第39話 赤ん坊、家族と寝る
執務室を出て、食堂に向かう。
かなり遅くなったが、夕食の支度ができているはずだ。
食卓に着きながら、父は玄関前で警備をしている二人を呼び寄せた。
「みんなに紹介しておく。騎士団予備隊から我が男爵家付に来てもらった、テティスとウィクトルだ。テティスは十九歳、ウィクトルは十八歳だったな。二人とも剣の腕前は折り紙付きで、ウィクトルは弓も使う。この二人に当分住み込みで屋敷の警備を任せるので、よろしく頼む」
「よろしくおねがいします」と二人は頭を下げた。
テティスは栗色の髪を肩の付近で切りそろえた、意志の強そうな目をした女性だ。
ウィクトルは短髪の大男で、全体的にクマを思わせるその顔は、どこか愛嬌がある。
続けて父は今の打ち合わせの結果、塩とセサミについては秘密厳守、ということを全員に徹底した。
それから僕を名残惜しそうにウェスタに委ねて、食事を始める。
「ロータルは今年妻を亡くして、他に身寄りがない。王都に帰り次第、男爵家から葬儀を出してやるつもりだ」
「あのロータルが亡くなるなんて。信じられません、あんなに剣に秀でていたのに」
「御者をしていたところに、いきなり矢を射かけられたのだからな。あいつが剣で不覚をとったというわけではない」
沈痛な様子で、父と母が話している。
それほどにロータルという人は、この男爵家に欠かせない存在だったようだ。
「本当はロータルをここに残すべきか、ずっと迷っていたのだがな。今となってはどうしようもない」
「それにしても旦那様、王都への戻りの護衛はどうなさるのですか?」
「ロルツィング侯爵に信用のおける無所属の傭兵を手配してもらえるよう、鳩便で依頼する。ここから侯爵領まで五人程度、それから王都までは三人もいれば、問題なく行けるはずだ」
「道中、くれぐれもご注意をお願いしますね」
「うむ」
妻に頷き返して、父は手元に目を落とした。
「それにしてもこのパンは、話に聞いた以上の美味さだな。ロータルのことで心から味わえないのが残念だ」
「父上、さっきの話ですが」兄が横から問いかけた。「パンとコロッケの売り出しは、取りやめにするのですか」
「いや、予定通りに進める。逆に、領地復興のために始めようとしていたことを途中でやめるのは、不自然だろう。さっき言ったのは、失敗してもそれで構わない、という程度の意味だ。ある程度販売に成功してもそれが領民の暮らし改善につながるくらいで借金返済に充てるまでにならないなら、問題にならないだろう」
「そうですか」
食後ヘンリックが入ってきて、今後当分の護衛体制について報告をした。
夜は、二階廊下でテティスが寝ずの番をする。ふだんの二階は女主人と息子、女使用人の寝室のため、女性騎士の警備がいいだろうという判断だ。
テティスは朝の一刻にウィクトルと交代し、昼の一刻まで睡眠をとる。
ウィクトルの睡眠時間は夜中の一刻から朝の一刻の間となる。
午前中は皆外出を控えて、ウィクトルの目が届く範囲に集うようにする。
午後からは二人の護衛のどちらかが付き添って、外出はできる。
なお、村人有志の警備は、彼らの強い希望により継続することになった。
体制はこれまでと同様なので、夜は外が村人の交代制、二階がテティスという配置になる。
村人たちの警備は製塩とセサミの作業と折り合いをつけて当番を組んでいるので、すべて合わせて塩とセサミが販売ルートに乗った後、報酬が支払われることになっている。
一通り聞いて、父は「いいだろう」と認可した。
夜が更けて、父は僕を抱いて立ち上がった。
「今夜は家族みんなで一緒に寝るぞ。ウォルフ、お前もだ。一緒に来い」
言い放って、ずんずんと階段を昇っていく。
夫婦の大きなベッドに、四人並んで横になった。
奥から、母、兄、僕、父の順になり、僕はほとんど父の腹の上に乗せられる格好になる。
「本当にルートルフは重くなったな。今度帰ってくるときにはこうして抱くのにも苦労するかもしれぬ」
「うー」
「こんな幸せな夜を過ごすと、王都に戻るのが辛くなってしまうな」
「旦那様は、家族でいるのがいちばんの望みですか」
「当たり前だ」
「そう言っていただくと、わたしも幸せです。でも……」
「どうした」
「いつもはこんなことを口にするのは恥ずかしいと仰るのに、今夜はそうしないというのは……もっと我慢していらっしゃることがあるのでしょう?」
「…………」
「家族とは、また今度ゆっくりできる夜があります。でも今夜は、今夜しか手向けられれない方に旦那様のお心を向けても、よろしいのですよ」
「……ああ」
はああ、と僕の頭に、熱い息が落ちてきた。
「……十五年来の、友人だった。領主を継いでから十二年、あいつとヘンリックがいなければ、やってこられなかった」
「はい」
「誰にも言っていないがな、あいつの受けた矢、あいつに当たらなければ馬車の中の俺に届いていたんだ。そのつもりはなかったかもしれぬが、結果的にあいつは俺を守って死んだのだ」
「まあ……」
「馬鹿な奴だ。俺より一つ若いくせに、先に逝ってしまいやがった。……その功績に最大限に報いてやりたいのに、残された家族も誰もいないときている。せめて俺が、立派に送り出してやる」
「はい」
「あとは、俺はあいつが天から羨むような家庭を作ってやる。こんな可愛い妻と、頼もしい息子がいる。悔しかったら化けて出てこい、とな」
「く……」
「ぐ……ウォルフ」
「……はい」
「みっともない泣き虫の父と母だが、笑わないでくれ」
「笑いません」
「そうか」
「……笑いません……」
そのまま、頭に熱い頬を擦りつけられ。
三人分の啜り上げに包まれて。
たぶん、僕がいちばん先に眠りに包まれていた、のだと思う。
翌日の父は、うって変わって意欲的に行動した。
朝早くからキッチンで、ランセルによる黒小麦パンの製造過程を見学する。
朝食後には、村の塩やセサミの作業場を見るのだと出発する。
午前の勉強を休みにした兄と、しばらく日光浴散歩をできなくていた僕も、同行する。
この日は護衛の二人がずっとつくことになって、外出対象は固まっている方がいいという、父の判断だ。
なおいつも通り僕がザムの背に跨がると、ひとしきり父の興奮の弁があった。
前日はいろいろあって、ザムの紹介ができていなかったのだ。
「報告は読んでいたが、実際この目で見るとやはり驚きだな。大人しく赤子を乗せて歩くオオカミなど、聞いたことがないぞ。本当にルートルフには柔順なわけか」
「私とルートの命に逆らったことはありません」
「ふうむ」
手紙の報告で知っていた父はともかく、予備知識なく初めて目にした護衛の二人は、今にも顎が外れそうな驚きようだ。
配置の上でザムのすぐ横を歩くことになった大男のウィクトルは、どこか腰が引けた格好になっている。
「絶対暴れ出すとかないんでしょうね?」
「大丈夫ですよお。いつもはわたし一人が付き添いなんですけど、ちゃんとお利口に言うこと聞いてくれますう」
逆側でザムの脇を歩くベティーナが、あっけらかんと応える。
さすがに九歳の女の子より臆病に見られるわけにはいかないと、ウィクトルも肝を据えたようだ。
一方で兄の傍に従うテティスは、最初の驚きが去ると、その後は興味深そうな視線をザムに向けているようだ。
なお不寝番開けの彼女は、今日だけはこの外出が終わるまで休憩を先延ばしにすることにして、ことさら気を引き締めた表情になっている。
久しぶりの外出でご機嫌のザムと僕は、きゃっきゃ、うーうーと声を交わし、しきりに首を撫でながらの道行きだ。その実内心では、すぐに足を速めようとするザムを宥めるのに苦労したりもしていたのだけど。
村人たちの大歓迎を受けながらの視察は、内容でも父に満足をもたらしたようだ。
塩を煮詰める女たちの汗まみれの仕事を労い、「塩の品質が確かめられたら、本格的な作業ができるように大きな鉄鍋を購入しよう」と約束している。
セサミの種の乾燥は一通り終わり、担当者は現在塩の作業に合流している。
油の絞り方については父も秘かに調査中で、目処がついたらその作業が入ってくる、という話をする。
最も父が興奮を見せたのは、クロアオソウの栽培小屋を見てだった。
「実を言うと、これがいちばん実際に見ないと信じられないものだったのだ。この寒空の下、本当に屋内で野菜が育てられているのだな。『光』加護の者たちのお陰と聞いている。ご苦労であるな」
声をかけられて、この日の『光』担当の者たちは、感激の顔で礼を返していた。
「しかも本当に、塩やセサミの乾燥にも役立っているのだな。ウォルフの発想には、まったく恐れ入るぞ」
「ご満足いただけて嬉しいです。父上」
「いや、満足という程度の話ではない。これは国中に誇ってもいいほどの、快挙だぞ。今しばらくは王都で自慢を広げるのは慎むが、どこまで我慢できるか心許ないくらいだ。お前は本当に、どこに出しても自慢できる領主後継者だ」
「父上……」
感激半分困惑半分、といった態で、兄は救いを求める目を僕に投げてくる。
しかし、当然無視。
――頑張ってください、兄上。
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