第31話 赤ん坊、散歩をする 1

「それでも少しでも飲んでいただけて、よかったですね。少しずつ慣れていただきましょう」

「へえ。それで、今朝早くディモの家に行ってきたんですけどね。キノコが採れなくなったの、やっぱりオオカミのせいらしい、す」

「どういうことです?」

「あのキノコがたくさん生えている場所ってのがあったそうなんすけどね、ここ数年、その近辺にオオカミが増えていて、人は近づけなくなっているそうなんす」

「そうですか。いやしかし、今年はオオカミの姿が見えないのですから――」

「ええ、ディモもそう言ってました。今年なら採りに行けるかもしれないって。ただ、数年行っていないから場所が不確かだし、昨夜うっすら雪が降ったんで、ますます分かりにくいかもしれないって。それに旬の季節はかなり過ぎてるんで、どれだけ採れるかは保証できないって」

「なるほど。それでも、行ってもらうべきなんでしょうね。旬が秋ということなら、雪解けを待ったらますます採れるか怪しいということでしょう」

「そうだと思います。いや、ルートルフ様のためならぜひ行かせてもらいたいと、ディモも言って――わ、びっくりしたあ!」


 ランセルの悲鳴に驚いて見ると、その戸口近くに立った脇から、ひょっこり鼻面を突き出したものがある。ザムだ。

 つつかれて驚いたランセルのポケットから落ちた、干しキノコの残りの一つ。

 それに鼻を近づけて、ふんふん。それから、ザムは妙に得意げな顔を兄に向けた。

 食べたい? いや、あの顔は――。


「何だ、ザム? ――もしかしてお前、そのキノコの生えた場所知ってるとか言うのか?」


 うんうんと、得意げな頷きを返した、ような。


「ああ、オオカミの生息地近くにあるというなら、匂いを知っているかもしれませんな」

「お前、案内できるのか?」


 ヘンリックの納得を受けて、兄が急き込んで訊ねる。

 それにまた、うんうんと頷きが返った。


「よし、それなら俺が、ザムを連れていってくる」

「いや、それは、ウォルフ様――」

「ザムの案内なら、言うこと聞かせてついていけるのは、俺しかいないぞ」

「それは――うーむ……」

「心配するなヘンリック。ディモと一緒に行って、絶対傍を離れないから」

「……分かりました。絶対、安全第一ですよ。それから行くのは、午後暖かくなってからにしてください」

「分かった」


 どっちにしろ、午前はいつもの勉強時間だ。

 勉強の合間に先生には、この二日間でのオオカミ調査の件やセサミのこと、僕の健康状態について分かったこと、などを話す。要は、塩に関すること以外ひと通りだ。

 僕については心配し、セサミについては喜び。

 しかし先生も、赤ん坊の病気についてくわしい知識はないようだ。

 比べて、オオカミと野ウサギの関係については、改めて調べ直しているという。


「その猟師の言うことで、大きく外れているとは言えないようですね。野ウサギはとにかく繁殖力の強い動物で、妊娠してから一ヶ月程度で出産、一度に生まれる子どもは平均七.五頭だそうです。

 つまりもし今いる全頭がつがいを作ってメスが妊娠したとしたら、一ヶ月でつがいの二頭だったのが七.五頭増えて、生息数が四倍程度になる計算です」

「わあ」

「まあそこまで極端ではないとして二ヶ月で四倍と見積もっても、出産後すぐに次の妊娠が可能らしいので、四ヶ月で七~八倍。新生児は四ヶ月程度で妊娠可能らしいから、次の二ケ月後には最初の十倍以上になる可能性さえあることになります」

「つまり、雪解け頃には今の十倍……?」

「まあかなり大雑把な計算ですけどね。もっと乱暴に考えて、さらに六ヶ月後、つまり今から数え始めて一年後には、七十~百倍程度になるというのも、まんざら大げさではないということになります。

 野ウサギの平均寿命は一~二年ということで、最初の固体は半減しているかもしれませんが、その後の増加分を考えると大きな違いはなさそうですね」

「来年の秋には今の七十倍。それが森から溢れて、村の収穫物を襲ってくる可能性があるわけですか」

「素人考えの概算ですが、それぐらいに用心して考えていいのではないかと。へたをすると森の中の草などを食べ尽くして、食料を求めて必死に活動範囲を広げ始めることが十分に考えられそうです」

「もちろん防護柵の増強は必要だが、いくらそれをしても、それだけ増えたとしたら、どこの隙間から入ってくるか予想がつかない。この屋敷の横手の川を越えてくるのだってあり得るかもしれない」

「そういうことになりそうです」

「オオカミさえいれば、それが防げるわけですね」

「そちらがどれだけ頭数がいたのかは不明ですが、少なくとも去年まではそれで野ウサギの増加が防げる程度に均衡が保たれていたということでしょうね」

「雪が積もると野ウサギはどこかに隠れてしまって、狩ることができない。オオカミは死に絶えたのかどこかに移動したのか分からないけど、それを呼び戻すか、雪解け頃に一斉に狩りをしかけるか、考えられる方策はそれくらいですか」

「ですかね」

「狩りをしかけるにしても、この領地の者だけではまったく手が回らない。王都や他の領地に応援を求めることができるか……」


 この次元の話になると、とうてい兄だけで結論は出せない。

 おそらく近いうち父が帰郷するはずなので、相談しようということになる。

 午後からキノコを探しに森へ行く話をすると、先生はアドバイスをくれた。


「キノコは外見が似ていても毒を持つものがあるので、くれぐれも注意してくださいよ。まあ、経験豊富な猟師が一緒なら大丈夫とは思いますが」

「はい、気をつけます」


 昼食後すぐに、兄はいつもの狩りの装備を固めて、ザムを連れて出発した。

 ランセルが話をつけていて、ディモとアヒムが森の入口で待っていることになっている。

 楽しげなザムの様子を見ると、ほとんど足を引きずる様子もなく、傍目には怪我をしていたのが嘘のようだ。本当にすごい回復力だと感心する。


 兄を送り出すと、ベティーナは二階に上がり、僕の外出着を取り出した。


「さあルート様、わたしたちはお散歩しましょうね。日光に当たらなければいけません」


 完全防寒だが手袋はせず、顔と手を露出する。できるだけ日に当てる箇所を増やすためだ。

 ベティーナも防寒着を着て、僕を背におんぶした。

 ヘンリックに挨拶して、外に出る。四刻を目安に戻ってくるという。

 ベティーナの足でもほぼこの領地を縦断往復できる時間だ。しかしそんな単純往復ではなく、村の家並みや畑の付近を回ってくるという。

 外に出ると、空は薄曇り。絶好の日光浴日和ではないが、効果がないわけでもないだろう。


 村中の道では、小さな子どもが何人か遊んでいた。ベティーナと顔見知りのようで、親しげに近づいてくる。僕を見て、きゃあきゃあと喚声が上がる。


「わあ、ルートルフ様だ」

「可愛いーー」

「そうだよ。あ、汚れた手で触っちゃダメ!」


 土遊びをしていたらしい小さな子が手を伸ばすのに、軽くベティーナは向きを変えて遮った。

 領主の子ども相手に当然なのだろうが、今回のことがあってベティーナが神経質になっているようにも見える。


「お散歩はいろいろ回った方がいいから、もう行くね」


 子どもたちに手を振って、畑の方に歩き出す。

 畑には、残ったゴロイモを掘っているらしい農夫が数人いるだけだった。

 そんな村人に挨拶しながら、僕を揺すってベティーナは歩き続ける。

 そろそろ僕の重さが応え始めているのではないかと思われるが、鼻歌を歌いながらの笑顔だ。

 この勤めを精一杯果たそうという、一生懸命さが伝わってくる表情だ。

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