第46話 赤ん坊、新年を迎える

 十二の月の最終週になると、王都での祭りへの出店作業が本格化している。それが佳境に入るはずの水の日、つまり年の最後の日の三日前、父が領地に帰ってきた。

「あとの面倒は、ヘルフリートに全部任せてきた」と宣って。

 まあ確かに、前段階の根回し等が終わってさえいれば、一般市民の祭りに貴族の当主は邪魔なだけかもしれない。

 その点はともかく、


「息子が初めての新年を迎える瞬間に父親が立ち合っていなくてどうする、とヘルフリートに毎日訴えていたら、ようやく折れてくれた」


 という動機は、どうしたものだろうか。

 ちなみにこれ、本人が言うほど理路整然とした訴えではなく、ほとんど「いやだいやだ」と駄々をこねる有様で、ヘルフリートが匙を投げたというのが実状らしい。


 ともかくも帰宅するなりベティーナの腕から僕を奪いとり、居間のソファに収まって父は家人たちと情報交換を行った。


 父からは、前回手紙で伝えてきた諸々の件の、続き。

 黒小麦パンとコロッケの販売について、『年送り祭り』の屋台での売り上げが期待通りなら、その後領地にある余剰の黒小麦とゴロイモ分を一の月中程度で売り切ることができそう、とのこと。

 それと、塩とセサミの販売の目処が立ったことからの試算を加えて、一の月末にはディミタル男爵からの借金の利息分と元金のかなりの部分を返済できる。つまりは例の「東の森全体を含む土地と領地の徴税権の一部」を譲渡しなければならない事態は免れることになる。

 前からの想像が正しければ、『年送り祭り』の売り上げ結果次第で相手からの妨害が強まる恐れがある。領地でもくれぐれも注意してもらいたい。


「それにしても、ウォルフに続いてルートルフを狙うなど、ただじゃ済ません。はらわたが煮えくりかえって収まらない話なわけだが――」


――や、また苦しい、父上父上。


 ぽんぽん腕を叩くと、僕の腹への締めつけは緩んでくれた。


 例の『赤目』という殺し屋については、王都の警備隊の捜査でねぐらを探し当てることはできた。

 最近のその周辺の動きで、どうも貴族の使用人と思われる男が出入りしていた形跡はあった。

 しかし、それ以上の情報はない。似顔絵を作れるほどはっきりした目撃はないし、ねぐらに書き付けなど記録は見つかっていない。

 結局は、殺し屋の依頼者が貴族である可能性がある。それだけ止まりだ。


「とにかく何よりも、皆で一致団結してあとひと月、とにかく必要分の返済を目指す。それが当面の目標だ」


 父の言葉に、一同真剣な顔で頷いていた。

 こちらから父への報告として、あまり新しい事項はない。

 わずかな朗報は、数日前にベッセル先生から聞いたことくらいか。


「ベッセル先生が大学に提出したゴロイモの調理法に関する論文が、無事受理されそうということです。大学側でも実験を行って、記述内容が正しいことが認められたようで。予想していたよりも速い動きだと、先生も喜んでいました」

「おお、それは一つ、明るい材料だな」


 兄の報告に、父は大きく頷いた。

 そこそこの興奮のしるしに、また僕の腹への圧力が強くなる。

 まあ苦しくてしかたないということはない程度なので、男親とはこんなものなのだろうと、甘受することにする。


「それも含めて、ウォルフに許可を取りたいと思っていたのだがな」

「何でしょう」

「このゴロイモの調理法に、天然酵母、それにクロアオソウの栽培法もかな、すべてウォルフが領地のために考えてくれた、画期的な発想なわけだが。私はこれらを、王宮を通じて広く国内に知らしめるべきだと思っている」

「国内――全国ですか」

「うむ。これらはすべて、国民の生活を豊かにし、国全体を富ませる情報だと思う。王国すべての利益を思えば、我が領だけで独占していいものではない」

「ああ、はい確かに」


 真面目な顔で、兄は頷く。

 一方で、父の脇に立つヘンリックは首を傾げていた。


「それはそうでございましょうが、旦那様。これらの情報はまだ、こちらの利益に繋げる余地を十分に残していると存じます。ゴロイモに関しては来年の収穫分の価値を高めるために早期に広めることに価値はあるでしょうが、天然酵母などはもう少し実体を伏せて商売に繋げることはできるのではありませんか」

「うむ。それは私も考えた。天然酵母の製法を高額な情報料を取って一部貴族から販売を始める、という手があるのではないかと」

「さように存じます。天然酵母は白小麦のパンの質も大きく高めるわけですし、毎日食べる主食に関することですから、需要は大いにあるのではないでしょうか」

「そうだ。このような情報は、ある程度広まってしまえばその後は秘密でもなく自然に知られてゆくものだから、最初が肝心だ。最初の情報料を高額にしておけば。買った方も貴重なものとして秘匿するだろうから、ある程度その広まりの速度も抑えられる。利益を得ようとすれば、最初にがっつりととるべきだろうな」

「御意にございます」

「しかしそれだと、これが一般庶民まで知れ渡るのに、長い時間がかかることになる」

「そう、なりましょうな」

「これが貴族平民を問わない主食に関することであるだけに、私は平民にこそ伝えるべきだと思うのだ。特に贅沢な材料などを用いることなく、毎日の食生活を豊かにできる。平民にこれを浸透させることこそ、国を富ませることができる手段だと考える」

「それはそうでしょう……が」

「青臭い理想で、恥ずかしいのだがな。先日、ベルネット公爵と塩の流通について話していて、大いに感じ入ったのだ。貴族のあるべき姿は、自分の家や領地だけを富ませることではない。王家から拝命した爵位を持つ以上、考えるべきは国益、国民の生活を豊かにすることのはずだ」


 僕のお腹を撫でる父の手が、どこか優しくなっていた。

 隣から、兄がこちらの意を探る視線を投げてくる。

 こくり頷くと、にっと兄は笑顔になった。


「私も賛成です、父上」

「そうか、同意してくれるか」

「この黒小麦パンの作り方が知れ渡って、領内の人々の笑顔が増えました。この笑顔が国全体に広がるべきと、私も思います」

「そうだな。しかしこのウォルフの考えた情報は、ヘンリックも言う通りやりようによって利益を生むことができる。ここにいる家の者たちにも、もっと贅沢な暮らしをさせる可能性を持っているわけだが」


 ちらり、父が隣を見ると。

 ほんわりと、母が笑い返していた。


「わたしは特に、贅沢な暮らしなど望みません。借金さえなければ、あとは領民も家の者も健康で元気に生活が送られる、それで十分と思います」

「其方も、欲のない性分だな」

「旦那様にお似合いと、よく言われます。贅沢がほしければ、この家に嫁いではいません」

「そうであったな」


 見ると、周囲の使用人は皆、笑いを堪える表情だ。

 護衛二人と僕だけが、少し乗り遅れた雰囲気。

 我が家の常識として、両親の婚姻時に何かあったのかもしれない。後で兄に聞いておこう。

 思いながら、腹に回された父の腕をなでなでしていると。

 いきなり、その抱擁がずり上げられた。


「そうか。ルートルフも賛成してくれるか。そうかそうか」


――痛い。父上、お髭痛いから。


 ひい、と泣き出しそうな声を漏らすと、慌てて父は膝上に戻してくれた。

 こほん、と咳払いをして、話を続ける。


「あとクロアオソウの栽培、と言うより加護の『光』の使い方、だな。これはどれだけの効用がありまた応用が利くものか、まったく未知数だ。しかしこれが本当にいろいろな作物の栽培に効果があるなら、やはり国中に利益をもたらす可能性のある情報、ということになる。そこを考えて、何人か私と親しい領主に伝えて、その気があれば各領地でそれぞれ試してもらう、ということから始めてみたい」

「はい。いいと思います」

「この辺は少し、裏の目的もあってな。王宮や各領地にいくらかでも恩を売っておいて、春先の野ウサギ狩りの人手を借りる当ても作っておきたい」

「ああ、それもありましたね」


 やや冗談めかした話し方になっているが、野ウサギ駆除は残された最重要課題だ。

 協力を仰げそうな領主の名前、人数など、夕食の後も兄やヘンリックと話している。

 固い膝の上で適度に揺すられながら、僕は眠りに誘われていった。


 今回の父の帰郷目的のいちばんは、僕とともに新年の日が変わる瞬間を迎えること、だという。

 しかし年の終わりの日、家人一同居間に集って年変わりを祝う宴の中、夜の八刻頃には僕は眠りに落ちていたようだ。

 夜中の一刻が近づく頃に僕を無理矢理起こそうとした父が母に叱られていた、という話を後から聞いた。

 年始めの日はことさら祝い事のようなことはせず、日常の生活を始めるのが習いらしい。

 この日は、兄とザムを従えた父に抱かれて外を散歩したのが、いちばんのイベントだった。村に顔を出すと、領主父子は熱狂的に迎えられた。

 そのように寛げた時間はほんのわずかで、年始めの二日目には、父は慌ただしく王都に戻っていった。


 父が滞在中の家族同衾から日常に戻り、僕は兄のベッドで就寝した。

 そこでようやく質問できたこと。父と母は駆け落ちに近い結婚だったらしい。

 母は某侯爵家の三女で、男爵である父との結婚は家中から反対された。それを押しきってほとんど家出の形で、幼時からの側仕えイズベルガ一人を伴ってこの領地に赴いたのだとか。

 母の実家は外聞を配慮して婚姻自体は認めたが、その語の交流は拒んでいるという。

 そんな事情から、未だに兄もその実家の家名さえ教えてもらっていないらしい。

 両親にそんな恋愛事件があったとは、なかなかの衝撃だ。

 とともに、母のふだんからのおっとりのほほんとした様子と、妙に芯の強さを思わせるところが、少し理解できた気がする。

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