第41話 赤ん坊、稽古を見る

 夜中はテティスが二階を警固する。

 午前中はウィクトルが居間を警固する。

 土の日は午前の勉強も午後の村視察もないので、昼食後兄は、二人に剣の稽古をつけてほしいと頼んだ。

 先日兄が危険な目に遭ったことを知っている二人は、快く承知した。

 武道部屋で、木刀を握っての稽古になる。

 ちなみに僕は、ザムの寝床に一緒に丸まって、ふっふきゃっきゃしながら見学することにする。

 何であれ警固対象二人が同じ部屋にいるのだから、二人の護衛としては他を気にすることなくいられるはずだ。


「世辞や手加減はいらないから、襲撃を受けた際俺が少しでも長く持ち堪えられるように、鍛えてほしい」

「分かりました。私が打ち込みますので、ウォルフ様は受けて下さい」


 ウィクトルが木刀を構え、すぐに振りかぶりながら踏み込んだ。

 手加減するなと言われてももちろん全力ではないだろうが、かなり重い音が、受けた兄の木刀に響く。

 手が痺れたらしく、兄は木刀を取り落とした。


「すみません、強すぎましたか」

「いや、これでいい。当面はこれを受け止めるのが、目標だ」


 次は、軽く剣を二三合打ち合わせてから。

 すぐに切り返したウィクトルの太刀筋は、兄の木刀を払い落とした。


「くそ」


 すぐさま拾い、兄は構えを戻す。

 そんな打ち、受けを何度もくり返し、兄の息が弾み出した。

 ずっと鋭い目で観察していたテティスが、声をかけた。


「ウォルフ様の受けの力は、十一歳としてはかなり力強いと思われます」

「世辞はいいと言ったぞ」

「お世辞ではなく、客観的な目での評です。ウォルフ様もしかして、加護をお使いですか」

「うむ。加護の『風』を常に剣にまとわすことができるよう、いつも訓練している」

「そこはかなりよくできていると思います。『風』は受けでも剣に力を増すことができるようです」

「うむ」

「ただもう少し加護の込め方にも強弱をつけて、受けの瞬間に合わせられるようにしたらいかがでしょう」

「うむ、やってみよう」


 それからまたしばらく続けて。結局兄はウィクトルの打ち込みを受け返すことはできなかったが、手応えは掴んだという様子だ。

 板床に座り込んで汗を拭いながら、兄は二人と稽古の感想を話し合っていた。

 教師役の二人からひと通り改善注意点の指摘を受けて、素直に頷いている。

 そのうち会話は雑談に近くなって、


「それにしても、ウォルフ様の『風』の加護は、羨ましいです」

「まだまだこれからも、剣技の向上に活かせる余地がありますからね」


 テティスとウィクトルの溜息をつくような言い分には、兄は首を傾げた。


「二人とも加護は『水』だと言ったな。『水』も、接近戦に活かす方法はあるのではないか?」

「『水』は所詮、単なるこけおどしですから」

「相手に予想されていたら、ほとんど効き目はありません」

「そうなのか?」兄は首を傾げて、「しかしたとえば、こんなことはできないのか?」


 兄の提言に。

 護衛二人の目は、揃ってまん丸に瞠られた。


「いや、それは……」

「やればできるかもしれませんが……」

「問題があるか?」

「いえ、その……」テティスは口ごもりながら応える。「ウォルフ様にお分かりいただけるか、心許ないのですが。騎士としてそういう行為は品位に欠けるとか卑怯だとか、そんな評価になると思われます」

「私が教えを受けた剣の師も、そういう邪道は認めないと思います」

「俺も騎士候補合宿でそのような品評の言い回しは聞いたので、分からないではない。しかし二人の仕事は護衛であろう? 護衛として大切なことは、何だ?」

「あ……」


 呻きを漏らして、ウィクトルは同僚と顔を見合わせる。

 テティスは難しい顔で、まだ考え込む様子だ。


「俺も剣技を学ぶ上では、その品位だとか美しさだとか、大切な要素ではあると思う。貴族の端くれとしてはなおさら、だな。しかし先日賊の襲撃を受けて命を失いかけた際、形振り構わない加護の用い方をして、一瞬時間を稼ぐことで危ういところを免れた。

 修行の上で美しさは貴くても、戦闘や護衛の場では何の価値もない。護るべきものを護り敵を討つこと以上に、重きを置くべきことはあるだろうか」

「は」

「いえ……」


 さらにややしばらく思考を巡らせて。

 いきなりウィクトルは立ち上がった。


「確かに、ウォルフ様の仰る通りです。そのご提案いただいた方法、試してみたいと思います。テティス、稽古の相手をしてくれないか。ウォルフ様、しばし稽古の時間をいただいてよろしいでしょうか」

「ああ今日は予定がないから、構わない」

「ありがとうございます」


 頭を下げて、二人は剣をとって立ち合いを始めた。

 最初はややためらいがちだったテティスも、身体を動かすうち熱が入ってくる様子だった。

 兄は床に胡座をかいて、僕はザムの腹に寄り添い丸まって、ずっとその手合わせを見つめていた。


 二人が騎士としての正道を志して歩んできたのだとしたら、申し訳ない提案をしたのかもしれない。

 しかしこれは、ぶっちゃけた話、僕らにとって必要なことなのだ。

 護衛が形振り構わず戦ってくれるという信頼がなければ、安心して身を任せられない。

 たとえば先日兄を襲った賊は、かなり剣技に秀でているように見えた。もしテティスやウィクトルがあの賊と対峙して、剣技及ばず敗れたとしたら、惜しい残念でした、では済まないのだ。

 たとえ力及ばなくても、何としても護衛対象の安全を図り時間を稼いで逃がすのが、護衛の務めなのだ。

 申し訳なくはあるが、彼らには護衛として精一杯の務めを果たしてもらわなければならない。

 翌日以降も外出などの合間を使って、兄と二人の稽古の時間をとっていくことにした。


 そうしている間も、領地でこれといった問題は起きていない。

 製塩作業は、以前汲み出してきた分の塩水を使い果たした。その後数名の村人が雪に沈まない木の板の道具を足に着けて森に入り、追加の塩水を搬出してきて、作業は続けられている。今後これより雪が深くなったら難しいと、ひと冬の作業に十分な量を運んできたという。

 王都では黒小麦パンとコロッケの販売の目処が立ったということで、村の女性五名が調理要員として出立した。さっそく調理したパンとコロッケを父と親しい貴族や商人に試食してもらったところ、好評を得たという報せがあった。

 十二の月の二の週から、持ち帰り販売の形式でパンとコロッケを王都で売り始めるということだ。

 少しずつ、領地の収入を得る施策が形をとり出している。

 その分、どこぞの貴族からいつどんな干渉があるか分からない、警戒を強めよう、とヘンリックから屋敷のみんなに注意があった。


 この間に、僕は生後八ヶ月を超えた。

 生まれが一ヶ月遅いランセルとウェスタの娘カーリンはもうつかまり立ちを始めたらしいが、僕はまだだ。ここに来て成長を追い越されたみたいで、少し落ち込む。

 僕についてはクル病の件があるので、ベティーナや兄にも母から、無理に立たせるようなことをしないようにと注意がされているらしい。

 しかし落ち込むのも少しだけなのは、あまり不自由を感じていない、というせいがある。

 ベティーナと兄の抱っこやおんぶは快適この上ないし、何より兄には意志が通じるので、ほぼ行きたいところへ連れていってもらえる。

 しかも外出時などには、それ以上に快適な、ザムの背中という乗り物がある。

 負け惜しみでも何でもなく、まったく不自由なく快適なばかりなのだ。

 しかもしかも。僕の不調判明と母の快復が重なった、その幸運な偶然のせいで。食事前後や寝る前など、以前とは比べものにならない長時間、母に抱かれることができているのだ。

 これに勝る幸福など、願っては罰が当たる、以外の何物でもない。

 日光浴と栄養補給の成果だろう、ひと月前に比べると、少しは足に力が入る感覚も出てきているのだが。僕はすっかり現状に満足して、無理な努力をする気を失っていた。

 この状況を、僕はその後、悔やむことになる。

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