第47話 赤ん坊、使者と会う

 一の月の四の風の日。父から鳩便が届いた。

 年末のパンとコロッケの屋台販売が好調だったので、今後のために黒小麦とゴロイモの補充が必要になる。今週中に契約している商人の使いが運搬のため領地入りするので、対応を頼む。塩とセサミについては知られないように配慮しておくこと、という連絡だ。


「塩の生産はいくらでも進めておきたいところですが、今週は休みにして、作業場は閉じておくことにしましょう。黒小麦とゴロイモの出荷分の準備と合わせて、村の者に伝えておきます」

「そうだな。塩の生産中断は少し惜しいが、もう四の週が始まっている。製塩作業の煙と蒸気は、すぐには隠せないからな。早急に連絡してくれ」

「かしこまりました」


 兄と打ち合わせをして、ヘンリックは出ていった。

 僕は今日もザムのお尻につかまって玄関ホールで『あんよ訓練』をしながら、それを見送る。

 こちらを見守っているベティーナに、兄が指示をした。


「王都の商人はまずここに挨拶に来るはずだ。ザムを見せて騒ぎにしたくないから、馬車を見たらベティーナは、ルートとザムを二階に連れていってくれ」

「かしこまりましたあ」


 その商人の使いが到着したのは、四の光の日の昼過ぎだった。

 指示通り馬車の姿を見るとザムを連れて二階に上がり、僕はベティーナに抱かれて階段の上から訪問者の様子を眺めた。

 領主邸前に停めた商家のものだろう紋章のついた馬車から降りてきたのは、固太りの体格でちょび髭を生やした中年の男と、それより少し若いがっしりした体格の剣を腰に下げた男、さらに体格のいい人足らしい男が二人、だった。

 ヘンリックの迎えを受けて、ちょび髭の男は丁寧に挨拶をする。


「フリード商会の副店長を務めております、クルトと申します。ベルシュマン男爵閣下にはたいへんお世話いただいております。こちらは、使用人のギードでございます」

「遠くからご苦労でございました。すぐ村にご案内します」


 商家の使用人を領主邸でもてなすのは大げさなので、一行の宿は村に用意している。

 今回は一泊の予定になっているが、こういう客や行商人などの宿泊のために、不定期営業の宿屋のようなものは存在しているのだ。

 なお、かなり積雪が増えてきていて、馬車が通れるほどの除雪がされているのは南の街道から領主邸までになっている。そのため馬車はここに置いて、一行は宿まで徒歩移動してもらう。代わりと言っては何だが、運搬する品は、村の者が橇を使ってここまで運ぶ手伝いをすることになっていた。

 ヘンリックの後ろから、兄が姿を現した。

 領主の長男と紹介されて、商人たちはいっそう深い一礼で応える。


「これは、お噂を伺っております。たいへんお若いにも関わらず、ご立派な次期領主様でいらっしゃるとか。王都で評判のコロッケも、ウォルフ様の考案されたものだそうで」

「大げさな噂は、鵜呑みにしないでくれ。今日は気を遣わせて申し訳ないが、私も村まで同道する。私と弟は散歩を兼ねた村の視察を日課にしているのでな。こんな田舎の地だ、あまりかしこまらずつき合ってくれ」

「は、はい。もったいないお言葉で。せっかくですのでご一緒させていただいて、村の様子など拝見させていただきたいと存じます」

「うむ」


 商人との品の受け渡しは村人だけでは心許ないので、ヘンリックが立ち合うことになっている。さらに時間が合えば兄と僕もそれこそ散歩がてら参加しようと、事前に打ち合わせしてあった。

 厚着をした僕がベティーナに抱かれて降りていくと、外にはテティスとウィクトルが出ていて、一行と話をしていた。

 今日はこれから、ウィクトルは僕らと同行しての護衛、テティスは屋敷に残ることになっている。

 ウィクトルの「道中、特に湖沿いの辺りは大変だっただろう」という問いに、御者をしていたらしいギードという男が、熱心に頷いている。


「へい。道は雪が多くなって滑りますし、盗賊が多い場所と聞いていますんで、まったく気が抜けない道中でした」

「商人の遠出というのも、危険が伴うのだろうな。その馬車の横板も、矢の痕が残っているではないか」

「へい。つい先月遠出をした折、襲われたものでして。幸いこっちが反撃したら相手はすぐ逃げて、被害はありませんでしたが」

「そうなのか。何か、間抜けな盗賊だな」

「こちらの村とは今後もよろしく取り引きをお願いしたいので、あの街道の安全は国にも訴えていきたいところです」クルトがにこやかに口を入れた。「幸いうちの者は、ギードも他の二人もそこそこ腕に覚えがありますもので、少人数の盗賊なら追い払えるのですが」

「なるほど。ギードとやらは確かに、剣を使い慣れているようだな」

「騎士様にそう言っていただけるには、恥ずかしい腕前でして」


 兄とヘンリックが支度を調えて出てきて、村へ向けて出発した。

 先頭で兄の横にヘンリック、隣にクルト、その後ろに僕を抱いたベティーナとウィクトル、最後尾に商家の使用人が三人、というなかなかの大所帯だ。

 歩きながらの会話は主にヘンリックとクルトで、それに時おり兄が加わっている。


「こう言っては失礼ですが、こんな北の果てのような小さな村で、今王都で大評判をとっている商品が生み出されたなど、まだ信じられない思いです」

「たまたま、ですね。数少ない地産品を活かしたいという、苦肉の策と言いますか」

「黒小麦もゴロイモも確かに、こちら以外ではほとんど採れないものですからねえ。それでもそれを立派に活用したということで、王都ではベルシュマン男爵閣下とそのご子息の評判は鰻登りですよ」

「それは光栄な話です」

「一部からは、ウォルフ様には農業の神が降臨していらっしゃるのではという声が出ているほどです」

「大げさな噂はやめにしてもらいたいな。本当にこっちは、苦肉の策でいろいろ試してみた結果だ」

「あのコロッケという素晴らしい料理もですが、何と言っても不思議なのは、黒小麦パンの神がかりと思えるほどの柔らかさです。調理場を提供している私どもの店にも秘密を教えていただけないのですが、使用人の中には、ベルシュマン男爵領の人が使う石窯には魔法がかかっているのではないかと言い出す者がいるくらいです。それもこれも、ウォルフ様が神の祝福を得ている証拠なのではと」

「それこそ大げさだ。そうやって煽てても、まだ秘密は教えないぞ」

「それは残念です」


 からからと、商人は笑った。

 男爵子息と話していてもまったく物怖じする様子がない、なかなか肝の据わった男だ。

 ちら、と後ろのこちらを振り返って、お追従を続ける。


「弟君もお兄様に負けぬほどご聡明の様子で。今後当分、ベルシュマン男爵領は安泰と言えそうですな」

「そうであればよいが」


 宿屋に荷物を置いて、一行はさっそく、出荷する農産品を集めた蔵を確認に行った。

 予め報せを受けた数名の村民が、説明をする。


「こちらが黒小麦、製粉まで済ましてあります。こちらの袋がゴロイモ。領主様から指示された分を揃えています。ほぼこれで今出荷できる量のすべてでさ」

「ふうむ、たいした量だ」クルトが頷いた。「しかしちょっと、小麦に比べてゴロイモの量が少なくはないですかね」

「指示された通りで。これでほぼもう限界なんでさ」

「なるほど、そうですか」


 頷き、クルトとギードは木板に書かれた数字と現物を比べて確認していく。


「うん、まちがいありません。では、この運び出しをお手伝いいただけるということでしたね。よろしくお願いします」

「へえ」


 いくつか開いていた袋の口を閉じて、クルトはこちらに笑いかけてきた。


「皆様もご足労ありがとうございました。しかしこんなことを言うのも今さらですが、この黒小麦とゴロイモ、これらが貴重な売り物になるなど、私どもも少し前まではまったく考えたことがありませんでしたよ」

「実を言いますと、我々もです。ほんの数ヶ月前まではこんなもの、捨てるか飢え死にする前の最後の食料かという認識でした」

「返す返すも、ウォルフ様の素晴らしい功績ですな」


 ヘンリックと頷き合って、クルトはからからと笑った。

 ギードと人足二人は、村人たちと協力して袋を運び出し、橇に乗せる作業を始めている。

 今日のうちに馬車に積み込んで、明日早くに出発できる準備を整えるのだ。

 外に出て作業を眺めながら、クルトは村の佇まいを見渡した。

 昔に比べて人口が減少しているということで、夕食の支度で煙をたなびかせている家に混じって見るからに静まり返った空き家も点々とみられる。

 その中の三軒ほどがこのところ大活躍している作業場で、今日は静まっているが、戸口前の雪には多くの足跡が見えていた。


「いやあ、一見閑散としているようですが、なかなか雰囲気のある佇まいの村ですなあ。ここで貴重な農産物が採れている、今後発展が期待される、ということを思うと、また見た目も変わってくる気がします」

「まあ、これから活気が出てきたら何より、と思いますな」


 商人の言葉に、ヘンリックは穏やかに応えた。

「そうなりますよ」と、クルトは頷きを返す。

 そちらへ、ヘンリックは会釈を向けた。


「では、我々は失礼します。何もないところですが、宿屋には精一杯もてなすよう伝えてありますので、ゆっくりお寛ぎください」

「ご配慮、ありがとうございます」


 屋敷へ戻る道すがら、馬車への積み込み作業を終えた一行とすれ違った。

 力仕事後の村人たちに、僕は愛想の手を振ってみせた。


 家へ帰って、いくつか打ち合わせ。

 しばらく家の中に押し込められていたザムは、ウィクトルに連れられて外に出ると、元気に駆け出していった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る