第24話 赤ん坊、オオカミを飼う

 この「話題逸らし」のテクニックは、屋敷に戻っても発揮された。

 家に入るなりヘンリックを呼び出して、オオカミの傷を見せつける。

 他の家人も、僕らの無事を案じるより先にオオカミの存在に恐慌状態だ。

 傷が人間によるものである可能性、野ウサギ増加の原因がオオカミ減少によるという仮説を話すと、予想通りヘンリックは難しい顔になった。


「確かに、捨てておけない問題の可能性がありますね。旦那様に報告して、森に調査を入れることを考えましょう。ただ、今年はもう雪が間近だという時期なのが、難しいところですが」

「だよな」


 それに続けて洞窟の中の塩湖の話をすると、ますますヘンリックは驚愕の顔になった。

 そんな存在を聞くのはまったく初めてだという。


「現在我が国の塩は、南方の海で生産されるものしか流通していません。ここでそれなりの量が採れることになると、流通を大きく変えることになるかもしれません。まちがいなく、我が領の収入につながるはずです」

「湖はかなり大きかった。向こうの岸が見えないくらいだったと思う」

「それならなおさら、期待が持てますね。村の者を動かして調査を入れましょう」

「これは、さっきの件以上に早く動けないかな。湖水を汲み出して塩を作れないかという実験をして、できればこの冬の村や屋敷で使える塩を増やせるようにしたい」

「さようですね。時間的に大変ですが、確かにある程度の量を汲み出すまでは雪の前に実現したいですね」

「そうだな」

「ただこの件は、他に知られるとややこしいことになる恐れがありますから、できるだけ情報は抑えるようにしましょう」

「分かった。よろしく頼む」


 晴々とした笑顔で、兄は応えた。

 頼もしく、執事はそれに頷く。


「かしこまりました。それと、ウォルフ様」

「何だ」

「一人で森に行ったこと、ルートルフ様をお連れになったことに関する点は、これらの発見とは別問題ですよ。十分反省して、今後改めていただきます」

「お、おお……」


 それから一刻以上、ヘンリックの説教を受けることになった。

 なお、加えて夕食後には母からの涙ながらの説教を、さらに一刻以上兄は直立不動で聞くことになった、

 ちなみに、当然説教対象は兄のみだ。


――僕、赤ん坊だもん。


 母の部屋を出てきた兄に、思い切り恨みがましい視線を向けられた。


 一方、僕らがヘンリックと話している間、オオカミはランセルに首を押さえられて警戒されながら、ウェスタとベティーナの面接を受けていた。

 結果、少なくともここまでの家人に対してはまったく敵意を見せないと、信用を得ることになった。

 ランセルが用意した野ウサギの本来捨てる内臓部分を喜んで食べ、ウェスタの与える水を嬉々として飲む。

 ベティーナが庭の隅へ連れていって「ここで用を足しなさい」と命ずると、すぐ素直に従うという、驚きの反応まで見せていた。


「まさか、以前どこかで飼われていたとかじゃないだろうな」

「毛並みや肉つきを見る限りじゃ、まず野生のものと思ってまちがいないないところすけどねえ」


 兄の疑問に、ランセルは首を傾げて応える。


「信じられないけど、すっかりウォルフ様に仕える気になって、俺たちの仲間入りしたつもりになっている、としか思えないす」

「マジかよ」


 ランセルの言の裏づけとして。

 家の者に唸ってみせたりしない、だけではない。

 兄か僕が近づくと、特別な反応をするのだ。

 それまで寛いでいても一瞬で背筋を伸ばし、『お座り』の姿勢で舌を覗かせて、あたかも次の指示を待つような。

「ウォルフ様に仕える気」を信じるしかない。

 寒くなってきているし怪我人だから、との配慮でウェスタが武道部屋の隅に古い毛布で寝床を作ってやると、すぐに満足げに丸まっていた。

 こうしてたちまち、オオカミは我が家の一員になっていた。


 ランセルの見立てでは、オオカミは生後一年未満くらいのオス、ということだ。

 改めて母とイズベルガに拝謁させる前に、「ここで飼うのなら名前が必要です」とベティーナが言い出した。

 当然、名付けの責任はウォルフ様にある、と全員の意見が一致。

 少し考えて、兄は『ザームエル』という命名を告げた。

 王都で読んだ英雄譚の登場人物だという。

 強そうでいいと、女性陣に好評を博したが。

 何故かその日のうちからベティーナの呼び方は『ザム』になっていて、オオカミ本人の好反応から、それが定着していた。

 女主人への拝謁にあたり、「このままでは不潔です」とのイズベルガの一喝を受けてウェスタとベティーナに頭からぬるま湯をかけて洗われて、困惑しきりの様子ながらザムは輝くような白銀色の姿になっていた。


 夜も更け、恒例の兄の部屋。

 ヘンリックと母からの説教への愚痴を一通り吐き出して、兄は大きく息をついた。


「まあとにかく、ヘンリックに話が通ってうちの領の改善につながりそうなんだから、今日の成果はよしと思うべきなんだろうな」

「ん」

「ところで、あのザムのことなんだが」

「ん?」

「俺たち兄弟に懐くというか恭順の意を示している? その辺りはまちがいないと思う。しかしみんなは俺に仕える態度って言ってるけど、俺はむしろ、お前に仕えているつもりのように見ている」

「そう?」

「二人で近づいたら例の『お座り』待機ポーズを見せるわけだが、目の向いている方向からして、お前の指示を待っているんだと思う」

「そうかな。でも……」


 あのザムの恭順のきっかけ、傷の治療と餌を与えたのは、まちがいなく兄の手だ。

 背中にいた僕のことなど、兄の所有品程度にしか認識していないはず。

 僕のことを、兄の所有品のうちで弱いものと理解して、守るべきと考えているだけなのではないか。

 そう言うと、兄は小さく唸った。


「いや、そんなふうに考えるのが確かに自然なんだろうけど。どうしても気になるの、薬を塗った後のザムの回復があまりにも速すぎるんじゃないかってことでさ」

「は?」

「――話は違うんだけどな。例のリヌスの『光』を使ったクロアオソウの収獲ができるようになった。昨日からうちの食事にも使われている」

「ん」

「今のところ分かっている傾向で、リヌスの『光』による成長は、ルートの場合より少し遅い感じがしている」

「そう、なの?」

「それとな、さっきイズベルガに聞いた話なんだけど、昨日の夕食に使われたクロアオソウについて、母上が『まだ栽培が安定しないのかな』と言っていたっていうんだ。つまり、ルートの『光』のものより、リヌスのものの方が味が落ちるってことらしい」

「どゆこと?」

「どれもこれも偶々のことなのかもしれないんだけどな。いくつか同じようなことが起きてくると、何だか俺としては妙なことを信じたくなってきている。もしかして、ルートの加護の『光』には、特別な力が籠もっているんじゃないかって」

「え」

「植物栽培での効果が高い、味をよくする。狩りのときの使い方も見事すぎて、他の人が真似できないんじゃないかという効果だ。そしてもしかして、ザムの治療にもあのとき照らしていたお前の『光』が役立ったんじゃないのか。それをザムが感じとって、お前に恭順しているんじゃないのか」

「え……」

「最初にザムに与えたものって、あの薬の他はお前の『光』以外考えられないんだよ。薬の効き方が常識外だとしたら、あり得るのはもう一つの方の効果だ」

「う……」

「――と、まあ勝手に考えたんだけどさ」首を反らして、兄は伸びをした。「しかしまあ、全部想像だけ。真偽を確かめようったってそうそうできそうにない。植物栽培だって、いくら効果が高そうでもこれ以上お前に任せたくはない。村の者で分担させて安定した運営を作っていくのが正しいやり方だ。とすると、これ以上は考えるだけ無駄ってことなんだろうな」

「……ん」

「悪い。勝手な思いつきを話して、お前を悩ませてしまったな。この話は終わりにして、明日の計画について検討しよう。これが空振りになったら、今日の件は俺の怒られ損だ」

「だね」


 確かに、と頷いて、話題を変えた。

 明日の予定について、ヘンリックとランセルにはすでに話を入れてある。あと、勉強の時間にベッセル先生に誘いをかけよう……。


 一通り打ち合わせをして、ベッドに戻る。

 いろいろな疲れもあって、僕はたちまち眠りに落ちた。

 しかしこの夜は、それだけで終わらなかった。夢の中にまた『記憶』が現れたのだ。

『サービスだ。また一つ、小僧に料理を授けてやる。一度しか教えないので、しっかり覚えるように』

 宣言して、こちらの言い分も聞かず実演を始める。

 お陰でまた、さっぱり睡眠をとった気のしないまま、目覚めを迎えた。

 教えてもらった料理を見直すと、確かに今の状況でありがたいのだけど。

 ……こちらの都合は考えてほしい。


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