顔になっていたが、とりあえずは当面の問題に、と話を先に促していた。


「騎士団長もお聞き及びでしょうが」ヘンリックが引きとって続けた。「ここの野ウサギはたいへん賢く、なかなか弓の射程内に入ってこないのが難点ということです。この点、何かうまい方策などありましょうか」

「うむ。今回の遠征狩猟チームは私の他、騎士団から四名、ベルネット公爵領とロルツィング侯爵領から三名ずつ、狩猟の経験が豊富な者を派遣してもらっています。その結団の打ち合わせの折に全員から意見を聞いたのですが、野ウサギ狩りの経験があってうまい方法を身に着けている者は、残念ながらいないのです。出た意見としてもせいぜい、大きな音を立てて野ウサギの混乱を誘う、といった程度で。威張れた話ではないのですが、こういったところを試して、あとは出たとこ勝負、という心積もりです」

「なるほど」

「ただ全員、野ウサギ以上にすばしこくて的の小さい野ネズミ狩りの経験は積んでいますのでね。相手を混乱させて射程に入れることさえできれば、成果は十分に見込める算段です」

「そういうことだそうだ。ウォルフはこの点、どう思う?」


 父の問いに、しばし兄は考え込んだ。


「昨日の様子を見ても、野ウサギがかなり混乱状況にあることは期待できると思います。昨年の数倍に増えた野ウサギのほとんどがオオカミという脅威に対面したのは初めての経験のはずで、まだその困惑の最中さなかにあると考えられます」

「うむ。それは十分に考えられるな」

「そういうことであれば」騎士団長が意気込んで、「奴らが落ち着きを取り戻す前に、早急に乗り込んで狩るのが得策でしょうな」

「そういうことでしょうな」

「よし、では、いざ参りましょう。その野ウサギの賢さ、いかなるものか一戦交えてみましょうぞ」


 右拳を左掌に打ちつけて、団長は豪胆に笑う。

 細かいことはともかく、ただ早く狩りに行きたいとだけ主張しているように見えるのは、僕の思い過ごしだろうか。


 武道部屋で小休止していた十名の騎士たちも、もう旅の疲れを見せない臨戦態勢だった。

 父と騎士団長が彼らの前に立ち、出陣前の注意を告げる。

 オオカミが森に戻っていること。

 野ウサギという餌が十分ある状態で人間に向かってくることはまずないので、こちらに敵対の様子を見せない限りオオカミに弓は向けないようにすること。

 野ウサギに対しては、射程に入ったら迷わず射かけること。射程外の相手に無駄撃ちは慎むべし。


 兄と僕も前日と同様の説明で、父から参加許可をもらっていた。

 僕を背負い、ザムを従えて兄が玄関先へ降りていくと、恒例の驚きの反応をいただいた。

「本当に危険はないのか」と及び腰の騎士に、「大丈夫ですよ、ほら」とテティスがザムの首を撫でてみせる。自分たちも一度通った道なので、テティスもウィクトルも先輩騎士たちへの優越感を楽しむ顔だ。


 父と騎士団長、十名の騎士たち、兄と僕にテティスとウィクトル。僕を除いた全員が弓を携えて、何とも物々しい行進になった。

 村を抜けて防護柵の出入口に着くと、予めの指示通り、ディモを中心に五人の村の男が待機していた。

 全員弓を手にしているが、この日の彼らの役目は主に道案内と、獲物の後始末だ。

 ディモの話では、昨日あの後交代で見張りを立てていたが、ほとんど野ウサギの出没はなく数羽狩った程度、今日はまだその姿を見ていないということだ。


 ディモを先頭に、森に入る。

 僕にとってこの方向の道行きは久しぶりだが、木の根元などに残雪が見える程度で昨秋と見た目に大きな変わりはない。ただ細い道の地面は昨日の野ウサギ大移動のせいだろう、一面小さな足跡に踏み荒らされ、雪が土と混じったぬかるみになっていた。

 いつもの狩り場付近まで来ても、野ウサギもオオカミも姿は見せない。

 一同が声をひそめ、警戒の視線を巡らせている。

 鳥の声も絶え、木立の中、静まり返った。ところへ。


 ウオオオオーーーン


 ふと上を向いたザムの口に、遠吠えの声が唸り出た。

 ぎょっと、一同の目がオオカミに集まる。

 その声が、木々の間に尾を引きながら消え。

 少しの間を置いて、


 ウオオオオーーーン


 遠く、我々の正面奥から、反響しながらの返る声があった。


 ウオオオオーーーン

 ウオオオオーーーン


 続いて、右手、左手の奥からも、さらに遠く小さな声が。


「何だ?」


 騎士団長が、林奥とザムの顔に、困惑の視線を往復させる。

 それから、兄の方へもの問いたげな顔を向けてくる。

 その口が質問を発する、前に。

 異変が起きた。

 正面、左右の茂みの奥から、がさがさがさと小さなけたたましい音が近づいてきたのだ。

 慌てて一同が弓を構えると、右の木立の間から小さな固まりが跳ね出してきた、

 茶色い、野ウサギだ。十分、射程距離内に。

 それも一羽だけでなく、次々と。正面からも、左からも。


「撃て!」


 即座に団長が叫び、騎士たちの弓から矢が放たれる。

 目の前を猛スピードで横切りかけた小動物に、過たず矢は命中した。

 茂みからの飛び出しは様々な方向、後から後から続き、その個体すべてを次々と矢が射貫いていく。

 射程に入れることさえできれば彼らの腕にまちがいはない、という団長の言葉に嘘はなかった。小動物の速度をものともせず、矢はほとんど外れることなく射貫き続ける。

 見る見るうちに、僕らの正面には野ウサギの死骸の山ができあがっていた。

 間もなく野ウサギの飛び出しは止まり、騎士たちは弓を下ろした。

 村人たちが駆け出して、獲物の処理を始める。

 一同一息ついたところで、騎士団長が父の顔を見た。


「何だったんでしょうな、今の一幕は」

「よく分かりませんが、この野ウサギたち、奥地からオオカミに追われてやってきたんじゃないですか」

「聞こえてきた声の様子だと、そう思うしかないようですが――」


 気味悪そうに、団長は木立の奥を見回す。


「オオカミの姿は、見えませんな」

「ええ、まるでオオカミの奴、獲物をここまで追い込んだだけで満足して帰っていってしまったような」


 傍にいた騎士が、どこか呆然とした顔で頷き返した。

 合わせて、団長も何度も頷く。


「うむ、まるでそんな感じだ」


 判然としない顔で、父は兄を振り返る。

 しかし兄も訳分からず、首を傾げるだけだった。

 ちなみに今の一斉射撃、騎士団長とこちらの護衛二人は参加していたが、父と兄は出遅れて後ろから見ているだけだった。騎士たちの見事な連射に、出る幕がなかったというのが正しいかもしれない。


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