第8話

「柊さん、だっけ? ちょっといい?」

「あ、はい。広田さん。なんでしょうか」



 業務時間中、広田という鳴海と同期の先輩社員が柊に話し掛ける。

 柊は鬱屈な気分になるのを表に出さないよう笑顔で対応した。



「あのさ、この図面なんだけど、ホントにこの仕様で良いと思ってるわけ? もしそうなんだとしたらこうした理由教えてくれない?」

「…そうですね。私はまだ中身までよく理解できていないので、鳴海先輩が戻ったら確認して回答しますね!」



 丁度鳴海は会議で席を外しており、柊は確認後再度折り返す旨を伝えた。

 対応としては上出来であり、この対応方法は鳴海からの指示でもあった。

 誰に対してもわからないことを聞かれた場合は、適当に回答せず、保留するようにと。

 しかし、その返事を聞き口角を上げる広田は、誰がどう見てもあくどい顔をしながら柊を責め立てた。



「え? この図面柊さんの名前が作成欄に入ってるよね? それにもかかわらず理解できていないって本気? もし工場から問い合わせがあったとき同じ様に答えるの? それは、まずいよねぇ?」

「…は、はい。すみません」

「いや謝っても仕事止まったままでしょ? どうするつもりなの?」

「あ、あはは。ですから、確認してお伝えしますと──」

「だから、止まるって言ってるよね? 言ってること理解出来ないの? それに笑い事じゃないんだけど?」

「………」



 真摯に対応するも、追及の手を緩めない広田はその愛想笑いすら指摘の材料にする。

 この広田という男は、答えられないとわかった上で質問をすることがよくある。

 そういう性分と言ってしまえばそれまでだが、あまり気持ちのいいタイプの人間性ではない。

 時折こういった場面を目にしていた柊は、広田に対し苦手意識を持つようになっていた。

 

 

「黙っていてもわからないし、俺困るんだけど?」

「すみません…」

「だからさ、謝って貰ってもしょうがないんだってば! …はぁ。これだから若いのって何考えてるかわかんないんだよな。俺らと似たような給料貰ってんだからちゃんと仕事して欲しいんだけど」

「…はい。すみません」

「鳴海と橋下さんに言っとくわ。もっとちゃんと教育担当やれって。このままじゃ良い迷惑だし」

「…っ」



 いたぶるように続けた広田は捨て台詞を吐くように、さも柊のせいで鳴海の評価が下がるという言葉を投げ掛ける。

 流石の柊も、お世話になっている相手の評価を下げることを出されては顔を歪ませてしまう。

 それを目敏く見出す広田は、皮肉っぽく続けた。



「え、何? 俺が悪いの? いやいや、柊さんとあいつが悪いでしょどう考えてもさ。俺だったらもっとちゃんと教えてやるのになぁ。無能な上司を持つと大変だよな?」

「…違います」

「…何?」

「鳴海先輩は無能なんかじゃありません。私の出来が悪いのは知ってくれていますし、わかった上で指導していただいています。そんな先輩を悪く言わないで下さい」

「…なんだそれ。柊さんが不出来だとしても、やれるようにしてやるのが有能な上司の仕事だ。それが出来ていない以上、無能扱いして何がおかしいのか。俺にはわからんね」

「──広田に無能扱いされたところで気にしないから放っとけよ。あと、そこ俺の席。邪魔」



 柊と話し込んでいた広田は、鳴海の席に座って会話していた。

 会議から戻ってきた鳴海は、一目で何が起こっているのか見当をつける。変な絡み方をされていそうな柊に同情しながら広田が座っている椅子を蹴りつけた。



「っ! 何すんだよ!」

「お前こそ人の部下に何難癖付けてんの? 暇なの? 用があるなら聞いてやるからさっさと話せ」

「…この図面の仕様。これおかしいだろ。俺の部品に影響出るから変更してくれ」

「いやそれ先月末の部内DRデザイン&レビューで決まった仕様だよな。議事録もちゃんと回覧されている回っているけど、知らないの?」

「は? 聞いてないぞ!?」

「ああ、お前有休だったっけ。静かでスムーズに会議が進むって話を部長達とした覚え有るわ。…とにかく、既に展開されている情報だし、人望があるなら誰かしらから口頭で伝えられてもおかしくないんじゃないか?」

「ぐ…」

「そもそも、図面の承認決裁の最終は部長が行っている。部内DRで決まった仕様以外で承認が下りる訳ないだろ。少しは考えて物を言え。──ほら、気は済んだか。なら行った行った」



 先程までとは立場が完全に逆転した関係性になった上で理路整然とぶった切る鳴海に対し、広田はぐうの音も出ない。

 だが、鳴海を言い負かさないと気が済まないのか、全く違う話題を切り返してきた。



「ああ、後一つ聞いたら戻るさ。これは別件だけど、今発注している部品の仕様、あれで良いのか?」

「次期改善案の仕様のこと? 良いと思ってるけど。何か思うところでもあった?」

「いや? お前がそう思うなら良いんじゃないか?」



 にやりと笑い、鼻につくような言い方。

 広田はこうして厭らしい言い回しで人を困らせることがある。面識の無い人からすれば気になって仕方がないだろう。

 だが、鳴海は違う。その上、今の彼は容赦が無かった。



「質問に質問で返すなって教わらなかった? そもそも広田の質問、意図がわからない。助言したいならしてくれればいいし、そうじゃないなら無駄に話を続けてくれるな。面倒くさい」

「面倒くさい!?」

「いや面倒くさいだろ。そもそもお前が俺のミスを知ったところでフォローするわけでもなく、何もしないよな? こうして皮肉を言いに来るだけだろ。なら、答える必要も知る必要もない。…なあ、このくらいで良い? 学校の先生じゃないんだから広田の社交性改善に付き合うつもりはないんだ。お前ほど暇じゃないし」



 話はこれまで、と広田の背後にある椅子を自席に戻し、座ったところでPCモニターと向かい合う。

 鳴海は、広田に背中を向けることとなり、今度こそ──不満をモゴモゴさせながらだが──自席に戻っていった。

 広田が去ったことを確認し、鳴海はモニターから目を離さず横目に話し掛ける。



「…はぁ、行ったな。悪かった、面倒なやつの相手させて」

「あ、いえ。私がちゃんと答えることが出来れば良かったんです」

「マトモに相手するだけ損。理解出来ないものを無理に落とし込む必要はないよ。ああいう奴は反面教師にする程度に留めるのが吉」

「…先輩がそこまで辛辣なの、珍しいですね」



 少し落ち込んだ声で答える柊に対し、鳴海は向き直って言い放つ。



「あのさ。俺のこと聖人君子か何かと勘違いしてない? ましてやここは会社、仕事場だ。さっきも言ったけど俺は先生でもないし、友達でもない。利害関係が成立しない仕事相手に譲歩する物は持ち合わせてないよ」

「…言っていることは、なんとなくわかります」



 でも、それじゃ私の教育担当をしていることは上司命令で嫌々してくれているのだろうか。

 広田が言ったことはあながち間違っている訳ではないと自覚もしている。

 出来が悪い後輩というだけで足を引っ張っている。

 利害で言えば、百害有って一利無しではないのか。

 そんな思考に囚われる柊の表情を見て、鳴海は分かり易い奴だと苦笑する。



「念のため言っておく。柊は俺の部下扱いなんだ。それなら話は変わってくる。俺の先輩の持論なんだけど、『部下の失敗は上司の責任。上司の責任の取り方で部下の成長は大きく変化する』ってのがあってね」

「責任の取り方、ですか?」

「そう。前者の言葉は良く言われることだから、感覚的に理解しやすいと思うけど、柊が失敗した場合は元を辿れば俺の指示が悪い場合や、管理が行き届いていないことが要因になると思う。それで柊に責任を押し付けるのはおかしいだろ」

「でも、私がミスをしたら私が悪いんじゃ…」

「部下のミスを未然に防ぐのは、上司の管理業務の内。とはいえミスってのは0にすることはほぼ不可能。どうしても人的要因や機械的要因で発生してしまう。そこで上司がどんな形で責任を取り、対応するのか。その姿の見せ方で、部下の成長を大きく左右するって訳。成長した後は、しっかり助けて貰う。所謂いわゆる、将来への投資」

「……理解は出来ます。だけど、納得はしかねます」



 その答えを聞き、鳴海は難儀な奴だなと溜め息を吐く。

 そこで、何かを閃いたかのようにポン、と体の前で手を叩くと少し含みのある笑いを浮かべながら柊に話をする。



「ならこれならどう? 初めて出来た後輩なんだ。情が湧かない訳ないだろ? そんな後輩が、謂われのない理由でいびられていたらイラついた。それに、柊も俺を庇ってくれた。そのお返しも兼ねて憂さ晴らし。それなら塩対応して当たり前」

「──ぷっ。なんですかそれ、私情入りまくりじゃないですか」



 ビジネスライクな考え方から全く逆方向の公私混同な提案に思わず吹き出してしまう柊。

 それを見て、柔らかい微笑みを浮かべた鳴海は安心した声色で反応する。



「やっと笑った。そんな肩肘張る必要はないし、急に出来が良くなる方法も無い。焦らず地道に力を付けて、一つ一つ出来るようになっていけばいい」

「…はい! わかりました!」



 それに対し、満面の笑顔で立ち直りを見せる柊。

 そして、少し悩みが晴れたからだろうか、素直な感想が口を突いて出て行く。



「情が湧かない訳がない、ですか。私、そっちの理由ほうが嬉しいです。私のこと、大切にしてくださいね?」

「…待って。何か別の意味に感じる」

「──職場で何してるのよ。変態

「風評被害が過ぎる…」



 通りすがりの桐原にその意味深な台詞だけ聞かれ、チクチク叱られる鳴海を余所に、広田に話し掛けられた際の鬱屈な気分とは真逆の、晴れやかな気持ちを胸に、柊はその後の業務に取り組むのだった。



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