第38話 赤ん坊、打ち合わせをする 2

「今になってみるとあの森は、塩の湖を含んでいるというだけで、価値は計り知れないことになっているわけですが」

「うむ、そこだ。今から契約を変えることはできぬから、こちらにとってできるのは、来年の秋までに規定の額を返済することだ。もし向こうが森の価値に気づいていて是が非でも手に入れたいならば、どんな手を使ってでも返済の目を潰す、という考えになるであろう」

「やはり……」

「何とも嘆かわしいことではあるのだがな。近年我が国では、他の国との抗争などもほぼないための平和ぼけとでも表すればいいか、言ってみれば国内での派閥抗争や、領地間の足の引っ張り合いというような愚行にふける向きが多々見られるようになっている。少し格好つけて言えば諜報活動、つまりは何かにつけ他の貴族の行動をあれこれ探って回る行為が横行している。

 うちの件について言えば、塩とセサミについては最大限情報を伏しているしまだ具体的に動いてはいないので知られていないと思うが、黒小麦とゴロイモについてはヘンリックの提案を元に例のコロッケの販売の是非を商人に打診し始めているので、内容の詳細はともかく、ある程度具体性を帯びてきていることは知られている可能性があるのだ」

「だから、内容の詳細に関する情報を盗み出して邪魔をしようと考えることは、あり得ると」

「しかも」ヘルフリートが口を入れた。「向こうの領地は我が領より多少温暖なので少ないとはいえ、黒小麦やゴロイモの収獲があります。その調理法に興味惹かれるでしょうし、情報を盗んでこちらに先んじて商売に結びつけようと考える、ということもありそうです」


 うん、ヘルフリートさん、敵の正体を隠して話を進める気、ないね。

 多少温暖ながら同じくらい北に位置する領地って、東隣以外ないはずだ。


「そういう想像ができるわけでして。これまでは旦那様のご意向で、うちからはそんなさもしい真似は控えていたわけですが、こうなってはそんな綺麗事も言ってられません。旦那様に暗黙の了解をいただき、不肖ヘルフリート、かねてからのシュ――いや特技というか、隠れた才能を活かす機会をいただき、多少動いてみました」


『趣味』と言おうとしなかったか、この人? 

 向かいの父親の顔が、心なしか妙に苦り切って見えるんだけど。


「かのダンシャ――いや領主に、懐刀と言うべき文官がいるのですが、その人物の行動を追ってみたところ、かなり頻繁に王立図書館に通う読書家であることが判明しました。そこの司書に多少融通を利かすと、かの人物の過去数年間の閲覧図書を知ることができました」


 はっきり『男爵』と言おうとしてるし。

 あとこの国の図書館とか公共施設、個人情報保護の考えはない――んだろうなあ。

 聞きながら、兄が目を丸くした。


「まさか――その閲覧図書の中身を見てみたのか。数年間分、全部?」

「実は、速読は小生の隠れた特技でして。百冊近くありましたが、三日間でひと通り目を通すことができました。その中で興味深かったのが三年ほど前の閲覧書籍なのですが、数十年前の探検家の手記で、当地の東の森について記述があったのです」

「まさか――」

「はっきりとした書き方ではないのですけどね。ある洞窟で、塩水を湛えた泉に遭遇したという意味にとれるものが」

「それは――」ヘンリックが唸った。「場所なども特定できそうなのか?」

「いえ、そこはかなり曖昧なのですが。他の地方についての記述と比べても、塩の泉の存在に信憑性は感じても不思議のない記述で」

「つまりその懐刀なる者、三年前に場所は不確かながら塩の湖の存在は知っていたと」

「ということになりそうです」

「うちに金を貸そうと申し出てきたのは、二年前だ」


 父の言葉に、一同頷きを交わす。

 そうしてから、ヘルフリートは報告を続けた。


「もう一つ、一年半前の閲覧図書なのですが。かなり信憑性の保証はなさそうな、魔法めいたことに関する書物がありまして。その中に、オオカミに関することがあったのが、目を惹きました。何でも、オオカミの群れを移動させるほど惹きつけ誘導することができる植物があるのだと」

「何ですと?」

「そこに具体的な植物名などは書いておらず、どうもくわしくは隣国ダンスクなら情報が得られるかもしれない、という表現になっていました。

 それだけなら放っておいてもいい程度の情報だと思うんですけどね。調べてみるとその懐刀氏、去年の夏にダンスクに旅行に行っています。農業関係の研修目的、と王宮から許可が出ていました」

「その人物のダンスク旅行が去年の夏」ヘンリックが眉をしかめる。「こちらでは今年の春か去年の秋かから、野ウサギの異常増加が始まっています。そこから推測すると、オオカミの減少は秋頃から始まっていると考えられますから――」

「時期的には合致することになるのです」

「そいつがオオカミの誘導方法を見つけてきて、うちの森のオオカミを連れ出したというのか?」


 兄の問い返しに、ヘルフリートは「証拠は何もありません」とだけ、答えた。

 父とヘンリックも、渋い顔をしかめているだけだ。

 やがてヘンリックは溜息をつき、


「しかしそれで、辻褄は合うのですよね。先月ここを某男爵が訪ねてきて、村民に野ウサギの被害について質問していったということがありました。前から野ウサギ被害などで凶作になることが予想されていて、それを自分の目で確かめに来た、と考えれば」

「オオカミが減れば野ウサギが増える。それで農作物に被害が及び、夏の日照不足と相まって凶作となる。その確認か。今年でそこそこ効果があれば、来年はいっそう大きな被害になると予想できるからな」


 父も頷き返す。

 ヘンリックも「そういうことでしょう」と相づちを打って、


「我が領の国税の納税状況は知っているでしょうから、その上で領内にどの程度余裕が残っているか目で見て確かめる、ということだったのかもしれませぬ。あの時点はまだウォルフ様の改善策が何も出てきていないところでしたから、そこで安心していたのが今になって立ち直りを見せているという情報に、慌て出したということでしょうか。

 それにしてもそれでウォルフ様の命を狙い、それを失敗したら今日は旦那様を襲撃した、ということだとしたら、あまりに非道が過ぎます」

「今の想像の通り数年前から計画して事を進めてきたのだとしたら、今さら後に退けないだろうからな。こちらの打開策はことごとく妨害するつもりかもしれぬ」


 父は一同を見回して、続けた。


「こうなればいよいよ、塩とセサミについては他に知れないように事を運ぶ必要がありそうだ。ヘルフリート、向こうは塩の湖の場所をまだ知らないと考えていいのだな?」

「はい。探検家の手記を読むだけで知ることはできないはずです。その後、秘かに森へ入って捜索したかどうか、ですが」

「問題の洞窟の入口付近は、ほとんど足跡など見当たりませんでした」ヘンリックが補足した。「少なくとも今年になって大勢が出入りしたことはないだろうと思われます。また昨年までは周囲にオオカミが生息していたということですので、近づくのは困難だったはずです。もしあちらの誰かが見つけたとしたら、試しに塩水を汲み出すのに人数を頼んで出入りするはずですから、まずそんなことはなかったと考えてよろしいかと」

「ということなら、こちらが塩の湖を見つけて製塩を始めていることも、気がついていないはず。先日の賊もこの屋敷を襲った後は南方向へ立ち去ったというなら、村の作業場には気がついていない。向こうが警戒しているのは黒小麦とゴロイモの調理法だけと考えていいだろう。

 それならばこれまで通り、塩とセサミについては絶対知られぬように事を進めよう。場合によっては黒小麦とゴロイモの売り出しについては失敗してみせて、向こうの油断を誘うというのも一つの手かもしれぬ」

「一理ありますな。真剣に検討してもよろしいのではないかと」


 ヘンリックの頷きを確かめて、父は僕を抱いて立ち上がった。


「よし、その方針でいく。明日は塩とセサミの秘かな運搬用意。それと、村の作業場というのも一度この目で見ておきたい」

「かしこまりました。準備いたします」

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