第25話 赤ん坊、実験をする 1
そのため、朝早く予定外に兄と打ち合わせをしなければならなくなった。
朝食前の時間、不本意ながらわがまま不機嫌にぐずる赤ん坊を演じて、ベティーナを困らせる。
ぐず泣きしながら何度も兄の部屋の方を指さしてみせると、困惑しきりの顔で連れていってくれた。
迎えた兄はすぐに事情を察して「俺が機嫌とるから、ベティーナは食堂に少し遅れると言ってきてくれ」と子守りを追い出してくれた。
打ち合わせ内容は朝食時にランセルと話して、昨日話した今日の予定に加え、昼食に向けて新しい料理の準備をしてもらうことだ。
内容自体は複雑ではないので、兄はすぐ飲み込んで朝食に降りていった。
午前の勉強の時間には、いつも通りベティーナに抱かれて勉強ごっこの態で割り込む。
まず武道部屋でザムに朝の挨拶をしていると、当然ながらベッセル先生はオオカミの姿を見て仰天していた。
「野生のオオカミが人間に懐くなんて。しかも赤子の前で直立不動なんて、聞いたことありませんよ!」
「まあ……ルートとザムが特殊なんだと思います」
「特殊で片づく問題ですか?」
こんな程度で仰天されていても、話は進まない。
黒小麦のパンの改善に成功したこと、ゴロイモの扱いについて今日実験したいことを兄が告げると、先生はその一つ一つに感嘆してくれた。
「ゴロイモの調理法ですか。いや、ぜひとも参加させてもらいたい」
「では、今日はこちらで昼食を用意させますので」
ちなみにベッセル先生は、この一年あまり村の老夫婦の家に下宿しているらしい。
家庭教師就任の際、この屋敷に住むよう提案されたのだが、夜遅くまで読書や研究をすることが多い生活なので、子どもがいる家は迷惑をかけるかもしれない、と辞退したそうだ。
先生は南方の貴族の五男坊で、家にいても身を立てる当てがない。王都の大学で学んだ後、研究者として生きていくことにした。数年に一度は成果を出さなければならない縛りつきで、大学から多少の補助を受けているという。
研究対象は古くからの農村の生活に関してということで、この教師職と下宿先は願ってもない好条件。それに最近兄が提起したこの領地の問題も、その研究の一環として大いに興味惹かれるということだ。
そのあたりを踏まえて、僕らはこの先の話の展開にもっと先生を巻き込もうと企てた次第だ。
午前中のカリキュラム終了後、兄は先生を食堂に招いた。当然のように、僕を抱いたベティーナもついていく。
加えて、前日に話をしてある執事のヘンリックと料理人のランセルも集結していた。
「すでに話しているように、今日はゴロイモについて実験をしてみたいと思っています。具体的には、ゴロイモの毒のある場所について、今はただ中央より外側に近い方とだけ考えられていますが、もっと絞ることができるのではないかと私は推測しています」
先生を招いての学術研究という体裁なので、兄はいつもより口調を改めている。
「ゴロイモを切断すると、将来芽が出るはずの部分が少し紫っぽく色づいていることが分かるんです。私は、この部分が毒のある箇所だと推定しています」
「うーん」軽く、ベッセル先生は唸った。「目の付けどころはいいと思うんですが、そんなあからさまなものなら、もっと以前に誰かが特定している気もしますね」
「問題は、この国でのゴロイモの価値の低さだと思うんです。ほとんど売り物になるとさえ思われていない、売れたとしてもまるでゴミと変わらない値段。毒があるからという印象からそうなっているんでしょうけど、逆にそういう価値の低さで、今までは真剣に毒について研究する人がいなかったのではないかと。調理に使うとしてもただみたいなものなんですから、いくら無駄が出ようが気にする人はあまりいない。この価値について真剣に考える必要があるなど、たぶんうちの領地の者だけなんじゃないかと思うんです」
「ああ……そういう可能性は、考えられるか」
「まあその辺の理由なんかはともかく、私の推測を実験で確かめることはできます。ここに、野ウサギを二羽用意しました。そして、うちのキッチンで捨てられるはずのゴロイモの断片が大量に。これを、一羽の野ウサギには芽の部分を中心に食べさせ、もう一羽には芽を除いた部分を食べさせて、その後の様子を見る。片方が毒に中るか、両方か、それで結果が得られる。ということで先生、どうでしょう?」
「――うん。確かに、その結果を見れば推測の真偽は出ることになりますね。ゴロイモの毒の影響は、かなり早く出てくるらしいし。二刻も見ればいいんじゃないですか」
「はい。じゃあ、そういうことで。ランセル、頼む」
「へい」
ランセルは二つのボウルを持ってきて中身を見せ、兄の言った通りのものになっていることを、立会人に確認をとった。
それをそれぞれ二つの野ウサギの籠に入れると、昨日生け捕りにされてから何も食べていない二羽は、ものすごい勢いで食らい始める。
「実験だけなら私一人でも、ランセルだけに協力してもらってでもできるけど、この結果はできるだけ広めたいので、今日はヘンリックと先生に立ち合ってもらいました。実験結果を待つ間、ついでにもう一つ、このゴロイモを使った新しい料理があるので、調理法と味を見てもらいたいと思っています」
「新しい料理?」
「はい。ランセル、用意はできているかな」
「へい。言われたものは、とりあえず」
「じゃあ、これから言う通り、調理してくれ」
ということで、全員で厨房へ移動。
用意しましたのは、ゴロイモを茹でて潰したもの、野ウサギの肉を細かく刻んだもの。その他に、黒小麦粉、黒小麦のパンを乾かして細かく砕いたもの。あとは、塩と油。
ウサギの挽肉は、軽く炒めて塩味をつけます。
それをゴロイモのマッシュと混ぜて、さらに軽く塩。
それを手にとって丸め、掌より少し小さい楕円形の板状にまとめます。
小麦粉を水に溶いたものを全体につけ、パンを砕いたものをまぶしつけます。
ちなみにここで『記憶』の説明では、
『本当なら溶き卵をつけるんだが』
と、悔しそうに言っていた。ついでに、
『これを作るとき、卵がないとできないなんてぬかす奴もいるが、何贅沢言ってやがる、物なし生活を舐めんなよ!』
と、だんだん激高したり。
いったい、何と戦っているんだ、あの人……。
閑話休題。
少しパン粉を落ち着ける間、鍋に油を熱します。
油にパン粉の粒を落として、じゅうと浮かんできたら、頃合い。
楕円形の作品を、思い切り油に投入しましょう。
キツネ色(?)に揚がったら、出来上がりでございます。
「何ですか、これ?」
「変わった、食感ですな」
「え、サク――熱ッ――熱、熱ッ――でも、おいしいですう」
「こんな、ただのゴロイモの固まりみたいなのが、こんなおいしいなんて……」
調理をした本人を含む四人が口々に感嘆し、兄に視線を集中する。
その当人も、皿に載せられた一個をナイフを使う間も惜しんだフォークだけ使いという作法に外れた所作で、たちまち口に収めてしまっていた。
「もぐ――上出来ですね。『コロッケ』というそうです」
「中身はただの茹でたゴロイモ、この地では食べ飽きているぐらいのものなのに」先生が、首を傾げた。「なんでこんなに、衝撃的な味になるんだろう」
「どうも、ゴロイモは油と相性がいいみたいなんです」
「ああ」ベティーナが声を上げた。「油を吸った黒小麦粉の皮に包まれているからなんですね。それにそのせいで、外と中の食感が変わって、面白い食べ心地です!」
「それが狙いの調理法らしいな」
「野ウサギ肉の風味も効いていますな」
ちなみにこの点、夢の中の『記憶』は、
『ジャガイモと油の組合せは悪魔のアンサンブルだ。たいていの者がたちまちヤミツキになる』
などと宣っていた。
さらにちなみに、ここに集う者たちの中で、そのアンサンブルを体感できないでいるのは僕一人だ。
何しろ乳離れできていない身で、中の茹でイモ部分だけならともかく、外の油まみれパン粉は到底お腹が受け付けない。
味に狂喜する人たちをただ傍観するのは、そこそこ苦行だったりする。
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