第59話 赤ん坊、騎士団長と会う

 遠目からも、柵の向こうから飛びつく小動物の姿がいくつも判別できていた。しかし近づいて見ると、とてもそんなものでは済まないことがすぐに分かる。

 森と柵の間のそこそこ開けた残雪の草地が、白やら茶やらの野ウサギの群れでほぼ埋め尽くされていたのだ。おそらく、何百羽という数だろう。

 今のところ柵を越えてくるものはいないようだが、森から殺到してきて突き当たったところで折り重なって、今にもこちら側まで溢れ出してきそうな勢いだ。


「これだけ必死に出てきているということは、森の中では戻ってきたオオカミたちの狩りの真っ盛りなんだろうな」

「そうなんでしょうねえ」

「よし。とにかく狩れるだけ狩るぞ。ウィクトルは左手に向かってくれ。テティスと俺は、右手だ」

「は」

「かしこまりました」


 ザムから降りて、村人から少し離れた右手に向かう。

 途上、僕は兄の肩を叩いて囁きかけた。

「そうだな」と頷き、兄はザムを連れてもう一度柵の入口へ向かった。奥を指さして指示すると、ザムはすぐに納得したようだ。

 入口を細く開いて、ザムを送り出す。付近にいた野ウサギたちは、必死の様子で跳び退った。

 周りを威嚇しながらザムは一気に草地を抜け、森へ入る寸前で振り向いた。

 もうほとんど森から出てくる野ウサギはいない。逆に、弓から距離をとって逃げ戻ろうとする獲物たちをそこで待ち構え、逃亡を防ぐのだ。

 柵の中からの矢は、そこまでは届かない。のびのびとしたフットワークで、ザムは付近の野ウサギたちを蹴散らした。


「よし、撃て!」


 少しの間中断していた斉射が、ディモの声で再開される。

 前には矢衾やぶすま、後ろにはオオカミ。進退窮まって右往左往しながら、次々と野ウサギは射貫かれていった。

 何しろ柵にぶち当たったところでの混雑ぶりで、いつもの弓と距離をとる余裕が持てないのだ。逃げ惑いながらも仲間とぶつかり、重なり合い、得意の逃げ足も発揮できないでいる。

 それは狩りと言うより、一方的な殺戮だった。とにかく狙いをつけるまでもなく、矢を射れば当たる。次々と、残雪の上が赤い血に染まっていく。

 兄に背負われた僕が『光』を使う必要も、まったくなかった。

 やや横手からながら、村人のものよりも射程の長い兄とテティスの弓が放つ矢は、脇へ膨らみかけていた群れの大きさをどんどん減じていった。


 さしもの大群も、一刻あまりでほとんど殲滅されていた。

 ディモの号令で、斉射が止められる。村人たちが柵の外へ出て、間に合うものから血抜きを始める。

 離れた森の入口付近では、ザムが悠々と自分の獲物で食事をしていた。


「この数では、村の食用としても持て余してしまうのではないか」という兄の問いに、ディモは笑って応えた。


「村の端の蔵に残った雪を運び込んで冷やして保存できるようにするんで、しばらくは食っていけるんでさ」

「なるほどな」頷いて、兄はもう一度成果を見回す。「これでざっと、五百羽といったところか。森の中には、まだいるんだろうな」

「へえ。まちがいなくまだ、これ以上の数は残っているですさね」

「明日には、父上が応援の弓衆を連れて到着するはずだ。森の中に狩りに入っても、今日のような混乱ぶりならいいのだが」

「こんなのは、奴らが慣れた森の中じゃ望めないでしょうさねえ」

「だろうなあ。それでも、今日これだけ狩ることができてよかった」

「まったくですさね」


 満足したらしいザムが、戻ってくる。

 後処理を村人たちに頼んで、護衛二人に一羽ずつ獲物を持たせて、兄は帰途についた。

 結局早朝だけで決着がついて、まだふだんなら朝食が終わるかどうかといった時間帯だ。


 居間で、兄は母とヘンリックに首尾を報告した。

 防護柵に殺到してきていた、推定五百羽程度の野ウサギを鏖殺したこと。

 この時間の激しい流出は止まったが、森の中にはまだ同数以上の生息が残されていると思われる。

 今回は相手に距離をとる余裕がなかったため射殺は容易だったが、明日父が連れてくる援軍の森の中での狩りは、やはり困難を伴うかもしれない。


「今朝の異常事態は、戻ってきたオオカミが一斉に狩りを始めたので、恐慌に陥った野ウサギたちが後先見ずに逃げ出してきたため、というわけですな」

「うむ。しかしオオカミの方が圧倒的に数は少ないのだから、ひと通り腹を満たして狩りが終わったので、あれ以上森から出てくるのは止まったのだと思う」

「そうすると確かに、明日の野ウサギの動きは予想できませんな。今日の狩りの結果で数は減ったのだから、森の中で動き回る余裕ができて、オオカミからも人間からもある程度距離をとれるようになっているかもしれませんか」

「だな。オオカミが戻ったとはいっても、彼らは自分の腹を満たす以上の狩りはしない。まだ以前の数倍程度の野ウサギが残っている状態でこのまま森の中が落ち着いてしまえば、やはり繁殖を続けて生息数は増加一方になることが予想される。できれば今のうちに元の数近くまで減らしてしまいたいわけだが、明日来てくれる援軍でそれがどこまで可能か、だな」

「旦那様と十分打ち合わせをして、森に入ってもらう必要がありますな」


 夜中の騒動に加えて早朝から一日分の労働を終えた感覚で、この日は皆、明日に備えて休養をとることにした。

 徹夜のテティスには、いつもより遅い睡眠をとらせる。ヘンリックと僕らも、昼まで少し仮眠をとることにした。ウィクトルの仮眠は、テティスと交代の後だ。

 午後からも外出はやめにして、兄とヘンリックは翌日に向けての打ち合わせ。僕はベティーナに付き添われ、武道部屋でカーリンと一緒にザムと遊んで過ごした。

 部屋の中でザムに乗って歩くだけで、カーリンはきゃっきゃと喜び、隅で手作業をしている警固番の村人たちが笑って眺めていた。朝から運動と食事を満喫したザムも、ご機嫌に元気いっぱいだ。


 翌日、朝食を終えた朝四刻過ぎ、外が騒がしくなった。

 ウィクトルと村人警固番が外を確かめると、十頭程度の騎馬がこちらに近づいているという。おそらく、父と応援部隊だ。

 家人たちが出迎え準備を整えるうち、玄関先に次々と馬が到着し、揃って弓を背にした騎手が降りてきている。

 ヘンリックが出迎える先、父が騎士らしい大柄な男を伴って入ってきた。残りの男たちには、武道部屋で休むよう指示をしている。

 大柄な騎士を見て、僕らの脇にいたテティスが目を瞠った。


「これは――騎士団長」

「うむ。テティスとウィクトルだったな。警固、ご苦労」


 大男は、いかつい口髭の下の唇を緩ませた。

 父は、並んで立つ家族の方を示した。


「騎士団長は、うちの家族は初めてでしたな。妻のイレーネ、長男ウォルフ、次男ルートルフです。皆、こちらは王都の騎士団長、ハインリヒ・アドラー殿だ」


 初対面の挨拶を交わす中、父はもうベティーナから僕を奪い取って抱き上げている。

 ひと通り挨拶を済ませて、改めて兄は丸くした目を父に向けた。


「騎士団長ともあろう方が、直々いらしてくださったのですか」

「言わば、弟弟子ロータルの弔い合戦ですからな」

「まあ、ロータルの?」

「はい。騎士団予備隊では気の合う後輩でした」


 母の問い返しに、騎士団長は真顔の頷きを返す。

 一同の顔に、神妙な色が浮かぶ。ところへ、ヘンリックが小さく首を傾げた。


「なるほど。そういう建前で周りを説き伏せたわけですな」

「ヘンリック?」

「何事も鵜呑みにしてはいけませんぞ、奥様。こちらの騎士団長閣下の狩猟好きは、内々では有名な話ですので」

「はは。ヘンリック先輩には敵いませんな」


 呵々、と騎士団長は破顔した。

 そう言えば、ヘンリックは昔騎士団にいたと聞いた。どうも、その頃からの知り合いのようだ。


「北の野ウサギ狩りには一度挑んでみたいと、常々思っていましたのでな。こんな好機を部下だけに任すわけには参りません」

「騎士団長ともなれば、やすやすと王都を離れられぬ重職でしょうに」

「いやあ、副団長に任務を押しつけ、王の承認をいただくのに、さんざん苦労しました」

「まったく、この方は」

「まあその辺のいきさつはともかく、我々としてはこの上なく力強い援軍をいただいたのだ。国王と騎士団長に感謝しよう」


 苦笑で、父は僕を揺すり上げた。


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