第4話 赤ん坊、加護を知る

 日に日に、寒さが増してきている。

 それと共に、日の暮れが早くなってきているようだ。

 以前には暗くなるのに合わせて僕を寝かしつけ、ベティーナは部屋を出ていったものだが。最近は寝るにはまだ少し早いと、ランプを点けるようになった。

 何かの油を使って火を燃やす形のランプのようだ。

 それでもやはり、節約を命じられているのだろう。そのランプも、ぎりぎり手元が見えなくなるくらいまで点けることはない。

 この日も、ベッドの僕から離れたベティーナの顔が判別できなくなっても、まだ照明は点けられなかった。


――暗いなあ。


 一人思索にふけることは嫌いではないので、暗いのが特別嫌でしかたないというわけでもなかったのだけれど。

 何とはなしに、僕は天井に向けて手を伸ばしていた。


――明るく、ならないかなあ。


 思って。数呼吸、後。

 ぽっと、天井より少し下の空気がわずかに明るく輝き出していた。


「え?」

「わあ!」


 僕の困惑と同時に、ベティーナが悲鳴のような声を上げていた。

 光は、すぐに消えたのだけど。

 子守りは、ばたばたとベッドに駆け寄ってきた。


「ルート様、ルート様、加護――それ、加護ですよね?」


――はあ?


 意味が分からない。

『記憶』を探っても、珍しく、こちらの現実とは異なるがこれに近いか、という程度の知識さえ、出てこない。

 カゴ、何?


――説明、プリーズ。


 頭は混乱しながらも、表面上はただぽかんと目を丸くしている、つもりでいると。

 勢い止まらない様子で、ベティーナは独り言よろしく喋りを続けていた。


「すごい、すごいです。本当なら一歳過ぎて、教会で適性を見てもらってから使えるようになるものなのに。さすがはルート様です、ルート様、光の加護がおありになるんですね」


 少し……分かったような、分からないような。

 教会で適性?

 光の加護?


「ほら、加護って『火』『水』『風』『光』の四種類、誰でもそのどれか一つを授かっているんですよ。かく言ううわたしは『水』で、一日コップ半分の水を、どこでも出すことができるんです」


 一日コップ半分……。

 すごいような、すごくないような。

 まあ、何もないところでそれができるというなら、すごいのか。

 まるで、魔法? みたいな?


「知り合いにも『光』の子がいるんです。慣れたら、こんな暗い中でも掌の大きさくらいは見えるように照らせるんです」


 すごい、けど……。


――魔法としちゃ、ショボくない?


 いやそれにしても、驚いた。ここ、魔法のある世界だったのか。


――ショボいけど……。


「あ、でもでも――」

 大急ぎで、ベティーナは首を振っていた。

「加護、教会で適性を見てもらう前に使ったら、怒られちゃうんです。ルート様それまだ、人前で使っちゃダメですよ。わたしも、誰にも言わないでおきますから。ルート様のことみんなにいっぱい自慢したいけど、我慢しますから。約束ですよ!」


 勢いに押されて、僕は思わず頷きを返してしまっていた。

 ここで話が通じるなんて、驚きどころではないはずなんだけど、ベティーナはそれで納得、満足した顔になっていた。


「約束ですよ。絶対ですよ」


 言い含めをくり返して、やがてベティーナは部屋を出ていった。


 一人、暗い部屋に残されて。

 仰向けのベッドから、ぼんやり僕は手を持ち上げてみた。


――加護? 魔法? ――いややっぱり、魔法と呼ぶにはおこがましいか。


 誰もが、四種類のうちの一つを授かる。

 一日コップ半分の水、掌の大きさの光、といったあたりが、標準?

 

――まあ、サバイバル生活の中でなら、役立つだろうな。


 標準的に文化的な生活の中でなら、ほとんど必要もないレベルのものじゃないだろうか。

 まあこんな夜の闇の中で突然何かを見たいという必要に駆られたときには、便利かもしれない。

 思いながら、僕はもう一度さっきの要領で手の先に念を集めてみた。


――明るくなれ。


 ぽやん、とおぼろげな光が点る。

 何かを見るにしても、用途によってぎりぎり、という感じだ。

 メモ紙の文字を読むなら何とか、と『記憶』が囁いてきた。

 部屋全体を見回すには、かなり苦しい。

 一瞬ならもっと強くできるけど、長くは続かない。


――練習次第とか、身体が成長したらもっと強くできるとか、ないだろうか。


 さっきベティーナが言っていた『掌の大きさの光』の話は赤ん坊よりは成長した人の例だろう、と思うと、期待薄な気もしてくる。

『慣れたら』ともつけ加えていたから、そこそこ練習した結果なのだろうし。


『記憶』を探ると。

『フィクション(?)の話だが』と注釈つきで『貴族の血筋だと魔法の力が強い、という例はある』という情報が出てきた。

 期待していいのやら悪いのやら、とりあえずは分からない。


 そのまま数回、練習で光を灯してみた。


――ベティーナに約束したのは『人前で使わない』だからな。


 しかし、そのうち。

『魔力を使い尽くして命を落とす、という例もある』と『記憶』が告げてきた。

 慌てて練習をやめて、僕は大人しく眠りについた。


 その後も。

 毎夜、ベティーナが部屋を出た後、僕ははいはい習得のための手足の鍛錬と共に、光加護に慣れるための練習を少しずつ行っていた。

 慣れることで光の強さなどが増えるかは体感的に分からないけれど、照らす範囲や方向を調整することはできるようになってきた。

 当然のことながら、照らす範囲を広げると全体的には暗くなり、範囲を絞ると狭いポイントをやや明るく照らせるようになる。

 そのため、光の使い方は大きく分けて二種類。頭上から広い範囲をぼんやり照らす方法と、指先からサーチライトのように細く光を放つ方法に、慣れるよう練習を進めることにする。

 何度か試して、広い範囲をぼんやりなら、ほとんど意識することなく長時間続けていられるみたいだ。サーチライトなら数分間。一瞬ならもう少し強くもできた。

 もっと練習を続けようと思う。

 なお『はいはい習得作戦』の方も順調だ。最近では、ベッドの上を這い回れる程度に進歩している。

 これはこれくらいの赤ん坊の特性なのか僕個人の個性なのか分からないのだが、なぜか足よりも手の力の方が強いようで、シーツの上を手でぐいぐい身体を引き上げる格好で匍匐前進を続けている。


 当面のところ、ベティーナを急かして抱き上げさせ、家の中を歩き回る探検もできるだけ続けている。

 この日の首尾は、これまであまり馴染みのなかった同居人との邂逅だった。

 ベティーナに抱かれて階段を降りると、ちょうど奥の部屋から出てきたタキシードのような服装の長身の中年男性と顔を合わせたのだ。


「おお、これはルートルフ様。少しお目もじを失礼している間に、すっかり大きくおなりに」


 にっこり、端正な笑顔を向けてくる。ウェスタたちの評ではこの家になくてはならない存在、おそらく執事という役職になるのだろうと思われる、ヘンリックだ。

 留守がちな主人と伏せりがちな夫人に代わってこの屋敷と領地の一切を取り仕切っているという、いつ見ても多忙な様子で、数日主人の息子に挨拶できない程度で責める気にもなりようがない。


「伺いましたよ。ルートルフ様に『母様』と呼んでもらえたということで、奥様がすっかり元気を取り戻したご様子だと」

「そうなんですよお」


 執事が話しかけている相手は当然ベティーナで、僕を抱いた手を揺すり上げながら快活に応えている。


「ベティーナにはその調子で、ルートルフ様のお世話をよろしくお願いしますね」


 軽く手を振るようにして、忙しなく外へ向けて長い足を運んでいく。

 とにかく忙しそうで、当分あの痩せた後ろ姿に肉がつく余裕はなさそうだ。

 屋敷内の重鎮に励ましをもらったせいか、その後のベティーナの足どりは何とも軽やかだった。


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