第42話 赤ん坊、攫われる 1

 十二の月の三の週になると、平地でも地面がすっかり雪に覆われるようになった。

 それでもザムは足が冷たいということがないらしく、元気に僕を乗せて歩いてくれる。

 この日も、ベティーナとテティスをお供に村まで散歩だ。

 製塩作業場では村人たちが明るく働き、兄とウィクトルが間を縫って見て回っていた。

 王都の父から塩が売り物になる目処が立ったと連絡が来て、ますますみんなのやる気に拍車がかかっているらしい。

 また黒小麦パンとコロッケの販売も好調だということで、ますます村に明るさをもたらしている。

 戸口から覗き、目の合った人に両手を振って愛想を振りまくだけで、その場は後にした。

 ほとんど日課にしている通り、あとはクロアオソウの栽培小屋を覗いて、ここにも愛想をまいていく。

 村の子どもたちの歓声ももらって、ひと通りノルマは終了。お供を連れて屋敷への帰途についた。


「うーー、寒い」


 村の家並みを出ると、道の両側に何も遮るものがなく寒風が吹きさらしの状態がしばらく続く。

 少し進むと木立の密集が道の傍まで迫る箇所があって少し風が遮られるので、ベティーナは先んじて足を急がせた。テティスもザムも異論なく、それに歩調を合わせる。

 ――の、だが。


「ウウウーー」


 いきなり、ザムが唸り声を上げて足を止めた。

 ぴったり傍についていたテティスが、たたらを踏みかけた。


「どうした、ザム?」


 かけられた声にも気づかない様子で、ザムはすぐ前の木立を睨みつけている、ようだ。

 数歩前に出かけていたベティーナが、戸惑いの顔で振り返る。


「ザム、どうしたの?」

「ウウーー、ワウ!」


 唸り、吠えかけた。次の瞬間。

 木立の陰から、馬が飛び出してきた。

 人が乗っている。黒ずくめの服装の、男?


「何者だ!」


 テティスの誰何より早く、ザムが前に出た。

 そこへ。馬上の男が何かを投げつけてきた。

 ザムの鼻先に命中して、何か粉のようなものが散らばる。


「ぐわ、キャン!」

「ざむ!」


 目潰しだ、と咄嗟に僕は手で顔を覆った。

 しかしまともに食らったザムは、苦悶の様子で横転してしまう。


「ルート様!」


 慌てて駆け寄ったベティーナが、宙に投げ出された僕を抱きかかえる。

 ナイスキャッチ。

 しかし。


「な――ゴホゴホゴホ――」


 両手で僕を抱いたベティーナは顔を覆うこともできず、散り乱れた粉をしこたま吸い込んでしまったようだ。

 そのまま雪の道の上を、咳きこみ転がり続ける。


「何者だ、貴様!」


 すぐに駆け寄ってこようとするテティスと僕らの間に、襲撃者は馬から下りて立ちはだかっていた。

 抜いた剣を突きつけられ、テティスも剣を抜く。

 一瞬後には、もう最初の剣の打ち合わせが響き渡っていた。


「無駄な抵抗だ、女」

「何を!」


 低い声の応酬に続いて、さらに剣の打ち合いが、二度、三度。

 剣の実力は、拮抗しているか。

 思ううち、二人の身体は接近し、鍔迫り合いの形になっていた。

 こちらを向いたテティスの顔は、鬼のよう。

 対する男の顔は、見えない。

 男の顔がこちらを向いたなら『光』で攻撃もできるのだが、その隙は見えないのだ。

 咳きこみ続けるベティーナに抱かれた状態で、僕の姿勢も安定しないし。

 なすすべなく見ていると。

 ふと、男が鼻で笑った、ような。

 次の瞬間。テティスの顔に、炎が吹きかけられた。


「ぐわ!」


 加護の『火』だ。

 堪らず顔を逸らすテティスを、すかさず男の剣を持つ手が押し飛ばす。

 よろけたテティスに、男の足が飛ぶ。見事に鳩尾に蹴り込まれて、女護衛の身体がくの字に折れ曲がる。


「が――ゲホゲホゲホ――」


 地面に膝をついたテティスに目もくれず、すぐさま男は振り返った。

 こちらが何をする余裕もなく、ベティーナが蹴り飛ばされる。

 上向きになった僕を乱暴に掴みとり、懐から出したものを被せてくる。

 粗布でできた袋、だったようだ。あっという間に包まれて、僕は無造作に担ぎ上げられていた。

 何も見えないまま、ふわっと担いだ男ごと跳び上がった感触は、馬に跨がったということらしい。

 次の瞬間には、僕は疾走の感覚に包まれていた。


 つまり、どうやら僕は、人攫いに遭ったということのようだ。

 疑いなく、計画的な。

 オオカミのザムの対策として目潰しを用意していたというのもそうだし、この僕を収めて背負うために用意したらしい袋もそうだ。この先街道を馬で走るにあたって、僕が暴れたり人に見とがめられたりを避けるための準備だろう。

 反面それは、すぐに僕の命をどうこうするつもりがないらしいという想像にもつながって、ほんの少しだけ安堵する。

 つけ加えると、おそらくこの男、テティスの剣の実力も事前に調べての犯行なのだろう。

 テティス自身の引け目でもある、純粋な剣技だけなら拮抗しても、鍔迫り合いからなら腕力任せで圧倒できる、そんな見込みを確信して、ということなのではないか。

 そしてもう一つ、僕が気づいたことがあった。

 この、黒ずくめの服装の男。

 ほんの数語だが、テティスと交えた会話の声。

 さらに、こちらを振り向いたとき一瞬見えた、赤い目。

 まずまちがいなく、前に兄を襲った賊と、同一人物だ。


 以前兄の命を狙った男が、今度は僕を生かしたまま連れ去ろうとしている。

 手段は異なるが、目的はおそらく同じだろう。

 父の借金返済の妨害だ。

 前回は、兄が直接領地の財政回復に影響していると知って、排除しようとした。

 しかし僕については、まずまちがいなく、兄の協力者だとは思っていない。知るよしもないし、たとえ誰かに言われたとしても信じられるはずもない。

 だからこその、生かしたままの連れ去りなのだろう。

 と考えると、目的は明らか。

 身代金目当て、営利目的というやつだ。

 おそらく王都でのパンとコロッケの販売好調の噂を聞いて、その利益分を奪い取ろうという発想なのではないか。

 そう考えると、すぐには命を奪われないだろうという想像に、裏打ちを得た気になる。

 そうは思っても、安心しきるわけにもいかないのだが。

 相手にその気がなくても、結果的にどうなるかの保障は、まったくない。

 何しろ体力的に人様に自慢できる要素のまったくない、病気持ちの赤ん坊なのだ。

 乱暴にされたら、死ぬ。相手にそのつもりがあろうがなかろうが、ひょっこり息を引きとって、何の不思議もない。

 今現在も、疾走する馬の背、その上の騎手の背で、袋に包まれて何に掴まることもできず、いいだけ揺られ続けている。

 ひっきりなしに男の背に弾み、ぶつかり、揺られ、今にも不快のあまり嘔吐しそうだ。

 死ぬ。死ぬる。

 いつ息絶えても、何らおかしくない。

 誰か、助けて――。


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