第34話 赤ん坊、襲撃を受ける

 ヘンリックに訊くと、時刻は夜中の二刻過ぎだという。

 階下に降りた兄を追うように、ガウン姿のイズベルガが階段に姿を見せた。


「奥様もお目覚めですが、二階に異状はないようです。ベティーナは奥様の傍につかせました」

「二階には行っていない、ただ裏口の鍵をこじ開けて入ってきただけ、ということのようですな」

「泥棒のようだが狙いは分からない、ということだな」


 話し合っていると、ランセルがザムと戻ってきた。


「外の雪の上に馬の足跡がある、す。おそらく、二頭すね。街道を南向きに去ったようで、姿はもう見えないす。ザムが追いかけたがってたすが、引き留めました」

「ご苦労様。ザムも」


 兄は、オオカミに近づいて首を撫でてやる。


「賊を追いかけるより、この家の守りを固める方が大事だ。ザム、さっきはよく賊を追い払ってくれたな。お手柄だ」

「ウォン」


 嬉しそうに、白銀の尾が振られる。

 ヘンリックは、イズベルガと訝しげな顔を見合わせていた。


「馬で逃げたとは、その辺の食うに困ったこそ泥とは思えませんね」

「乗馬に秀でているといえば、騎士階級や貴族、盗賊でも大がかりな野盗を思わせますが、この領地にそんなものが現れたなど聞いたことがありませんな」


 放っておいたら餓死しかねない農村に、徒党を組むような野盗が用があるとは思えない。

 食うに困ったこそ泥なども、王都や侯爵領の方からわざわざこんなところまで迷い込むとは考えにくい。

 一同を見回して、ヘンリックが告げた。


「ここはわたしとランセルが朝まで番をしますので、ウォルス様はお休みください。イズベルガは念のため、ベティーナと奥様の部屋で休むようにしてください」

「分かった。頼む」

「承知しました」


 頷いて、兄は階段を昇る。

 部屋に戻って「ふたり、だいじょぶ?」と問うと、


「ヘンリックとランセルは腕に覚えがあるから大丈夫だろう。言ってなかったかな。ヘンリックは元王都の騎士団にいたし、ランセルは市民兵に所属していたことがある」


 なるほど、痩せても男爵たる領主邸に警備が少ないと思っていたが、あの二人がその役を兼ねていたらしい。

 聞くと、ヘンリックは足に怪我を負って騎士団を辞したが、父が信頼する剣の腕前で、今でも修練を欠かしていないという。

 安心して、後を任せよう、と思う。

 赤ん坊の身としてはまだまったく睡眠が足りず、今にも瞼が落ちそうだ。

 兄に抱かれて、布団に潜り直す。

 たちまち僕は夢の中に戻っていた。


 のだが。


 ばりん、というけたたましい破壊音と、


「誰だ!」


 と跳び起きる兄の声で、僕はまた目覚めさせられた。

 見ると、部屋の窓板が叩き割られて、そこから黒い服装の人間が潜り込んでくるところだった。

 枕元の剣をとり、兄はすぐに鞘を払った。


「息子の部屋で、まちがいなかったようだな」


 床に降りるや、やや短い剣を抜き放つ。

 月明かりだけの闇の中で黒い服装は、ほとんど体格さえ判別できない。声からすると男らしいそいつは、顔も黒く覆って目だけが怪しく赤く光っている。


「悪いが、命をもらう」

「ヘンリック! 二階に賊だ!」


 大声で叫んで、兄は剣を相手に向ける。

 初めからぐずぐずする気はないのだろう、男は即座に兄の剣を横に払った。

 返す剣で、兄の空いた二の腕を切りつける。


「ぐっ」

「死ね!」

「うわあ!」


 二の太刀へ向けて、夢中で兄が剣を突き出した。

 それも余裕で払われる、寸前。


「にいちゃ!」


 無我夢中で僕は、指を突き出した。

 閃光。

 サーチライト状の光が男の顔を襲い、


「わあ!」


 不意を突かれた男の腕が止まって、肘のあたりに兄の剣先が走った。


「う!」

「ウォルフ様!」


 廊下にドタドタと、足音が近づき。

 すかさず男の姿は窓の外に飛び出していった。

 直後、戸が開いてヘンリックが飛び込んできた。


「ウォルフ様、ご無事――あ、血が!」


 手にしたランプが、兄の血まみれの左腕を照らし出した。


「軽傷だ。こちらも手傷を負わせた。窓から飛び降りて逃げた」

「ランセル、賊は逃げました! 外に警戒を!」

「分かりました!」


 階下から、大声が返ってきた。

 直後、戸口からイズベルガが駆け込んできた。


「ウォルフ様、お怪我ですか? 今血止めを!」


 兄をベッドに座らせて、治療を始める。

 その間、僕はただ兄の背に抱きついて震えていた。


「にいちゃ、にいちゃ!」

「大丈夫だルート、傷は浅い」

「さようですね。幸い、深くないようです」


 頷きながら、イズベルガは傷の上を縛り、血止めをしている。


「ヘンリック、賊は一人。剣の心得があると思われる。命をもらうと言っていたから、狙いは最初から俺だったようだ」

「ウォルフ様のお命を狙うなど、なんと――。荒っぽい手口からして、本当に命だけ奪ってすぐ逃走するつもりだったんでしょうな」

「俺が一太刀だけでも抵抗して、すぐヘンリックが来てくれたので、助かったようだ」

「少しでも遅れていたらと思うと、私も生きた心地がしませぬ」

「にいちゃ……」


 そのまま、僕の意識は遠のいていった、ようだ。


 目を醒ますと、明るくなっていた。

 僕はベッドの上で、いつものように兄の腕を抱えて。

 と思ったら、いつもの兄の部屋ではなく、僕のベッドだった。

 兄の部屋の窓が壊されたので、二人でこちらに移動したらしい。

 思っていると、兄の声がかけられた。


「起きたか」

「ん」

「お前に命を助けられた。ありがとう」

「んん」


 賊を追い払うのに間に合ったのは、兄の剣のお陰だ。

 最初の一太刀の抵抗がなければ、たちまち二人とも命を奪われていただろう。

 それにしても、咄嗟に出した『光』だったが、さすがに人間相手に失明させる威力のものを放つことはできなかった。

 それによって賊を取り逃がすことになったわけだが、それを僕は後悔すべきなのかどうか、判断できない。


「とりあえずあの後、警備は二階に集めることにした。女たちは母上の部屋に集めて、ヘンリックとランセルは廊下に詰めている。それから――」


 兄が僕の肩越しにベッド下を覗く。それを追って振り向くと。

「ウォン」と床からザムが顔を上げた。


「俺の負傷を知って、ここで護衛することにしたようだ」

「そう」


 手を伸ばして頭を撫でると、ザムは喉を鳴らした。

 その温かみを堪能しているうち、ノックの音がした。


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