第26話 赤ん坊、実験をする 2

「先生とヘンリックは王都の食もかなり経験があるはずなので、ぜひとも今日はこれを試してみてほしかったんです。これ、たとえば王都の食堂のメニューに出したとして、通用するでしょうか」

「うん……十分通用するんじゃないですかね」

「こういう衣を使った料理は、今までなかったと思います。新鮮に受け入れられるんじゃないでしょうか」

「うん、よかった。そういうことなら、将来的にこの料理を王都や他の地域に売り出すことを、ヘンリックと相談したかったんだ」

「なるほど、考慮する価値はありそうですな」

「あの、あの――」


 ベティーナが、ちょっと顔を赤くして手を挙げていた。


「これ、ちょっとお行儀悪いですけど、少し冷めたら子どもが手に持っておやつにできそうです」

「おお」珍しくヘンリックが、興奮気味に目を丸くした。「なるほど。そういう観点なら、売り出し方の可能性が広がるかもしれませんな」

「どういうことだ」

「料理店のメニューとしてだけでなく、持ち帰り用の軽食としての売り方もあるかもしれません。ベルシュマン男爵家といたしましては、今のところ王都で料理関係の店にそれほどツテはありません。そちらに渡りをつけるよりも、小規模な小売店でそういう軽食としての売り方の方が、実現までの障害は少ないと思います」

「場合によっては王都でけっこう見られる、屋台などの形式をとるのもアリかもしれませんよ」


 ヘンリックの意見に、ベッセル先生も私見を加えた。

 そこへ、「あの」とランセルが遠慮がちに口を入れる。


「この料理、使っているのがこの辺の特産物ばかりで材料は手に入りやすいと思うんすが、作っている身として、塩と油が高価なので、こんなたっぷり使うのがもったいない気になってしまうすね」

「塩と油、ですか」ヘンリックが顎に手を当てる。「塩は何とかなるかもしれませんが、油はとにかく見たところ大量に使うようなので、その辺検討する必要があるかもしれませんね」

「それにしても、今行っている実験が成功すれば、ゴロイモは大量に使用できる目処が立つわけですから。ある程度その辺、相殺できるかもしれませんよ」


 先生の発言をきっかけに、さっきの野ウサギを確認することになった。

 食堂に戻ると予想通り、芽の部分を食べた野ウサギが動きを失っていた。

 もう一方の一羽は、きょときょと元気に歩き回っている。


「ウォルフ様の推測で、まちがいないことになりますね」

「つまりゴロイモは、皮をむいて芽の出る部分だけほじくりとれば、あとは食べられることになる。ランセル、そうなると、食べられる量はどれだけ増えることになる?」

「だいたい、ですが。今の十倍の量は使える、ということになる、す」

「にわかには信じられないほどの違いですな」ヘンリックは頷いた。「これだけでも、領内の食糧問題は余裕で解決します。買い手さえいれば、ゴロイモを外へ売りに出したい気がするほどです」

「そこで、なんですが。この実験の結果を、論文とかそんな形で世に広めることはできないでしょうか」


 兄が先生の顔を見て問いかける。

 話を振られた先生は、うーん、と腕を組んだ。


「論文自体は可能で、中央の大学では常時そのような実績を募っています。しかしもともとゴロイモはあまり国民の関心がない食材ですからね。それでどれだけ広まるかは、心許ないところです」

「その論文提出とさっきのコロッケの知名度の高まる時期が近ければ、それなりに広まる可能性が高まらないでしょうか。まあ都合のいい期待なんですけど」

「なるほど。その学問的な取り組みと通商的な方策の、足並みを揃えたいと。そのために今日の実験に、私とヘンリックさんを同席させたわけですか」

「正解です」


 肩をすくめて笑う兄に、先生は背中をぽんと叩く励ましを送る。


「私の方もそろそろ一度、この地での風俗研究の結果を出さなければならないところでしたのでね。面白い題材として使えそうです」

「こちらも、昨日に続いて旦那様に鳩便を送らなければならない事案ができてしまいましたね。連日で驚愕の情報を送られて、旦那様が目を回す様子が目に浮かぶようです」


 最近知ったけど、この地と王都を結ぶ緊急の通信手段は、伝書鳩だったらしい。ちなみに、手紙に使うのは木の皮を薄く延ばしたものだ。獣の皮を使った紙は、恐ろしく高価なので。

 話題のついでにヘンリックは兄に、昨日の塩湖の件で父から調査許可の返事がさっき送られてきた、という報告をしていた。

 ただしこれはまだベッセル先生にも詳細を話せないものなので、言葉を濁した言い方になっている。

 それでも内輪話と気づいたらしい先生は、さりげなくそちらを離れて、厨房で仕事を再開したランセルの方に視線を送っていた。

 そのうち、


「あれ、それ?」


 何か目についたらしく、「失礼」と料理人の少し横手を覗き込んだ。


「これ、セサミじゃないですか」

「何ですか、セサミって」


 ベティーナも向こうよりこちらに興味惹かれたようで、近づいていった。

 その抱かれた胸元から見ると、先生が覗いている小さなボウルの中身は、けっこうな量の黒い小さな粒々だった。


「知りませんか? まああまり知られていないかもしれませんね。西の隣国ダンスクの名産で、こちらでは高価な貴重品なんです。単独で食べられることはほとんどないけど、食品に独特の風味をつけるそこそこ高級な食材らしいですよ。こんなところにそんな珍しいものがあるとは思えないんですが――ちょっといいですか?」


 ランセルに断って、先生はボウルの上に鼻を近づけた。

 あ、と少し考えて思い出した。あれ、この間採ってきたツブクサの種だ。


「私も一度しか見たことはないんですが、かすかな香りは似ているかもしれませんね。ただこれ、潰したりしないとあまり香りは立たないということなんですが――」

「潰して確かめてください。ランセル、何か棒とか、潰す道具ないか?」


 気負い込んだ様子で、兄が近づいてきた。

 少しの量を小皿にとって、そういう用途のものらしい木の棒をランセルが持ち出してくる。


「ああそれなら、先に少し煎った方がいいかもしれません」

「分かりました」


 先生の指示に従って、ランセルが動く。

 そうして木の棒で潰した粒を覗き込み、「へええ」と兄が呟いた。少し離れても、香りを感じたようだ。

 先生は改めて手に取った小皿を顔に近づけて、


「ああ、たぶんこれでまちがいないと思います。しかしそうだとすると、なんでここにセサミがあるのでしょうね。この近くで採れたのですか?」

「森の近くに、いっぱい生えているんです」

「はあ?」


 思いがけない話に隠すことにも気が回らなかったらしく、兄は正直に答えた。

 それに、先生はぽかんと目を丸くしてしまっている。

 後ろから近づいてきたヘンリックも、わけ分からない困惑顔だ。


「それは確かな話なのですか? そんな大量に採れるものが、高級食材?」

「先生はたぶんまちがいないと言っているし、これは確かに、いい風味と呼んでよさそうな香りだ」


 先生から受けとった小皿をひと嗅ぎして、兄は執事に渡す。

 それから順に、ランセル、ベティーナと手渡しされ、ようやく僕も嗅ぐことができた。


「香りは確かに、貴重な食材と言われても不思議ない気はしますな」ヘンリックは頷いた。「しかしこの近辺で群生しているような植物がそんな高価で貴重と言われるなど、どうも納得いきません。本来なら収穫量が少ない、栽培が難しい、などという理由で貴重とされるわけで。この粒がセサミでまちがいないなら、こちらで群生しているという方が誤った認識なのではないでしょうか。たくさん生えているように見えるのは似た別な植物で、このセサミはその一部だけであるとか」

「そこは、もう一度調べる必要はあるだろうが――」


 兄が考えながら応えた。

 このツブクサを採取してきたときの状況を、思い返しているのだろう。


「しかしディモの知識でも同じ一種類の植物ということらしい。それにここにあるのは、そこから別に特別に選んだわけでもなく二本抜いてきたものだ」

「それなら、あまりまちがうことはなさそうですね。ところで一つ押さえておかなければならない点がありまして、セサミはダンスクの名産ということが知られているだけで、かの国でどういうふうにどれだけの量が採れているか、こちらで知る者はいないはずなんです。おそらく価格設定も生産量を考慮したものではなく、言ってみれば向こうの『言い値』に近い実態かもしれません」


 ベッセル先生の説明に、兄とヘンリックは丸くした目を見合わせている。


「そんなものなのですか?」

「それともう一つ重要な点なんですが、ここの土地は山を挟んではいますが、ダンスクの隣と言える位置で、気候なども似通っているのです。たとえば風に運ばれてきた種が根づいたとしても、まったく不思議はない」

「ああ」

「つまり、ダンスクの名産作物がこの地で人知れず群生しているという可能性は、まったくないとも言えないと思います」

「そうですか」


 二度三度、ヘンリックは頷いている。

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