第44話 赤ん坊、労う
「賊を生かして捕らえることができれば背後にいる者を訊き出すこともできたのでしょうが、手加減できませんでした。わたしの未熟です」
「そこはそれこそ、しかたないだろう。腕前は拮抗していたのだろうから、勝利できただけで最善の結果と思うべきだ」
兄の言葉に、いつの間にか姿を見せていたヘンリックが同意した。
「真にさようでございます。賊は何者かに雇われた殺し屋の類いと思われますが、こちらの内情をかなり調べた上での犯行のようです。調べた上で自分はテティスを上回ると確信していたのでしょうから、それを退けただけで大手柄と言えます。
雇った者については想像するしかありませんが、営利目的の誘拐と思われますので、可能性は絞られることでしょう」
「こんな納税にも窮している男爵家の子どもを身代金目的で攫うのに大金はたいて殺し屋を使うなど、うちの直近の財政事情を知る、王都の貴族事情に通じた者としか、考えられないな」
「さようでございます。とにかくにも賊の遺体を王都の旦那様の元へ送って調べてもらえば、何か判明するやもしれませぬ」
「うむ。すぐ手配してくれ」
「かしこまりました」
ようやく居間の中にも、穏やかな空気が落ち着いてきた。
遠く外を見ると、すっかり暗くなっている。とうに夕食を過ぎた頃合いなのだろう、と思う。
ヘンリックが出ていって、ウェスタが何やらカップを持って入ってきた。
「ルートルフ様に、温かいものをと。キノコのスープです」
「わたしが飲ませますね。ここに置いて頂戴」
ということで僕は、母の手から熱いスープをいただいた。
離乳食にも慣れて、最近はこのような半固体の入ったスープだけで満腹することができるようになっている。
肉親や子守りや護衛たちの生温い視線を向けられながらの食事は恥ずかしくもあったが、やはり母から口に入れてもらうスープは至福の味わいだった。
にこにこと僕を眺めていたテティスが、ふと思い出したという顔になった。
「そうでした。今日の一件では、ウォルフ様に教えていただいた技能が役に立ちました。ありがとうございます」
「そうか、あれが役に立ったのか」
「実戦で使えたのか?」
思わずの様子で身を乗り出すウィクトルに、テティスは頷き返した。
「最初の一戦ではためらいもあり、使うきっかけを失って敗れてしまったのだが。二度目の戦いではうまく使うことができた。やはり、接近戦で不意を突くには効果があるようだ」
「そうか。本当に使えるのだな」
「ウォルフの教えた技能とは、どういうものなのです?」
母に問いかけられて、兄はちょっと困った顔になる。
兄に視線を向けられて、テティスが代わって応えた。
「ご説明いたします。ウォルフ様に教えていただいたのは、戦闘時に『水』の加護を活かす方法でございます」
「『水』の加護ですか」
「はい。命を賭けた戦闘の場での『水』は、相手に読まれていると牽制の役にも立たない場合がございます。その点でウォルフ様の教えをいただきまして、もっとはっきり相手に危害を加えられる方法を考案しました」
「どうするのです?」
「具体的には『水』を細く放つことで威力を高め、相手の目を狙って噴きつけます。通常の『水』はもう少し広く弱く浴びせかけられるものですから、それを予測した相手はかけられても怯むまいと目をしっかり見開いて相対してきます。
その目だけを狙って強く噴きつけられるわけですから、かなりの衝撃を与えることができます。目を潰すまではいきませんが、相手の動きを一瞬止めることだけはほぼまちがいなくできるようです」
「まあ……」
「半月ほど前からウォルフ様に助言を受けて、ウィクトルと練習を重ねてきたのが、実戦で実を結びました」
「なるほど。それで逆転の形で勝利したのなら、一瞬の隙だけを突いて確実に相手に致命傷を与えないと、再逆転の恐れがある。相手の命を奪わないで済ますというのは、難しいな」
「はい」
兄の言葉に、テティスは深く肯いた。
それでもやはり、その点については悔いが残るという表情だ。
そこへわずかに考えていた母が、ぱっと笑いを向けた。
「なるほど、劣勢に立たされてもそこから起死回生を図る方策になるわけですね。最後まで護る対象を諦めない、優秀な護衛にふさわしい心がけと言えましょう」
「あ……ありがたいお言葉です」
慌ててかくりと、テティスは腰を折った。
「最初は迷いもあったのですが、ウォルフ様のご助言を受けると決めてよかったと思います。いや先に心を決めたのはウィクトルで、それに乗って一緒に修練してきてよかった、ということになります」
「そう。二人ともその心がけで、これからもよろしくお願いしますね」
「はい」
「かしこまりました」
二人揃って頭を下げ、戸口の定位置に戻っていく。
立ち位置につきながら、ウィクトルが相棒に声をかけていた。
「俺もこれで、ますます加護の使いこなしの修練に力を入れる気が出てきた。テティスに負けたくないからな。これからも、稽古の相手を頼む」
「こちらこそ。わたしだって負けない」
兄は母と顔を見合わせて、微笑を浮かべている。
ふと近くに意識を戻すと、母の足に持たれるようにして、ベティーナがうたた寝を始めていた。
仕事熱心なこの少女には珍しい、言わば醜態だが、今日の一件で疲れ果てていたのだろう。
母が後ろに目配せをするとイズベルガが寄ってきて、苦笑で小柄な少女を抱き上げ、運んでいった。
それを見送りながら、満腹のせいか僕もまた眠気に誘われ、瞼が落ちそうになってきた。
ぐしゅと手で目を擦ると、くすり、母に笑われた。
「ウォルフ、ルートルフはもうお眠みたい」
「はい、連れていきます」
母から僕を受け取り、おやすみの挨拶をして、兄は階段に向かう。
のろのろと力ない足どりで、ザムが後に従ってくる。
最近はほとんど毎晩、護衛のつもりらしく兄の部屋で寝る習慣にしているのだ。
『ほとんど』というのは、週に一~二度程度、夜の狩りに出かけて留守にするせいだ。
ただそれにしても、いつもの元気よく段を昇る足どりに比べて、今日は未だかつて見たことのない覇気のなさだった。
気がついて、兄はその頭を撫でた。
「今夜も護衛を頼むぞ、ザム」
「うぉん」
返す声に、少し力が戻ったか。
部屋に入り、ザムがベッド脇にうずくまったところで。
僕はその背中に乗って、頭を撫でてやった。
頭を撫で、首を揉み、喉をくすぐる。
今にもことりと落ちそうな眠気と戦い、撫でる、撫でる、撫でる。
撫でる、撫でる、撫でる――
「ウウーー、ウォン」
「ザムが、分かったもういいって言ってるぞ、ルート」
「ううーー」
べたり。ザムとお揃いの呻きを漏らして、僕はその背中に這いつくばった。
よいしょ、と兄がベッドの上に抱き上げてくれる。
そのまま温かな腋に抱きつき、たちまち意識を落としていった。
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