第53話 赤ん坊、話し合いに臨む 2

「大変な話じゃないですか!」

「ええ。これを阻止できる唯一の機会は、雪解けの時期だと思われます。父が今王都で、狩りの人手の協力を集めているところです」

「王宮に強く訴え出るべきだと思いますよ。一領地の問題で済まないかもしれない。この秋に爆発的に野ウサギが増えて畑を襲うようになったら、そのままここを食い尽くして南のロルツィング侯爵領まで侵食していくことも考えられます」

「ああ」ベッセル先生も真顔で頷いた。「そうだ。その可能性まで考慮すべきだったね」

「この領地の被害だけで済まないかもしれない?」兄が目を瞠った。「まさか全国に広がるなんてことはないでしょうね」

「ここまでのところでこの領地以外に野ウサギは見つかっていないわけで、生息に南限のようなものがあるのか分かりませんが。天敵のいないまま繁殖を続けたら、大げさに言えば無限に増え続けるわけですから、どこまでも広がっていくことを覚悟した方がいい気がします」


 アルノルトは口元を押さえて、真剣に考え込んでいる。


「それにしても、何だってそんな……いったいオオカミはどうなったっていうんです?」

「理由は分かりません。森を調査した限りで、まったくオオカミの姿は見つからなかったということだけです。この秋に見つかったオオカミは、怪我をしていたそこのザム一頭だけなんです」


 さすがに、某男爵への根拠のない疑惑をここで話すわけにもいかない。

 そこまで話して、初めて気がついたように兄は目を丸くした。


「そうか。うちの領地以外に野ウサギはいない、ということは、他領から狩りの人手を借りても野ウサギ狩りに慣れた者はいないということになりますね」

「ですね。南方の森で狩る獣と言えば、ふつうは野ネズミです。同じように肉は食用になりますが、固体としては小さい」

「ここの野ウサギはかなり賢くすばしこくて、猟師の弓が届く範囲にはなかなか入ってこないという性質があるんです。野ネズミ狩りしかしていない者に、対応できるでしょうか」

「野ネズミについては、そういう苦労は聞いたことがないですね。的が小さいという苦労はあるようですが、生息数が多いところに狩りに行った者は、たいていかなりの数を仕留めてきているようで」

「助っ人を募っても、対応はなかなか難しいということになりそうですね」


 唸って、兄は僕の腹を抱く手に力を込めた。

 野ウサギ狩りの経験を積んだディモでも、最近は手を焼いているのだ。

 個体数の増えた野ウサギに、賢さ慎重さが鈍ることは期待できるか。

 騎士の修業を積んだ弓の射手なら、平民の猟師より射程距離を伸ばしての狩りが望めるか。

 王都や他領には、もっと別の効果的な猟の知識が存在するか。

 どれも、ここで考えていても回答の出ない疑問だ。

 しかし実際助っ人を集めて森に入ってから手に負えないことが分かっても、もう手遅れだ。雪解け時のタイミングを逃したら、ますます討伐は困難になってしまう。

 加護の『光』の狩りへの適用を教えたら、おそらく騎士修業の経験がある狩人なら、すぐに実行できるだろう。この際、背に腹は代えられない。この情報を公開すべきか。

 しかしどうしても僕には、その決断を思い切ることができないのだった。

 一度教えたら、『光』加護持ちに以降その使用を禁ずることはまず絶対にできない。特に騎士絡みの社会で、ずっと他の加護に引け目を覚え続けてきた『光』持ちにとって、人生が百八十度転換しかねない知識なのだ。

 もしかするとこの情報開示によって、一時的には軍事力の面で他国に対する我が国の優位性を作り上げることができるかもしれない。しかしその過程やその後の進展で、いったいどんな弊害、影響が出るか、僕の想像力では及びもつかない。

 控えめに想像しても、この世界の軍事の歴史がひっくり返ってしまう。

 この僕に、そんな責を負う腹はくくれない、のだ。

 そうした歴史を脅かす次元での影響と、今回の野ウサギの影響を秤にかけて、どちらを選択するか、だが。

 とりあえずは、野ウサギ駆除の方法に別案はないか、ぎりぎり知恵を絞ろう、という結論の方を選ぶしかないのだ。


「父に連絡をして、この観点で検討してもらいますよ」

「そう……ですね。それしかないでしょう」


 兄の発言に、口元を押さえたままアルノルトは頷く。

 ベッセル先生にしても、騎士の技量や猟師の技術についてくわしい知識はなく、これ以上の言及はできないようだ。


「この地域で雪解けというと、いつ頃になるのですか?」

「例年でいくと三の月の末頃なのですが、もしかすると今年はもう少し早まるかもしれません」

「あとひと月かそこら、ですか……」


 さらに沈痛な顔で、アルノルトは唸る。

 素人考えでも、これから狩猟面子を募り、経験のない野ウサギ対策を身に着けさせるには、かなり心許ない残り時間だ。


「王宮を動かすには、性急すぎる……宰相の辺りで準備を進めているか……」


 ほとんど独り言のように、アルノルトはぶつぶつを続けていた。

 ベッセル先生も腕組み姿勢で、沈思黙考の様子だ。

 頭の上の兄の顔は見えないが、やっぱり長考に入ったらしく、言葉が途絶えている。


 そうして座が沈んでいるうち。

 扉にノックの音がした。

 ウィクトルが応対して開いた戸口に現れたのは、ヘンリックだ。


「失礼します。ウォルフ様とベッセル先生がこちらと伺いました。ご歓談中、申し訳ありませんが」

「急用か。どうした?」

「王都の旦那様から、鳩便が届きまして。コロッケの販売に問題が起きているということなのです」

「何だと!」


 ヘンリックの話では。

 コロッケを販売する店に、王都市民を名乗る男が怒鳴り込んできた。

「この店では、ゴロイモの毒の部分を除かずに調理していると聞いた。俺たちを殺す気か?」と言うのだ。

 例の十分の一にしない調理法をしているのは事実だから頭から否定はできず、この方法で安全だと証明されているのだと説明したが、納得しない。

「人殺し」「毒を売るのはやめろ」と怒鳴り続け、仲間を引き連れて店の前に座り込みを始めている、という。


「何だ、それは」兄が怒鳴った。「明らかな営業妨害ではないか」

「そうは言いましても、口での説明では納得させられず、彼らの言い分を否定する証拠を出せないでいる、ということです」

「ベッセル先生の論文が認められて、安全性は証明されているはずだろう?」


 兄が向かいに目を向けると、「確かに」と先生が頷く。

 ヘンリックもそれに、何度も頷き返した。


「確かに、それで証明されるはずなのです。しかしながら旦那様も至急大学に問い合わせてその論文内容の公開を願い出たのですが、どうも手続きに手間がかかりそうなのです。何よりも、著者のベッセル先生が王都を離れたここにいらっしゃるわけですから、公開許可の認証を得るにも早馬で何往復もする必要が出るそうで」

「面倒なものなんだな」

「そこで、たいへん申し訳ないのですが、ベッセル先生にお願いがありまして」

「王都に行ってほしいということですね?」

「はい。私がご一緒しますので、明日の早朝、騎馬で出発していただけないかと」

「分かりました。もともとこの目的のために、ウォルフ様の功績を横どりする形で執筆したものですから。必要とあらば、出向きますよ」

「ありがとうございます。よろしくお願いいたしします」


 取り急ぎ、翌日出発する算段を詰める。

 なお、アルノルトも一緒に王都へ戻りたいと申し出たが、馬は二頭しかいない。今夜はベッセル先生の部屋に泊まり、アルノルトは徒歩でロルツィング侯爵領まで戻って馬を借りることになった。

 そのゴロイモに関する騒動に立ち合いたいし、今日ここで見聞きした内容について王都に戻って検討を進めたいと、気が急いているらしい。


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