第33話 赤ん坊、幸せを味わう

 家に帰って、今日の収獲物をランセルに渡す。

 これで当分キノコスープと、野ウサギのレバーペーストが母と僕にいいとされているので、それを作ってもらうことになった。

 また出迎えたヘンリックの報告では、王都の父から返信が来たとのこと。

 南の海で行われている製塩の方法を調べてみたが、部外秘の部分が多くて詳細は分からない。塩水を最初に火で煮詰めること、最後に日光で乾かすことは分かったので、工夫してもらいたいということだ。


「まず明日から、村の者を集めて火で煮詰める作業から始めてみようと思います」

「この地の今の季節では日光はあまり当てにならないから、焦がさないぎりぎりまで煮詰めて次の作業へ、というところか」

「そうでしょうね」


 村では一通りの農作業が終わっているので、全員が喜んで領主邸主催の作業に参加を表明している。

 これも、野ウサギ肉の提供やクロアオソウ栽培の成功で、兄が信用を得ているためのようだ。

 明日からの予定として、村民を『製塩班』と『セサミ班』に分けて作業させていく。

『製塩班』は今も出た、最初に布で濾して不純物を除いてから、火で煮詰めてその後日干しに移る作業。最初に煮詰める程度をいろいろ変えて品質を試していきたい。

『セサミ班』はとりあえず、先日刈り取ったセサミの種を集めて乾燥させる作業。量が十分あれば油を絞る作業もしたいが、何よりも乾燥させたセサミが売り物になるか、王都に運んで業者に鑑定してもらうのが先決だ。


「とりあえずは、この二本立てだな。一度でうまくいくとは限らない。どちらも品質が大切だから、試行錯誤しながら焦らず試していこう」

「そうですね。それがいいと思います」


 この日から、母は食堂で兄と一緒に夕食をとることになった。

 僕も同席して、ウェスタの膝の上でスープのご相伴にあずかる。

 ところが、最初に母がこちらに手を伸ばしてきた。


「今日は、わたしがルートルフに食べさせたいわ」


 母の手のスプーンから、一口、二口。

 この上なく幸せな、格別の味だった。

 ただそれでも、五口ほどで喉を通りにくくなる。


「頑張ったね、ルートルフ。おいちかった?」

「うー」


 母の頬ずりを受けて、ウェスタに戻される。

 あとは、母子向かい合っての食事。

 兄が今日のキノコ採りの様子を話し、母が熱心に聞き入り、何とも楽しい食卓になっていた。


 夜はほかほか温かな気分で、兄の部屋に上がることになった。

 二人並んでベッドに座り、しばし余韻を噛みしめ。

 それにしても前から思っていたのだけど、この兄弟二人似て、母親のことが好きすぎる気がする。


「……よかったな、ルート」

「……ん」

「よし、気合いを入れ直して明日から、作業に入るぞ」

「ん……で」

「何だ」

「にっこうほし」

「塩か?」

「せさみも」

「ああ、そっちも干すんだものな」

「きのこも」

「キノコも、そうか。干しキノコが栄養的にいいんだったな」

「かご、つかえない?」

「『光』の加護か?」

「ん。こやで」

「クロアオソウの栽培小屋のことか? そうか、ずっと『光』の加護を使っているんだものな……ああそれに、地熱もある」

「ん」

「どっちにしろ今の季節、外で日光で干すのはほとんど当てにならないからな。塩なんか水分が残っていたら、乾くより先に凍ってしまうかもしれない。せっかく村に五箇所、地熱のある場所に小屋を建てたんだから、そんなことにも使わなきゃ損か」

「ん」

「加護の『光』は干すのには少し弱そうだが……そうかそれなら、今一人ずつ交代当番で担当させているのを、二人当番にするのもアリか。人数は十分にいる。みんなけっこうやる気だ」

「ん」

「よし、その方針で行こう。地熱があるのと薪がいくらでも使えるのが、この地の数少ない強みだからな」


 次の日の午後から、村人総出での作業が始まった。

 屋敷からは、兄とヘンリックが出向いて指揮に当たる。

 とはいえ兄には勉強が、ヘンリックには事務仕事があるので、翌日からは村人だけでも進められるように、最初の指示が肝心なのだ。

 いろいろ試行錯誤が伴うので細かい処理法や時間など、記録に残しながらやっていきたいが、読み書きのできる者が数名しかいないので、それが悩みらしい。

 とりあえずも、各戸から大きな鍋を持ち寄って一斉に塩水を煮詰める。村中に煙と蒸気が立ち回る、壮観の風景となった。

 なお、『セサミ班』の作業に加わっていたベッセル先生を始め、大半の村民には大量の塩水の存在が初めて知らされることになったが、その出所は知らされず、存在自体極秘事項と念が押されている。


 僕はというと、今日も日光浴の散歩が仕事だ。

 ザムの背に乗り、ベティーナに付き添われて歩く。

 村の一角にまだ働けない小さな子ども八人が集められ、年長の少女が一人面倒を見ているところへ寄って、交流を持つ。

 それぞれの作業場を邪魔しないように覗いて歩く。

 そちらの作業とは別に栽培小屋で『光』担当をしている村人に、激励の愛想を振りまく。

 手前味噌ではあるけど、どこでも明るく歓迎されて、楽しいひとときになった。


 夕食時の食堂では、母と一緒に兄とヘンリックの報告を聞く。

 製塩もセサミの乾燥も、とりあえずできることはまちがいない、あとはできるだけ品質を上げる方法を模索しながら進める、とのこと。

 最後の乾燥に栽培小屋の『光』を有効利用しようという兄の発想には感心した、とヘンリックが唸っていた。


 そのようにして、数日が過ぎた。

 村の作業は午後から兄が見て回る程度で、自主的に進められるようになっている。

 それぞれの工程は日を追うごとに慣れ、製品の品質は上がっているという。

 王都などの慣習に倣って、土の日は作業を休みにした。

 明けて、仕事を再開した風の日の夜だった。

 ますます冷え凍みるようになってきた冬夜に、布団の中で兄にしがみつき寝入っていた僕は、いきなり夢から引き戻された。

 片脇に僕を抱き寄せて、兄が半身を起こしている。


「何だ?」

「なに」


 耳を澄ますと、ザムのものらしい吠え声が、階下から聞こえているのだ。

 僕を抱えたまま、ベッド脇に常備している剣を手にして、兄は部屋を飛び出した。

 階段の上から見下ろすと、ヘンリックとランセルが寝間着のままランプを手にして、玄関ホールにいる。


「何かあったのか?」

「ああウォルフ様、ザムの声を聞いて起きてきたところなのですが」

「誰か屋敷に忍び込んできたよう、す。裏口からキッチンの方へ押し入ろうとした痕が。ザムに吠えられて、また裏口から逃げ出したのではないかと」

「キッチンへ? 食い物が目当てか?」

「分からない、す。入ってすぐ逃げたようで、荒らされた様子も見えない、す」

「確かに、雪と泥の靴の跡が、そんな様子ですな。キッチンの中程から引き返したのではないかと」


 キッチンの戸口からランプの手を差し入れて、ヘンリックも同意した。

 見ると、ザムはがりがりと裏口の戸を爪で引っ掻いている。

 賊を追いかけようとしたが戸を閉められて果たせなかった、悔しい、という様子だ。

 そのザムの首を抱えるようにして、ランセルが裏口から外を見に行った。

 ウェスタも一階奥の部屋から出てきて、心配そうに裏口を見ている。


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