第27話 赤ん坊、オオカミに乗る
そんな話をしているうちにすっかり遅くなってしまったが、兄と先生は一緒に昼食をとることになった。
話の名残を引っ張って、ヘンリックはそのまま兄の横に控えてつき合っている。
兄に「ルートをその辺で遊ばせておけ」と言われたベティーナも食堂の隅に残って、つまり僕はその後の会話を聞き続けることになった。
まず、そこに出された天然酵母黒小麦パンに、やはり先生は仰天していた。
「確かにこれは、王都の白パンを超えているかもしれませんね。こんな柔らかさ、経験したことがありません」
「そうですか、やっぱり。これで黒小麦が見直されるようになればと思っているんですが」
「ただやはり、民衆には固定観念というものがありますからね。これを店に並べたとしても、黒小麦というだけで敬遠されるかもしれません。王都に売り込みをかけるとしても、少し長い目で焦らず考えるべきと思います」
そこへ、皿を運んでキッチンから出てきたランセルが「ちょっといいすか」と話しかけた。
「ちょっと考えたんすけど。コロッケをこの黒小麦パンを薄く切ったのに挟んだ軽食の形で売り出すっていうのは、どうすかね」
「あ、それ、おいしそうですう」
即座に、ベティーナが反応する。
先生もヘンリックと目を合わせて、頷いた。
「なるほど、いけるかもしれませんね。コロッケとパン、両方ともこの領の特産として印象づけるのによさそうです。ただし、欲張って両方を狙って失敗するというのもよく聞く話ですし、さっきも言ったようにパンは黒小麦というだけで敬遠されることも考えられます。まずコロッケを前面に出して、単独の販売とパンに挟んだもの、別々に店に並べるという方法もいいかもしれません」
「王都の人には、どうしても黒小麦は貧乏くさいという印象ですからな。最初の一口を試してみるまでに抵抗が強いと思われます。かといって、コロッケの皮の材料は秘密にしたとしても、パンの材料は隠すわけにいかないでしょうからな」
「だな。見た目黒っぽいパンだというのは事実で、隠しようがない」
二人の意見に、兄も頷く。
その後、帰っていく先生を見送ると、曇天の空から白いものが舞い落ち出していた。
もう時間がないということで、明日天気が崩れなければ村の者を集めて塩湖を調べにいく、とヘンリックが告げた。
ついでにできるだけオオカミの状況を調べたいというのと、今日の結果から、その帰りにセサミの生育を調べることが加わった。
重要な目的ばかりなので、ヘンリックが陣頭指揮を執る、という。
「ウォルフ様は、森へ行くの禁止ですよ。ましてやルートルフ様を連れていくなど、とんでもない」
機先を制して、釘を刺されてしまった。
確かに調査対象ははっきりしているので、あとは数に任せて頼んでしまっていいだろう。
洞窟までの詳細な地図を描いて渡すということで、兄はヘンリックと打ち合わせをしていた。
なお、明日は月一回、南の侯爵領から医者が出張診療に来る日だという。
母と僕の定期診断、あと領民に体調を崩している者がいたら領主邸に来てもらう。
ヘンリックが家を空けるので、兄はイズベルガとともにその段取りを仕切るように言われて、やる気を見せている。
僕はと言えば。自分がまだ定期検診を受けなければならない乳児だということを思い出して、妙に呆然とした心持ちになっていた。
玄関先でそんな話をしていると、外からザムが入ってきた。すぐ後ろに、ウェスタが付き添っている。
しばらく一人と一匹の姿を見ていなかったが、外に出ていたということらしい。
「外に行ってたのか」
「ザムが出たがっている様子だったので、庭を散歩させていたんですよ。庭をうろつくのは構わないけど村の方には行かないようにって、教え込んでいました。外に出ても大人しくて聞き分けのいい子でしたよ」
兄の問いに、ウェスタがはきはきと答える。
「そうか」と頷いて、兄はザムの頭を撫でた。
「聞き分けよくしてたんなら、偉かったなザム」
「ザムの足、ずいぶんよくなったみたいですねえ」
僕も手を伸ばすので、頭に届くように屈み込んで、ベティーナはウェスタを振り返った。
「ええ、庭を歩いても、もうほとんど浮かせていないみたい」
「昨日の傷の具合から見ると、少し驚きの回復ですな」
「だな。昨日の夜はやっと血が止まったかってだけだったのに」
「この辺が野生の獣の力なんでしょうか」
ヘンリックと兄は、しきりと首を傾げている。
しかし確かに、ザムの右足は痕が残ってはいるもののすっかり傷口が塞がって、引きずる素振りを見せていない。
そのザムは、話が聞こえているかのように得意げな顔をもたげて、ベティーナの足元に全身を、というより背中を、擦りつけていった。
「え、え? わたしに何かしてほしいの?」
「珍しいねえ、ウォルフ様とルートルフ様にしかあまり身体を触られたがらないのに」
「ということは、ルートに触ってほしいってことじゃないのか」
「あ、というより、ルート様に背中に乗ってほしいとか?」
ベティーナの問いに、ザムは肯定の意志を表すように「ウォン」と小さく吠えた。
僕も興味惹かれて、その背中に向けて手を伸ばす。
「でもお、危なくないでしょうか」
「俺たちが横についていれば、大丈夫だろう」
「それじゃあ……ザム、乱暴に動いちゃダメですよ」
ベティーナの抱き下ろしに兄も手を貸して、僕はザムの背に跨がらされた。
後ろ足で立たせて頭が兄の腹くらいになるザムの大きさは僕の『お馬さん』にちょうどで、思った以上に収まりがいい。
さも嬉しそうに悠々とザムは歩き出し、その首に掴まって僕もご機嫌で足をぱたぱたした。
玄関ホールを一回りして、みんなの喝采を浴びて。
しかしそこで、兄は僕を抱き上げた。
「ルートを乗せて大丈夫だとは分かったけどな。しかしザム、今日はもう無理するな。今度は、ちゃんと足が治ってからだ」
分かった、とばかり「ウォン」と返事があった。
その後は、ウェスタに昼食をもらって、僕は兄に抱かれて部屋に上がった。
自分のベッドに僕を座らせて、兄は大きく息をついて椅子に腰を下ろす。
「何とか、もう一つ課題をこなしたな。ゴロイモの実験成功は大きい。しかもツブクサのことまで分かって、さらに大きな収穫だ」
「せさみ」
「ああ、セサミと言ったな。それが?」
「あぶら、とれるかも」
「そうなのか?」
「つぶして、しぼる」
「そうか。それがコロッケの油とかにも使えるかもしれないんだな」
「ん」
「そういうことなら、それもぜひとも実現したいものだ」
「ん」
ここのところ、運がよすぎるというくらい、やることがことごとくうまくいっている。
領民の餓死はまず防げそうだ。
塩やセサミ、パンやコロッケを売り物にして、借金返済に結びつけられるだろうか。
「中でも、塩湖の発見は大きそうだな。塩を売り出す目処が立てば、きっとずっと続く大きな収入になる」
「……ん」
「何だ、何か気になるのか?」
「えんこ」
「うん」
「なぜ、みつからなかった」
「ん? ああ、何故これまで見つからなかったか、か。まあ不思議ではあるな。あの洞窟の入口から、そんなに遠くなかったものな」
「ん」
「やっぱり昨日も話し合ったみたいに、オオカミが多いところで人が近づかなかったってことじゃないのか」
「でも、おおむかしから」
「まあ、あの湖は大昔からあったんだろうな。それで、この土地に人が住むようになってからでも何百年、か。まあその間に、誰かが見つけていそうなものじゃあるよな。それでもまあ、昔の人はもし見つけても、塩の湖なんか役に立たないと、そのままにしていたのかもしれない」
「……ん」
役に立たないと考えて大きく広めないにしても、何か記録に残すくらいはあってもいいのではないだろうか。
まだ見つけていないだけで、どこかにそんな記録は残っているのかもしれない。
「何を気にしている?」
「となり……だんしゃく」
「ああ、ディミタル男爵か。それが?」
「りそくかわり、あのもり」
「借金を返済できなければ、利息代わりとしてあの森を含む土地を渡す――って、なんだ? ディミタル男爵が、そんな塩湖があることを知っててそんな条件つけてきたって言うのか?」
「……かも」
「確かに、塩湖の水が金になることに気がついていれば、そんな条件を考えたかもしれない。しかし、何かなあ。そんなまどろっこしいこと、するかな。あの洞窟だけを手に入れたいなら、他にやり方がある気がするぞ」
「……ふめい」
「まあ、どっちにしてもよく分からないけどな」
確かに、ただここで考えていても、埒が明きそうにない。
その後は話題を軽くして、ゴロイモの他の利用のしかたや王都での売り出し方など、とりとめない話を続けた。
次の日は医者の出張診療で、お互いいつもとは違う気遣いをすることになりそうだ。
今日の疲れを残さないように早く寝よう、と申し合わせた。
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